「山月記」はなぜ国民教材となったのか

私は中島敦が好きなのでこの本を読ませてもらったのだが、
まず、
高校国語教師というのは、
おおよそただの人である。
指導要領もなしに授業などできない。
では指導要領を作るひとたちはどうかと言えば、
別に彼らが特に中島敦を理解できるわけではないだろう。
だから「山月記」が高校の国語の教材として採録されれば、
このような「誤読」や間違った「教育」が行われうるのは当たり前であって、
国語教育批判はたとえば丸谷才一の『日本語のために』などが古くからあるのに、
今更わざわざ怒ってどうするのかと思う。

次にこの作者は『山月記』がわかっていてこれを書いているのか。
いや、わかる必要はない。
自分なりの解釈、自分なりの思い込みがあればそれでよい。
しかし、結局言っていることはこれは古潭という連作の中から切り取られて、
わざと短編小説となって、わざとらしいお説教臭い教材に仕立てられたというだけだ。

[中島敦生誕百年](/?p=10114)や
[ガス抜きとしての中島敦](/?p=10058)
に書いた通りだが、
ドナルドキーンがなんといおうと中島敦の作品は戦争小説ではない。
あれは、南洋の現地人に日本語を教育するための教科書の教材として自ら書いてみたものだ。

「山月記」がなんで漢文調かっていえば、それは漢文をいきなり教えるのは難しいが、
漢文は日本語教育に不可欠だから、わざと漢文調の文章をこさえたのである。

それからみんなだまされているが中島敦は必ずしも漢文は得意じゃない。
漢学の家に生まれたわけでもない。
商人の祖父が趣味で漢詩をかじってただけで、
中島敦よりも漢詩がうまい人は明治時代にはざらにいるし、
江戸時代ならもっといる。
昭和だとそんな多くなかったかもしれないが、
少なくとも永井荷風は中島敦よりちゃんとした漢詩を作った。
中島敦も彼の叔父も漢詩は平仄がむちゃくちゃ。
「山月記」に出てくる漢詩も中島敦には決して作れないまともな詩だ。

それでまあ考えられるのは中島敦は、山月記とか李陵なんかは、わざと、
擬古文みたいにして、難しい和漢混淆文を書いたのだということ。
もともと教科書の教材として書いたものだから教科書と相性が良くてもおかしくない。

山月記自体は面白い教材だと思うが、
私ならちょっと悪趣味だが「山月記」と一緒に原作の「人虎傳」を読ませるだろうと思う。

> 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

というところは

> 隴西李微博學弱冠從州府貢焉時號名士天寶十五載春於尚書右丞楊門下登進士第後數年調選補尉江南微性疎逸恃才倨傲不能屈跡卑僚

の訳である。「才穎」「虎榜に連ね」などという表現に若干のオリジナリティーがあるが、
だいたいは同じである。
いきなり「人虎傳」を教材にしては難しすぎるから、中島敦が多少現代風にアレンジした、
というあたりが真実だと思う。

追記: [人虎伝](/?p=14480)、
[中島敦の書簡と日記](/?p=14710)。

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