二代の后

ふたたび、平家物語。
「二代后」という話があって、
藤原多子(「まさるこ」と読むらしい)が近衛天皇の后となったが、近衛天皇は17才で崩御し、
多子は太皇太后となる。
太皇太后といっても当時まだ多子も17才だった。

その後、後白河天皇をはさんでその次の二条天皇の強い要望により(と平家物語には書かれている)再び入内して后となった。
それで多子のことを「二代后」という。
当時、多子21才、二条天皇は18才。
しかし二条天皇も23才で崩御し、その後多子は出家する。
ちなみに近衛天皇は二条天皇の叔父に当たる。

ふうん、そんな話があったんだ、とは思うものの、これまた源平合戦とはなんの関係もない、
単に平家一門全盛時代にあった一つのエピソードに過ぎんよなこれは。

この、平家物語を読んで行くに、確かに平清盛はやってることはえげつなく、悪者だったかもしれんが(笑)、
権力抗争というものはどうしても極端まで行ってしまうものであり、
同じことをかつて藤原氏がやってきたのであって、
平氏だけが責められる筋合いのもんではないような気がする。
藤原道長だって四天王とかいう自警団もっててそうとうあくどいことやってたに違いない。

清盛の嫡男、重盛は忠と孝のはざまで苦しんだ「義人」のように書かれているが、
これもどうだろうか。
あの状況では平氏は藤原氏に取って代わるより他に方法はなく、
清盛がやっていたことも、その後源氏や北条氏がやってきたことと大差はない。
藤原氏が平氏を憎んで滅ぼして、結局は源氏がその役割を引き継いだに過ぎない。
ならば重盛がもっと要領よくやった方が動乱は少なくすんだ可能性が高い。
天皇家や藤原氏とうまくやっていれば平家一門はもっと長く続いただろう。

いやあ、しかしすごい時代だな。
政争・戦乱、また戦乱。

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