古典

思うに、江戸時代の儒者や文人にとって、
古文と漢文と日本史というものは、渾然一体としたものであり、
どこかに切れ目があったのではない。
今それらは三つの全く異なる「教科」になった。

日本史の知識がなくて古文が読めるわけもなく、
読んでおもしろいわけもない。
古文をおもしろいと思うのも、それを文芸作品とか歴史小説とかとして読むからである。
センター試験の問題はそういうコンテクストをまったく無視している。
高校生に嫌われるのは当然だ。

日本史の方もそうだ。
日本史なんてものは、古文という古典文芸作品の集成がなければ、
この地球上において単なる極東のローカルな歴史に過ぎない。
おもしろいはずがない。

戦前はまだ日本史と古文は密接に連携していたが、戦後は無残に切り刻まれた。
平家物語や太平記は死んだ。
今更蘇生させるのはほとんど不可能だ。
特に問題なのは太平記を読まなくなって南北朝・室町・応仁の乱までの流れがまるで見えなくなってしまったことだ。ほとんどの日本人は室町音痴だ。
その最たる例は司馬遼太郎。

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