「ヨハンナ・スピリ少年少女文学全集」をある種の義務感で読破してみようとしたのだが、余りにも退屈で挫折した。
この全集があっという間にその存在を忘れ去られてしまったのは、やはり単につまらないからなのだろう。
簡単な解説、あらすじくらいは付けて欲しかった。
この膨大な文書を読み通す人がはたしているだろうか。
例えば、Arthur und Squirell という話では、工場の経営者の子供に兄と妹がいて、兄は会社を継ぐのが嫌で失踪、社長は妹に婿をとって仕事を継がせようとしたが、妹にはすでに好きな男(牧師の息子)がいて、結局工場は売ってしまい、妹は牧師の息子と結婚した。
二人には男の子が出来たが(この子が主人公 Arthur)、Arthurが小さいうちに両親は他界してしまい、親戚に引き取られて、寄宿学校に入れられてしまうが、そこですったもんだあって、Arthurはある女の子(Squirell)と親しくなる(ボーイミーツガール!)。
そこへ失踪した兄(つまりAuthurの叔父)が大学教授となって戻ってきて(予定調和的な伏線の回収!)、甥Arthurとついでにその彼女Squirellを引き取って楽しく暮らす、という話なのだが、こんな話を延々と読まされたら気絶しそうだ。
あらすじだけで十分な気がする。
主人公が孤児で親戚に引き取られて知らない土地に連れて行かれる、という辺りがなんとなく「ハイディ」っぽい。
なぜ「ハイディ」だけがある程度読むにたえうる作品になり得たか(アニメの「ハイジ」はとりあえずよけといて)という考察は、もう少ししたほうが良いのではないか。
やはりストーリーというよりは、ハイディやアルムおじさんやデーテやロッテンマイヤーなどのキャラの濃さだと思うのだよね。
キャラの濃さという意味では「フローニ」もそれなりのもんだと思うよ。
そんで余りにも頭が疲れたのでヨハンナ・シュピリはやめにして佐佐木信綱を読み始めたのだが、
これも恐ろしく退屈だ。
この人は、少なくとも初期はちゃんと大和言葉だけで和歌を詠んでいた。
江戸時代の和歌や、明治期の桂園派の和歌と大差ない。
だが次第に漢語やそのほかの外来語が混じり始める。
明らかに明星派やアララギ派の影響をうけているのである。
佐佐木信綱の代表作である
> ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
あるいは正岡子規の代表作といわれている
> くれないの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る
これらは長く伸びた俳句、或いは漢詩の翻案とでもいうべきものだ。
漢語を交えて叙景、もしくは叙事だけでできあがっている。
確かに古く武士にもこのような直截な叙景の歌はあったかもしれないが、
叙景や叙事が心象風景に転調するところが和歌の骨頂であって、
叙景に仮託した心象の微妙な表現というものはやはり大和言葉、和歌でなくてはならない。
佐佐木信綱は明治の歌を詠みたかった。
新しい時代の和歌は変わらねばならないと思った。
だから明治以後の話題を歌に取り入れなくてはならない、という義務感のようなもので、
いろんな概念、例えば「サタン」のような言葉を取り入れた。
> 敗られしサタンの軍ちりみだれくづるるがごと雲走りゆく
これは単に雨雲がサタンの軍勢のように見える、ということが言いたかったのだが、
こういうものが世間にもてはやされることによって佐佐木信綱という歌人自体が変容していく。
佐佐木信綱の崩れ方というのは昭和天皇の崩れ方と良く似ている。
おそらく昭和天皇も佐佐木信綱の影響をうけたのだろうと思う。
そして今の現代短歌というものは、もはや何でもありのカオスになってしまった。
ましかし、短歌は短歌で勝手にやれば良い。
問題は和歌を詠む人がほとんどいなくなり下手をすると私で断絶するかもしれないってことなのだ。
私には、明治の歌人たちは、
明治という一過性の時代に和歌を適合させようとして和歌を破壊した(あるいは和歌から逸脱していった)だけのように見える
(柳田国男などの桂園派の歌人は抵抗した。明治天皇も最後まで大和言葉だけで歌を詠んだ)。
明治は過ぎ去っても和歌は残らねばならない。
和歌は時代の影響をうけるとしても、和歌自体は「永遠の過去」に属するものでなくてはならない。
能や歌舞伎ではそれが当たり前なのに和歌はそのことが軽んじられているのは残念ではないか。