ガス抜きとしての中島敦

投稿者: | 2012年4月4日

中島敦は難解だと言われている。
山月記、名人伝、弟子、李陵。
確かに漢文調で、難しい。少なくとも高校の国語教科書で初めて読まされると、
とてつもなく高度で高次元な文学のようにみえる。
中島敦はしかし戦争中のごく短い期間しか小説を書かなかった。
しかも、中島敦の作品は上の四つ以外はほとんど読まれることがない。
なぜかというに、上記四作品は戦後の国語教科書で好んで採録されたからだ。

私自身中島敦は大好きだった。
高校のとき、夏休みの読書感想文の宿題は毎年「李陵」を書いたくらいだ。
今五十近くになって読み返すと確かに面白いが、しかしめちゃくちゃ面白いというわけではない。
中島敦がこの小説を書いたのは三十三だ。
錯覚かもしれないがそう思える年になったことを素直に喜ぶべきなのだろう。

思うに、私はもともと(今そうであるように)本居宣長や頼山陽のような、江戸の学者が書くようなものが好きだったのだろう。
だが、本居宣長や頼山陽などは、戦後民主主義教育ではほとんど完璧に隠蔽された。
何かものすごいものが隠蔽されているのを感じる。
オーラが漏れ出てくるからだ。
しかしその実態は、大人たちが懸命に隠しているので子供の目には触れない。
プラトンのイデア論ではないが、私はそのオーラの発信源が何か、その実像は何かについて知りたいと思った。
たとえば小室直樹に惹かれたのはそのためだったと思う。

戦前の右翼教育を完全に封じ込めた日教組は、しかし、そこに不自然な細工が残るのが気に入らなかった。
戦前の文学でも、戦時中の文学でも、良い物はよい。漢文教育にも良いものはある。
戦前教育を完全に葬り去ると漢文教育自体が成り立たなくなる。それは困る。
そこで、比較的人畜無害な中島敦の小説が選ばれた。
中国の歴史書や伝奇小説を素材にして、そのまま現代小説に仕立てたたぐいのものだ。
子供たちに容赦のない漢文調の文章を学ばせるために。
つまりもっと露骨な言い方をすれば、戦後の教科書に掲載されている中島敦の小説というのは、
戦前の日本外史や太平記などの代用なのだ。
私自身中島敦の作品に親しまなければ日本外史や太平記にたどり着くのにもっと時間を要しただろう。
しかし、中島敦を経ずにいきなり日本外史や太平記を学んだ方が、話はずっと速かったはずだ。
もし中島敦の作品がそれ以外の意味においても優れているのであれば、
かの教科書の作品以外のいろいろな小説も好まれたはずだ。

中島敦の小説は戦争の真っ最中に書かれたものであるが、その時代精神は、「山月記」などでは極めて希釈されてはいて、ほとんど感じ取ることができない。

彼の作品がなぜ「教科書にある」のか、なぜ「古典として学ばねばならない」のか、その真の意味が教師から説明されることはない。
多くの教師も、そもそもそんな意味を知りもしなかっただろう。
そして今日、単なる惰性で中島敦は読み続けられている。
かつてそんな企てが教科書出版業界であったことも忘れられてしまったのだろう。

「墨攻」で中島敦賞をもらった酒見賢一が中島敦について書いていた。
群ようこも書いていた。
中島敦はよくわからんと。全集を読むとますますわからなくなると。
いったい中島敦という人はなんなのかと。
つまり中島敦はその全著作の中のたまたま漢文調の堅苦しい小説だけに需要があった。
ほかのほんわかとしたエッセイみたいな小説や、スチーブンソンの宝島みたいなのや、
エジプトやメソポタミアのファンタジー小説みたいなのや、そんなのは無視された。

それが中島敦の謎の真相だ。

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