転封

転封というのは、漠然と、征夷大将軍が大名に対して行うものだと思われているのだが、
豊臣秀吉が徳川家康に対して行った例もある。このときの秀吉の官職というのは、関白とか太政大臣といったものだった。
Wikipedia では、転封というのは、秀吉が家康に対して行ったのが最初のように書いてあるが、
室町幕府でも、守護大名の領国の任免などを行っていたはずであり、これも転封の一種なのではないか。
というより、徳川幕府の時代のたびたびの転封というのは、
室町幕府が征夷大将軍という官職で行った守護大名支配を踏襲したものに違いない。
興味深いのは、明治政府が徳川慶喜に対して行った転封である。
慶喜は「駿府藩」に転封になっている。
一体誰がどのような権限で元征夷大将軍に対して、転封を行ったのか。

『続徳川実記』などを読んでみれば、おおよそ書いてあるのではなかろうかと思うが、
中心人物は、三条実美であったろう。
この明治維新の折には、内大臣も太政大臣も居ない。
しかし、三条実美は太政大臣クラスの人物であって、いわゆる「七卿落ち」のメンバーの一人で、
薩長側の公卿ではあったが、徳川家の立場にも理解を示したと思われる。
三条実美は徳川家の家督を家達に継がせ、駿河に転封する形で徳川家を残し、
勝海舟に銘じて旗本らを、船で静岡に移住させたのだ。

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