酒でたとえると、若者はやはり、アルコール低めの甘いカクテルのようなものが好きなわけです。
自分も最初はカクテルなどから酒の味を覚えはじめ、
だんだん飽き足らなくなって、強い酒や苦い酒、臭い酒を飲むようになる。
微妙な味わいの違いをたしなむようになる。
そっから先は日本では違法だが、
なら自分で自分の好きな酒は造ろうなどと考えるようになるだろう。
私が書いている小説というのはたぶんそういうものだ。
だから重い。
難しいというより、重い。
中年オヤジ特有の重さだ。
泥炭臭い、木香の強い、シングルモルトみたいな味。
嵐が丘で農夫が自分で適当に樽でエールを醸してジョッキに酌んで飲んでる。
もちろん常温だ。ぬるくて苦い。
たぶんまずいだろう。
だがそんなものも一度は飲んでみたいと思うのがオヤジだ。
まずくても自分で作ったものが飲みたい。
工業製品ではない、当たりはずれのある、自然と偶然の産物が飲みたい。
近代以前の、家内制手工業みたいな状態に立ち返ってみたい。
現代社会に生きているある種の反動なのだろう。
自分でもしかし普段は軽い酒を飲むし、
飲みすぎれば限りなくウーロン茶に近いウーロン割りを飲んだりする。
体の調子が良くないというか不安定なのでノンアルコールビールやホッピーの外なんか飲んだりする。
軽い酒はそういう飲み方もできる。
BGM代わりにテレビをつけっぱなしにしているようなもの。
山梨とか長野で、脱サラして蕎麦屋をやってるおやじみたいなことを、
自分もやっているんだなと思う。
蕎麦は地元の天然もの、蕎麦は自分で引いて打つ。もちろん蕎麦粉100%。
儲かるわけがない。
店主にはなれるだろう。そこそこ繁盛すれば、一応プロと言ってみることもできるかもしれない。
しかしそれだけでは自己満足に過ぎぬ。
世間一般ではうどんやスパゲッティが流行る、という構図と同じだ。
多くの中年おやじが次々に同じところにはまる。
だから駄目だとは思わない。
事例研究したうえで、きちんと対策を立てなきゃと思う。
自分で酒を醸して自分で飲むのならともかく、
人に飲ませなくてはならないとすると、
もっとさらっと飲める軽いものをたくさん作る必要があるんだろうなと思う。
そのうち軽い酒に飲み飽きてもっと重いのが飲みたいと思っている自分と同じ中年オヤジの目にふれるかもしれん。
それまでは軽いのを作ったほうがいい。
個人的にはシングルモルトは嫌いじゃないがあまり飲まない。
青酎みたいな臭い芋焼酎を飲んでいたらある日突然飽きていまは焼酎の中では麦焼酎が一番好みかな。
ビールもエビスとかシメイみたいのを飲んでて飽きて、今は普通にピルスナー飲んでる。
スーパードライとかモルツとか軽くて好き。
日本酒はだんだんわかるようになってきた。好きだがすぐ酔うから困る。