有賀長川

宣長が歌を習ったらしいんだが、どんな人かほとんどわからない。
もとは、有賀長因とも。

長川の父が有賀長伯。長伯の師は平間長雅。長雅は望月長孝の門弟。
長孝は松永貞徳の門人、ということなんだが、やっぱりよくわかんない。

ま、ふつうのひとだったのだろう。

安井金比羅宮

こないだ京都の祇園の裏当たりをうろうろしていたら、
いかにも祇園の芸妓というか水商売の女たちが信仰しているような神社があった。
こういうところにはこういう神社ができるもんなんだなと思ったのだが、
[宣長『在京日記』宝暦7年1月9日](http://www.norinagakinenkan.com/nenpu/nenpu/n0183.html)

> 抑このこんひらの社は、近年いたく人の信し奉ること、檀王の主夜神のことく也、ことに青楼娼妓のたくひの、とりはき信仰して、うかれめあまた参り侍る也、

などと書いてあり、なんと宣長の時代からそうだったんだとあきれた。

祭神が崇徳院と源頼政と大物主神、とあって大物主神は金比羅宮だからで、崇徳院はたぶん讃岐つながりで、
頼政は、実はあんま関係ないけどなんとなく崇徳院に運命が似てるからだろうか。
あ、二人とも清盛にいじめられた。
似てる。
崇徳院と一緒に祭りたい気持ちもわかる。

「悪縁を切り、良縁を結ぶ」というのも、深読みするといろいろ深い。

本居宣長の漢詩

在京時代の本居宣長の漢詩が二十数編残されているが、
凝り性な宣長君らしく、平仄は完璧。

春日早朝
鶏鳴九陌報清晨
初日纔昇映紫宸
金殿出霞花気暖
玉楼経雨柳條新
群臣集奏千秋寿
蛮客貢陳四海珍
且識天杯元承露
聖明恩沢更含春

新年の御所の様子を詠んだものと思われる。
悪くはないが、装飾過多、という印象。
[宝暦6年1月11日](http://www.norinagakinenkan.com/nenpu/nenpu/n0182.html)か。
この漢詩を作ってみて宣長はよけいに漢学では日本文化の良さを表現できない、と悟ったのではなかろうか。

読書
独坐間窓下
読書欲暁星
孜々何須睡
一任酔群経

独り窓下の間に坐し、読書、暁星を欲す、孜々として、なんすれぞすべからく睡るべし、もっぱら群経に酔ふに任せん、
と訓めば良いか。

夜独りで窓の下に坐って読書していると、すでに夜が明けようとしている。
一心不乱、どうして眠れようか。
ただ膨大な量の経典に酔うのに任せよう。

いやー。
宣長らしい詩ではある。

宣長、普通の江戸時代の文人並みには漢詩が作れたようだ(乃木希典レベル。中島敦よりはずっとうまい)。
そのまま励めばわりかし良い線いったんじゃないか。
でも、和歌のほうが好きだったんだよなあ。
どんな違いがあったのだろう。知りたい。

上巳
元巳春風暖
桃花照錦筵
麗人更勧酔
流水羽觴前

上巳は桃の節句であるから今の暦では四月中旬、元巳はその別名。
春風は暖かく、桃の花が錦のむしろに映える。麗人、更に酔いを勧め、羽觴(さかづき)の前には水が流れている。
明らかに曲水の宴で作った詩であろう。

旧暦

それでまあ旧暦の時報なんぞ始めてみるといろんなことが疑わしく思えてくる。

昔の人は日の出(明け六つ)とともに起き日の入り(暮れ六つ)とともに寝たのに違いない。
吉原なんてのは暮れ六つから開けたというが、要するに暮れ六つすぎると仕事は終わってあとは遊ぶというわけだろう。
普通の家庭では暗い中灯りを灯して晩飯なんか食うはずもない。
明るいうちに食事を終えすぐに寝たはずだ。

朝は朝とて、冷蔵庫も炊飯器もないんだから、
日の出とともに飯が食えるはずもない。
どんなに急いだって米が炊けるんだって一時間はかかるだろう。
かなり遅く、朝五つか朝四つくらいに朝食を食べたのにちがいない。
そんでまあ朝飯前っていうくらいだから、
飯を食う前に二、三時間は仕事をしたのではなかろうか。えっと夏の話ね。
冬はもっと日が短かったから、そんなには働けなかっただろう。
思うに、朝飯前という言葉は元はそれほど簡単な仕事をさしてはいなかったのではないか。
起きたばかりで飯を食う前の一番頭の冴えた、効率の良い時間帯のしごと、という意味ではなかったのか。

で、その次の食事は正午あたりではありえず、いわゆる昼八つころに食べただろう。
いわゆるおやつだが、これも、単なる間食というよりは、比較的しっかりした食事、という意味ではなかったか。
食べると眠くなるから休憩し、後は翌日の準備などするとあっという間に日が暮れるからそのまま寝たのではなかろうか。
つまり昔の人は朝四つと昼八つの二度食事をしたんじゃないか。

明治大正となりサラリーマンてのが出てくると九時五時の仕事となって、
学校なんかもそうだから、すると朝飯は朝七時くらいになり、晩飯は夜七時くらいになり、
そうなると正午くらいに昼飯を食うのが便利、ということになったんじゃないか。

でまあ、旧暦と和歌を対応させようとすると、
一月が立春で、梅。二月が桜、三月はとばして四月が藤、ほととぎす。五月は端午の節句で夏至、梅雨、花は菖蒲。
六月は真夏。とかなる。
どうも一月二月が花札にあわない。
花かるたってのも実は明治になって旧暦じゃなくなってから今のような形に落ち着いたのでなかろうかという疑いがふつふつとわいてくる。
しかしとなると藤は五月、菖蒲は六月でなくっちゃいけない。
どうもつじつまがあわない。

「さくら さくら やよいの空は」という歌詞もどうも明治の唱歌で確立したんじゃないかと思える。
明治と江戸は似ているようで全然違う。
暦と時刻が違うから全然違ってくる。

『エウメネス』の次

今のとこ『エウメネス』って小説が一番売れているんだけど、
『エウメネス』が自分の力で売れているわけじゃないってことは承知している。
『エウメネス』は『ヒストリエ』というマンガがあってそのファンがたまたま買ってくれている。
『ヒストリエ』は、出版社がちゃんとマーケティングして広報して売っているわけで、
私はそのおこぼれで買ってもらっている状態だ。

そんなふうにして売りたいわけではない。
『ヒストリエ』人気にあやかって、他人のマーケティングに便乗して売りたいわけでは決してない。
そもそもそんなことを意図して書いたわけではない。
しかし、もし『エウメネス』がそういう幸運に恵まれていなければ、
私はとっくに kdp で収入を得ようという考えを諦めていたかもしれない。
そんで、kdp で利益を出すヒントというのを、もしかしたらもらえたのかもしれない。

『エウメネス』は『ヒストリエ』とは全然違う話で、
共通しているのは主人公がエウメネスという点だけだと思う。
『エウメネス』が描いているのは、古代ギリシャの歴史ではない。
ペルシャやヘレニズムというものを描いている。
私としては、女性の読者にはペルシャ王女のアマストリナに、
男性の読者は(学者として、秘書官としての)エウメネスに感情移入してもらえるように書いている。
戦士としての、剣豪としての、将軍としてのエウメネスを描く気はまったくないのである。

そういう意図を了解した上で読んで楽しんでもらえるのであれば非常に嬉しい、のだが。

ま、ともかく、
私としては『エウメネス』よりかもっと読んでもらえる小説を書くのが次の目標だわな。