宣長の歌
> 書読めば昔の人はなかりけりみな今もある我が友にして
僕らの世代が、昭和を、超克すべき過去だと思っているのは、つまり、自分も昭和世代であり、
自分より上の昭和世代から、搾取され、強制され、抑圧されたと感じているからだ。
相対的に、明治や江戸時代にあこがれを感じるのかもしれない。
おそらく日本史上最悪の時代というのは日中戦争が始まってから、高度経済成長が始まる前までであり、
この時代に体罰とか、或いは年功序列とか、或いは終身雇用のような、悪しき昭和の残滓とでも言えるものが、
一般化したのである。
紙巻き煙草のようなものもそうで、私の祖父の時代にはまだキセルやパイプなどで刻み煙草を吸う方が一般的だったのが、
紙巻き煙草になってからは路上でも飲食店でも勝手に煙草を吸うようになったのである。
戦前にはまだ平家物語や今昔物語やら太平記が普通に読まれていて、
だから芥川龍之介が古典を題材にしたりした。
つゆのあとさきを読むと、江戸時代の戯作を現代風にアレンジして大当たりした作家などが出てくる。
要するに、近世の日本の文芸と、西洋から輸入された近代文学とを適当にまぜあわせると、
割と簡単に小説というものができあがった時代なのではないか。
今の日本で近世文学を復刻するのはとてつもなく難しい。
せめて雨月物語とか春暦あたり、できれば日本外史あたりまでを、高校で教えられないのか。
明治大正の小説を今更いくらいじくり回してもしょうがないのではなかろうか。
もっとひどいのは歌学、歌論というもので、
これは今日絶えて久しい。
最近比較的まともにこれを取り上げたのは丸谷才一くらいではなかろうか。
戦前だと佐佐木信綱。
その後和歌というものはどうなってしまったのだろうか。
今の新聞歌壇などは見るに堪えない。
俵万智はすばらしい歌人だが、彼女の歌をまともに論評してあるのを見たことがない。
万葉集から俵万智までをきちんと解説したものがない。
世代は断絶している、といえばそれで良いと思っている。
そんな結論は誰でも簡単に出せる。
歴史的必然性や連続性を見いだすことのほうがずっと難しい。
知識も必要だ。