アドンとエデン

昔、けっこう一神教の起源について書いたことがある。一神教の起源アトンYHWHアドニヤモーセと一神教文献メモ、などだ。状況証拠的に考えて、アメンホテプ4世の時代のアトン信仰と、出エジプト時代のイスラエル人の宗教に、何の関連性もないと考える方がおかしいのであって、あとはどうやってその連続性を立証していくかという作業があるにすぎないと、私は思うよ。それで、そういう話がどうしてあまり広まらないかと言えば、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒もいずれも、自分たちの宗教のオリジンが、古代エジプトにあるとは、あまり考えたくないからだろう。ただユダヤ人の(無神論者の)フロイトだけが、勇気を持って、その説を主張したのだ。

それで、フロイトが書いた、『モーセと一神教』という本があって、私はそれにすべては書き尽くされていると思ったのだが、フロイトが指摘してない、まだ新しい関連性を発見した。というのは、クアルーン(コーラン)では、エデンのことを「アドン」と言っているということだ。アラブ語はヘブライ語と同じセムハム語系の言語であって、同語源であると言える。それで、ヘブライ語では「主」のことを「アドナイ」という。これは「アドン」の複数形である。神の名は一人でも複数形となるのは、あちらの言語ではわりと一般的である。たとえば神の一人称はWeである。「アドン」「アドナイ」は「アトン」とほぼ同じ言葉であるというのはフロイトの発見だ。そして「アドニス」などとの関連性も、フロイトは示唆している。アドニスはギリシャの神だがもともとはフェニキア人の神であり、フェニキア語はやはりセム語系だ。アメンホテプ4世の別名「イクナアトン(アクエンアテン)」とは「アトンに愛される者」という意味だ。

それで今度はエデンという語の起源をウィキペディアなどで調べてみたけど、これが恐ろしく古い。アッカド語、もしくはシュメール語で「園」もしくは「平原」という意味らしいのだ。ちなみにヘブライ語でエデンは「快楽」という意味らしい。また、ギリシャ語ではパラデイソス、つまりパラダイスと訳される(いかにもギリシャ語語源な語だわな)。いずれにしても「天国」とか「神の国」と言う意味だよ。だけれどまあ、もしエデンとアドンが同語源ならば、一神教はシュメール時代までその起源がさかのぼれることになるよ。どうよ。

エジプトという多神教の世界にいきなり一神教が、忽然として、生まれたというのはやはり無理があり、それはどこか別の世界からもたらされた、たとえば、アメンホテプ4世の王妃がミタンニ王女ネフェルティティであったという説があり、メソポタミア地方に、原初的な一神教が古代から伝わっていた、と考えるのが、やはり自然ではなかろうか。いや、むしろ、異国の地の神が土着の多神教のエジプトに導入されたときに、他の神から阻害され、切り離された存在となって、それが先鋭化して一神教という形になったのかもしれんわな。山本七平が言う、「オリエントの専制君主制が宗教化したもの」ではあるかもしれないが、さらにはそこで、専制君主が多神教社会の中で宗教改革を断行しようとした結果、外来の、異邦の一つの神が、絶対化されて、一神教が生まれたのかもしれん(当時のエジプト王がいわゆる「専制君主」といえるかはわからん。神官の長のような権威的存在だったかもしれんし)。とかく、宗教改革というのは、一つの神に権威を集中させ、他を排斥しがちなものであり、いわば、宗教改革というものが、一神教を生み出した根源的な原因かもしれん。その歴史的な最初の例がアメンホテプ4世だったのではないか。

くどいが、一神教だから宗教改革に発展したのではなくて、宗教改革の結果、一神教が生まれたのではないか。

ミタンニは印欧語族だという。エデンの園が東の方にあったというのは、ミタンニ王女の国がエジプトの東方であったことを意味しているのかもしれんよ。

句読点とかぎかっこの件

[つづき](/?p=7708)だが、
気になったのでいろいろ調べてみると、閉じカギ括弧の直前の句読点を省略するものがほとんどであるが、
たまに、省略しないものがある。
たとえば岩波文庫1988年初版『千一夜物語』。

しかし、岩波文庫でも、葉山嘉樹『淫売婦』では省略している。
[青空文庫版](http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/397_21662.html)でも同様に省略されている。

永井荷風の『墨東綺譚』だが、今手元にないけど、これは句読点を省略してなかったはず。
[青空文庫版](http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/52016_42178.html)でもやはりついている。

森鴎外、夏目漱石、志賀直哉、菊池寛らはつけてないようだ。
しかし、芥川龍之介は付けていたようだ。

こうしてみると、作家によって付けたりつけなかったりしているということだろうか。

中島敦は付けたりつけなかったりしたようだ。つまり、比較的単文のものにはつけず、長いものにはつけている。

ふーむ。
結構根の深い問題のようだが。

しかし、我ながら、今までまったく気づかなかったのを見ると、省略されていてもほとんど気にならないってことかな。

文部省が、句点を省略しないのを推奨しているのは、おそらく欧米文でそのようにクオーテーションの最後のピリオドを省略するなどという記法を採用している国が無いからではなかろうか。
句読点や引用符を付けたというのは要するに欧米の真似であろう。
日本や中国にはもともとなかったのであるから。
むしろ、欧米文学に詳しい作家たちが(明治以後の作家で欧米文学の影響を受けてない作家などいないと思うのだが)、
敢えて日本独自のローカルルールを採用したということの方が驚きだ。

私の場合、()「」!、。などの記法は基本的には英文に準拠していると言ってよい。
たとえば、英文が
“This is a pen.” と書くならば、日本語でも「これはペンです。」と書くだけのこと。
This is a good pen (in some sense), but too expensive. だと、
これは良いペンだ(ある意味では)、しかし高すぎる。
などと書くだろう。
もっと言えば、英文を書くときと日本文を書くときでルールを変えるのが嫌だ。ルールは統一したいでしょう。

万kW

しつこいようだが、日経新聞を読むと、万kWは「万㌔㍗」と表記されていた(笑)。
さらに「京ベクレル」などという表記も。
日経は経済新聞として、日本の新聞は、メートル法が定めているメガ・ギガ・テラ・・・ではなく、
千万億兆京垓・・・を使うべきであると考えているようだ。
しかし、キロは例外的に使ってもよく、数字は三桁でコンマを打つのであろう。
うーむ。

うーんと、1京は、10の16乗、10の15乗がペタだから、1京は10ペタだな。
だから1京ベクレルは10ペタベクレルというべきなのでは。

パスタソースのレトルトパック

しつこいようだが、私は、職場で一人分、蕎麦やパスタや素麺をゆでて食べるもんだから、気になるのだが、
最近のレトルトパックは銀色ではなくて、透明で中が見えるようになっているものがある。
むろん中が見えないより見えた方が良いのに違いない。
それから、あけくちが細口と広口が用意されており、どちらも手で簡単に開けられる、と書いてある。
しかし私は、広口のほうを、さくっとはさみで切ってあけてしまう。
これが一番便利で楽に決まってる。
もっと言えば、中身が見えない、昔のレトルトパックであっても全然かまわない。
私のような人間の方が、ずっと多いに違いない。

転封

転封というのは、漠然と、征夷大将軍が大名に対して行うものだと思われているのだが、
豊臣秀吉が徳川家康に対して行った例もある。このときの秀吉の官職というのは、関白とか太政大臣といったものだった。
Wikipedia では、転封というのは、秀吉が家康に対して行ったのが最初のように書いてあるが、
室町幕府でも、守護大名の領国の任免などを行っていたはずであり、これも転封の一種なのではないか。
というより、徳川幕府の時代のたびたびの転封というのは、
室町幕府が征夷大将軍という官職で行った守護大名支配を踏襲したものに違いない。
興味深いのは、明治政府が徳川慶喜に対して行った転封である。
慶喜は「駿府藩」に転封になっている。
一体誰がどのような権限で元征夷大将軍に対して、転封を行ったのか。

『続徳川実記』などを読んでみれば、おおよそ書いてあるのではなかろうかと思うが、
中心人物は、三条実美であったろう。
この明治維新の折には、内大臣も太政大臣も居ない。
しかし、三条実美は太政大臣クラスの人物であって、いわゆる「七卿落ち」のメンバーの一人で、
薩長側の公卿ではあったが、徳川家の立場にも理解を示したと思われる。
三条実美は徳川家の家督を家達に継がせ、駿河に転封する形で徳川家を残し、
勝海舟に銘じて旗本らを、船で静岡に移住させたのだ。