美少年

平家物語の中に保元・平治の乱の記述がないのはそれぞれ保元物語、平治物語というものがあるからだろうか。

神田神保町の某古本屋で吉川英治著新平家物語全16巻セットを1600円で購入。
異様に安い。
内容はまあまあ。

村上春樹著、平将門研究とかいう本があったので、wikipediaで調べてみたが、
1Q84の著者とは同姓同名の別人らしい。
実に紛らわしい。

神田駅西口の某居酒屋で美少年1合300円であったので、飲んでみる。
昔ながらの甘い酒。
美少年酒造は火の国酒造と社名変更したそうだ。
美少年ブランドの酒はおそらく在庫限りでもう飲めまい。

西光が斬られる、辺りまで読んだ。

平家物語には驚くべきことに、
保元の乱も平治の乱も出てこない。
いや、保元・平治の頃などという言及は出てくるのだが、
物語として記述されてない。
不思議と言えば不思議だ。
保元・平治の乱については既知として読まねばならない。

重盛の性格描写も清盛に劣らぬくらい不自然だよなあ。

思うに、応仁の乱の頃は登場人物も多くなんかごちゃごちゃしてて、
よくわからんがそれに比べると鎌倉幕府の頃まではシンプルでわかりやすいと思っていたのだが、
実際のところは後世になるほど日記などの基本資料の数が増えて、
説話や軍記物に頼らずとも歴史が構築できるので、
自然と話がややこしくなるのだろう。
平家物語は、敵味方や善悪があまりにも単純化されていて、
歌舞伎や浄瑠璃程度しか歴史を反映してないのだろう。
清盛や重盛がほんとはどんな人間だったかなどはほんとはよくわからないのだな。

途中で滅んでしまった平氏にくらべると源氏のほうはそうとう詳しく歴史が残ってる感じだわな。

二代の后

ふたたび、平家物語。
「二代后」という話があって、
藤原多子(「まさるこ」と読むらしい)が近衛天皇の后となったが、近衛天皇は17才で崩御し、
多子は太皇太后となる。
太皇太后といっても当時まだ多子も17才だった。

その後、後白河天皇をはさんでその次の二条天皇の強い要望により(と平家物語には書かれている)再び入内して后となった。
それで多子のことを「二代后」という。
当時、多子21才、二条天皇は18才。
しかし二条天皇も23才で崩御し、その後多子は出家する。
ちなみに近衛天皇は二条天皇の叔父に当たる。

ふうん、そんな話があったんだ、とは思うものの、これまた源平合戦とはなんの関係もない、
単に平家一門全盛時代にあった一つのエピソードに過ぎんよなこれは。

この、平家物語を読んで行くに、確かに平清盛はやってることはえげつなく、悪者だったかもしれんが(笑)、
権力抗争というものはどうしても極端まで行ってしまうものであり、
同じことをかつて藤原氏がやってきたのであって、
平氏だけが責められる筋合いのもんではないような気がする。
藤原道長だって四天王とかいう自警団もっててそうとうあくどいことやってたに違いない。

清盛の嫡男、重盛は忠と孝のはざまで苦しんだ「義人」のように書かれているが、
これもどうだろうか。
あの状況では平氏は藤原氏に取って代わるより他に方法はなく、
清盛がやっていたことも、その後源氏や北条氏がやってきたことと大差はない。
藤原氏が平氏を憎んで滅ぼして、結局は源氏がその役割を引き継いだに過ぎない。
ならば重盛がもっと要領よくやった方が動乱は少なくすんだ可能性が高い。
天皇家や藤原氏とうまくやっていれば平家一門はもっと長く続いただろう。

いやあ、しかしすごい時代だな。
政争・戦乱、また戦乱。

ブリーフ

ジーパンをはくようになって気がついたのだが、
トランクスってへその辺りまであるし、
最近はシャツをジーパンの中に入れないから、
シャツをめくるとトランクスが見えてしまいみっともない。
そこでブリーフをはくということになるのだろうと思う。

Tシャツ着てそれをズボンに入れてそのうえにアロハかなんか羽織ると格好が付くのかもしれんね。

けっこう痩せてきたつもりだが、
やせるほどにへそ周りに肉だか皮だかしらないがたぷんとあまった感じになる。
あと3kgも痩せればやっとこれも落ちるんだろうか。