ガス抜きとしての中島敦

中島敦は難解だと言われている。
山月記、名人伝、弟子、李陵。
確かに漢文調で、難しい。少なくとも高校の国語教科書で初めて読まされると、
とてつもなく高度で高次元な文学のようにみえる。
中島敦はしかし戦争中のごく短い期間しか小説を書かなかった。
しかも、中島敦の作品は上の四つ以外はほとんど読まれることがない。
なぜかというに、上記四作品は戦後の国語教科書で好んで採録されたからだ。

私自身中島敦は大好きだった。
高校のとき、夏休みの読書感想文の宿題は毎年「李陵」を書いたくらいだ。
今五十近くになって読み返すと確かに面白いが、しかしめちゃくちゃ面白いというわけではない。
中島敦がこの小説を書いたのは三十三だ。
錯覚かもしれないがそう思える年になったことを素直に喜ぶべきなのだろう。

思うに、私はもともと(今そうであるように)本居宣長や頼山陽のような、江戸の学者が書くようなものが好きだったのだろう。
だが、本居宣長や頼山陽などは、戦後民主主義教育ではほとんど完璧に隠蔽された。
何かものすごいものが隠蔽されているのを感じる。
オーラが漏れ出てくるからだ。
しかしその実態は、大人たちが懸命に隠しているので子供の目には触れない。
プラトンのイデア論ではないが、私はそのオーラの発信源が何か、その実像は何かについて知りたいと思った。
たとえば小室直樹に惹かれたのはそのためだったと思う。

戦前の右翼教育を完全に封じ込めた日教組は、しかし、そこに不自然な細工が残るのが気に入らなかった。
戦前の文学でも、戦時中の文学でも、良い物はよい。漢文教育にも良いものはある。
戦前教育を完全に葬り去ると漢文教育自体が成り立たなくなる。それは困る。
そこで、比較的人畜無害な中島敦の小説が選ばれた。
中国の歴史書や伝奇小説を素材にして、そのまま現代小説に仕立てたたぐいのものだ。
子供たちに容赦のない漢文調の文章を学ばせるために。
つまりもっと露骨な言い方をすれば、戦後の教科書に掲載されている中島敦の小説というのは、
戦前の日本外史や太平記などの代用なのだ。
私自身中島敦の作品に親しまなければ日本外史や太平記にたどり着くのにもっと時間を要しただろう。
しかし、中島敦を経ずにいきなり日本外史や太平記を学んだ方が、話はずっと速かったはずだ。
もし中島敦の作品がそれ以外の意味においても優れているのであれば、
かの教科書の作品以外のいろいろな小説も好まれたはずだ。

中島敦の小説は戦争の真っ最中に書かれたものであるが、その時代精神は、「山月記」などでは極めて希釈されてはいて、ほとんど感じ取ることができない。

彼の作品がなぜ「教科書にある」のか、なぜ「古典として学ばねばならない」のか、その真の意味が教師から説明されることはない。
多くの教師も、そもそもそんな意味を知りもしなかっただろう。
そして今日、単なる惰性で中島敦は読み続けられている。
かつてそんな企てが教科書出版業界であったことも忘れられてしまったのだろう。

「墨攻」で中島敦賞をもらった酒見賢一が中島敦について書いていた。
群ようこも書いていた。
中島敦はよくわからんと。全集を読むとますますわからなくなると。
いったい中島敦という人はなんなのかと。
つまり中島敦はその全著作の中のたまたま漢文調の堅苦しい小説だけに需要があった。
ほかのほんわかとしたエッセイみたいな小説や、スチーブンソンの宝島みたいなのや、
エジプトやメソポタミアのファンタジー小説みたいなのや、そんなのは無視された。

それが中島敦の謎の真相だ。

中國哲學書電子化計劃

> 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

教育勅語だが、
たとえば中文版wikipedia に
[教育敕語](http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E6%95%95%E8%AA%9E)
なるものがあり、漢文訓読文を漢文に戻しているのだが、

> 朕惟我皇祖皇宗,肇國宏遠,樹德深厚,我臣民克忠克孝,億兆一心,世濟其美。此我國體之精華,而教育之淵源,亦實存乎此。爾臣民孝于父母,友于兄弟,夫婦相和,朋友相信,恭儉持己,博愛及衆,修學習業,以啓發智能,成就德器,進廣公益,開世務,常重國憲、遵國法,一旦緩急,則義勇奉公,以扶翼天壤無窮之皇運。如是者,不獨為朕忠良臣民,又足以顯彰爾祖先之遺風矣。斯道也,實我皇祖皇宗之遺訓,而子孫臣民之所當遵守,通諸古今而不謬,施諸中外而不悖。朕與爾臣民。俱拳拳服膺。庶幾咸一其德。

これの「孝于父母、友于兄弟」なんて言い方があるんかいなと思い、
[中國哲學書電子化計劃](http://ctext.org/zh)
で調べてみる。
すると、劉向という前漢の学者が著した「說苑」の中の「談叢」という項目で

> 孝於父母,信於交友,十步之澤,必有香草;十室之邑,必有忠士。

などと言ってることがわかる。おそらくこの「孝於父母,信於交友」が「孝于父母,朋友相信」の原型なんだろうなとわかる。ここで驚くべきことは「孝於父母」と「孝于父母」は助字が微妙に違うのに検索できているということだ。また、董仲舒が

> 君者將使民以孝於父母,順於長老,守丘墓,承宗廟,世世祀其先。

などと言っている。これも教育勅語的なフレーズだ。最後の部分など「世世厥ノ美ヲ濟セルハ」を思わせる。

というわけで、なんて便利なんだろうなと思ってしまった。「友于兄弟」についても、論語で

> 或謂孔子曰:「子奚不為政?」子曰:「云:『孝乎惟孝、友于兄弟,施於有政。』是亦為政,奚其為為政?

と出てくることがわかる。

軍人勅諭などは日本外史から来ているようだが。

いやいや、調べてみたくなったのは「亦實存乎此」の箇所だった。
漢文的には「実在此処」とかではないのだろうか。