仕事を減らす

この年になると何もしなくても勝手に仕事が勝手に増えていく。逆に体力は落ちていくから、何もしなくてもだんだんに生きるのがしんどくなる。昔書いたものの手直しだけでも膨大な作業量になる。

では何をすべきかといえばできるだけ仕事を減らし、できるだけ遊びを減らして、ひまな時間を増やして、疲れないようにしなくてはならない。人間関係も減らす。娯楽も減らす。とにかく減らす。あと物を減らす。物があるとそれだけ手間が増えるから、可能なら減らす。消耗したらできるだけ補充せずに増やさないようにする。何もかもマイナスにマイナスになるように考える。

楽しいからといって遊びを増やしたり、やりがいがあるからといって仕事を増やしたりするととても大変なことになる。

退屈でどうしてもなにかやりたくなったらまずその日どうしてもやらなくてはならないことから手をつける。お茶をいれるとかご飯を炊くとか歯を磨くとか部屋を片付けるとか服を片付けるとか。そうしたことでなにかやりたい気持ちや何かをやろうと思えばやれた時間などを消費して、なんかやった気分になる。いや実際になんかやってるわけなんだけどね。

それでもまだなにかやりたくなったら将来どうせやることになる仕事を片付ける。ここで大事なのは余計な仕事を増やさないことだ。逆に仕事を減らすことだけをやる。定年退職したあとはしらんが、退職するまではずっとそれでいく。

アメリカ人の借金

アメリカは経済を失速させないようにどんどん通貨を増やすからインフレになる。インフレを放置するか金利を上げるかどちらかということになる。どちらにしても個人消費は減ることになる。ところがアメリカの消費者はインフレになろうが金利があがろうが消費を減らさない傾向がある。貯金を使い果たすと借金をしてでも消費し続けようとする。

消費が減ればインフレは収まり、金利も下がるのだが、アメリカはなぜかいつの間にか消費者が消費を決して減らさない社会になってしまった。だから政府が経済を活性化させるために通貨を増やした分、ほぼ自動的に個人の資産が減ることになってしまった。

クレジットカードやデビットカードの支払いが滞るとそれを車や家のローンに組み込む形で借り換える。そうして借金はより見えにくい形の借金にかわるだけで減るわけではなく、むしろ増えていく。以前のサブプライムローンよりもさらに巧妙で見えにくい形の借金が増えている状態であろうと推測される。

そうして信用を失ったり、破産したりした人が増えていけば、いつかは金融機関の連鎖破産ということが起きる。金融業界の再編で済むうちはよいが、個人預金が保証されなければそこでついに経済が失速する、ということになる。

じゃあ政府がドルを刷るのをやめればいいじゃんと思うけど、それをやると大恐慌がきたり、日本のバブル崩壊のようなことがおきてやはり経済は破綻する。

アメリカは覇権国家だし、人口もまだ増え続けているし、情報産業は絶好調だから、アメリカという国自体がぽしゃる可能性は低いが、個人の借金を制御できなくてしばしば経済が不安定化する、ということだろう。要するにアメリカ人が全体として身の程にあった生活をして、借金してまで贅沢しなければよいだけのことだ。企業もメディアもどんどん物欲を刺激して消費させるから、それになんらかの規制をかければよいのではないかなあ。

日本保守党は面白い

ネトウヨ政党というのを以前書いたが、日本保守党が面白いというより、飯山陽はちょっと面白い。今選挙の投票率が異様に低いのは自民党が面白くなさすぎるからだ。しかし自民党以外に批判の票を入れたくても他に入れられる政党がない。

自民党はとっくに解体すべきなのだが、政権与党にしがみついていて、生存し続けることが最優先になっていて、それが日本の政治をあまりにもつまらなくしている。これじゃダメだろ。麻生が派閥政治自体は悪くないと言っていたが、そりゃそうで、政党政治とは派閥政治そのものだ。複数の政党が一つの政党であるがごとく偽装しているのがそもそもよくない。

私は日本保守党の党首が全然好きではないし、ネトウヨが好きではないし、彼らの歴史認識はあまりにひどいと思う。しかしものわかりのよい右翼ばかりでは政治は動かない。ちょっと暴れるくらいの右翼がいなくてはならない。なぜなら国民大衆というものは基本的に物わかりが悪いからそれにある程度まで政治を合わせなくてはならないからだ。そのために自民党の中にもものわかりの悪い人はたくさん混じっているのだが(多分)、そういう人はなかなか可視化されてこない。

飯山陽はちょっと頭の良い人なので日本保守党の党首とは違う。だがそれを認識したうえで是々非々でやると言っているところが面白い。日本保守党にはもっと面白い人材があと二人か三人くらい集まると良いと思う。そしたら少しおもしろくなってくる。ただそうなってくると今の日本保守党執行部は気分良くないだろうな(笑)。

プロンプト

今の生成系AIはユーザーとの対話、つまり、プロンプトのやりとりによってAIが学習しているかのような錯覚を覚えるのだが、AIの学習はすべて終わったあとであって、ユーザーから与えられたプロンプトとそれに対する回答、及び追加のプロンプトの組み合わせによって答えを絞り込んでいるだけであって、ユーザーとの対話によってAIが学習して賢くなることはないのだ。原理的にありえない。

だからこちらからいくらこちらの好みを伝えようが、彼らが学習した範囲以外のことは決して思いつかない。こちらからいくら間違いを指摘しようとも、彼らが学習した範囲以外の正解にたどり着くことはない。私たちがいくら彼らのために良かれと思ってプロンプトを工夫したところでAIが賢くなることはないのだ。

AIはものすごい時間と手間暇と金をかけてすでに学習した後なのだ。ユーザーのプロンプトぐらいでは彼らの学習成果になんらかの影響を与えることなどできない。

プロンプト

コロナにかかって約2週間、やっと嗅覚が戻ってきつつあるように思う。醤油、わさび、ケチャップ、化学塗料の匂いなどなど。

一つのことにあまりに集中すると、それ以外のことではもう一生懸命になれなくなるということはあると思う。今回一冊の本を書くためにものすごく時間とてまひまをかけた。てまをかければかけるほどよくなっていくのがわかる。今まで書いていたものはいったいなんだったんだろうともおもうし、もうこれ以上のものは書けないだろうなとも思う。これ以外のことでこんなに充実した気分になるのは不可能な気もする。この本を書き終えて世に残せたらあとはもうどうでも良い、みたいな気分にもなる。

日本経済はどうしたこうしたとか、これから何が伸び何が廃れるとか20年後に死ぬ私にはなんの関係もない。興味がもてない。もう好きにしてくれとしか思えない。思えば去年はいろんなことをやったが、だいたいのことはやったような気がする。だから去年までにやったことを多少手直ししてあと定年までの七年間もたせる。もうそれで良い気がする。そうするとだいぶ楽になるし時間の余裕も出るように思える。

今の生成AIって要するに「プロンプト」に対していかに的確な言葉なり画像なり動画を返すか事前にあほみたいに学習しておく、っていう原理にすぎない、つまり「プロンプト」に対する最適化問題にすぎないから、ある種のゲームのルールの中で最適解をみつけだす「メソッド」ではない。つまりゲーム理論みたいなものからはすごく遠いように思える。たとえば17文字で俳句を作れとか31文字で和歌を詠めみたいな「プロンプト」に対してはそもそもその17文字とか31文字という制限が今の生成AIには守れない。間違いを指摘しても改めることができない。与えられたルールの枠組みの中で最適なものを出すということができず、勝手に最適だと学習したことを返してくる。

今のAIにゲーテみたいなドイツ語の詩を作れというと、太陽が輝いて鳥が歌い、人々は楽しげで花は色とりどりに咲く、みたいなあほみたいな詩を作る。じゃあハイネみたいな詩を作れというと、春は過ぎ去り夏は来る、昼は黄金色で夜は花が香る、みたいな詩を作る。

geminiとの対話

関係ないこと

近頃は youtubeを見ても twitter を見ても何にも面白くない。だいたいみんな見飽きたというのもある。最初は面白くてもすぐに飽きてしまう。あと20年くらいで死ぬのでいまさら新しいことを始めても仕方ない。つまらないことはどんどんやめてしまって、行きたい店だけ通ってほかのいろんな店はみんな行くのをやめてしまうくらいでよいと思う。

茸本朗とかノージョブフドウとか楽しくみていたのだが、だんだん感動がなくなってきて、見なくても全然平気になった。

コロナにかかったせいでいまだににおいが戻らない。醤油をかいでも山椒をかいでもまったくにおわないのは困る。ものを食べても酒をのんでもにおいのぶん損している気がする。four roses でも jack daniels でもにおいがないから違いがない。

世の中直接私に関係ないことであれこれ考えても仕方ない。東京都知事がどうなろうとクルド人が増えようとあと20年で死ぬ私には直接関係ない。

家を建てて20年も経つとどこかしらガタが来て、業者がわらわらきて、点検したらどこかしら不具合があって、営業がうるさい。とにかくうざい。営業は営業トークなのであれこれ悩むだけ無駄だ。基本放置が正しい。正直なんの興味もない。こうなってくると持ち家が良いのか賃貸がよいのかわからなくなってくる。独り者なら2年おきに引っ越すのが一番楽ではないか。だがただ年寄りには簡単に部屋は貸してくれないだろうから結局買わねばなるまいなあ。

NTT株

私は自分が株をやり始めた2022年1月あたりを基準に株価を判断するくせがある。そうしてみたときNTT株はまだまだ高い。もちろんNTTは日本でも一番安定した会社だろうから、長期的に見れば今多少含み損があってもいずれは解消されるだろう。

だが、2023年1月あたりからの値上がり分は全部嘘だと私は思っている。なんだか異常な値動きだった。私ならNTTは1株130円くらいまでさがってくれなくては安心して買えない。NTTはさらに法律が変わって国が持っている株を売却するという話もある。そうなると株価は下がりこそすれ上がることはあるまい。

2022年といえばたかが2年前だ。このころNTT株を買った人は、今いくら下がろうと含み損はないわけだ。逆にこのころ買った人は今売っても損はないわけだ。だから売るのになんのためらいもないはずだ。そういう人がたくさんいればNTT株は下がる。ただそれだけのことだろうと思う。

逆に2023年ころにNTT株が上がるのを見てつられて買った人は、いまなぜNTT株が下がるのかわからん、ということになるのだろう。

光の君へ

私はNHKの大河ドラマを見る趣味はないのだが、今回は仕方なく最初から見始めた。

いきなり藤原道兼が紫式部の母親を殺すという展開にはびっくりした。花山天皇の性格設定にもかなり疑問を感じた。

私もフィクションを書くのだけど、歴史に残ってないことはなんでもフィクションにしてよいという考え方は、間違ってはないのだが、ぎりぎりまで考証をして、どうしてもわからないところに補助線をひいて、補助線も引けないところには大胆にフィクションを使う、というのならばまだわかる。

最初からおもしろおかしいように、あるいはわかりよいように、フィクションにしてしまうのは感心しない。

寛和の変のとき道長は20才、右兵衛権佐。三男坊で、文官としての出世をあきらめて武官として出世することを考えていたと思う。では武官として出世するには。そのため源頼信、藤原保昌、平維衡、平致頼ら、道長四天王の若者らとつるんで、自らの武士団を作っていた。おそらくそれは右近衛大将だった父兼家から受けた教育によるものだったはずだ。兼家はきっと清和源氏の将来性に気付いていたと思う。いやというよりも話は逆で、将来伸びる清和源氏に目をつけたから、兼家、道長は天下をとれたのだと思う。

寛和の変で内裏と粟田口を封鎖し、花山天皇が帰ってこれないようにしたのは兼家の指図を受けた道長の役割だった可能性が高い。また父兼家は源頼信の兄源頼光を従えていた。つまり、兼家道長父子は清和源氏嫡流の武力を掌握していたので、兵を速やかに動かし、あのようなクーデターを起こすことができたのだ、と考えるのが自然だと思う。

私だったら道長を野心家の武家の棟梁、昭和の青年将校のような人間として描くだろうと思う。あんなふうなぼんやりとした三男坊にはしない。

大鏡にも競べ弓という逸話が載っているが、道長は普段から武芸を鍛錬した、めちゃめちゃ武闘派の体育会系な人だったと思う。そういう腕白で腕力に訴えようとする人は藤原氏の中に当時、道長以外にはいなかったのだと思う。

あと、あの道長の姉、藤原詮子が妙に理想主義者に描かれているのが気になる。当時の藤原氏は一人残らず、男も女もみんな腹黒い極悪人だった。詮子と道長だけ善人に、兼家や道兼を悪人のように描き分けるのは私の感性からかなり遠い。なんでそんな勧善懲悪的なストーリーにしたがるのかな。だから大河ドラマは嫌いなんだよ。

コロナだった

風邪ひいたという記事を書いたがどうやらコロナだったらしい。いつも風邪は11月に寝冷えして引くのに今回は街中で移されたり、喉がやたらと痛かったり、少し違ってた。

三年前にコロナが流行り重症化する人が多かった、ということは事実だったのかもしれないが、そういうことは数年おきに起こりえることだし、まして中国の秘密研究所から漏れた殺人ウィルスであったはずがない。無意味でばかげたことだった。

だがまあしかし、コロナ、インフルエンザ、普通の風邪と、人が以前より細かに気を遣うようになり、対処方法も明確になり、人も簡単には踊らされなくなったことは多少教訓にはなったのだろう。

アメリカ

物価が上がるとかインフレがなどというが、通貨の価値が下がっているだけなんだよね。なぜ通貨の価値が下がるかっていうと通貨は国が勝手にいくらでも作れちゃうからだよね。国は、国という信用を担保に通貨という形で無から有を生み出している。通貨を増やすと仕事が発生し雇用が生まれるから、景気が悪くなると通貨を増やして公共事業を増やすなどしなきゃいけない。

だけどインフレは企業にとって雇用を減らす動機になる。インフレに合わせて給与をあげないとより給与の高いところに人を取られて人手不足になるから給与を上げるのだが、人件費の発生しないような仕事に切り替えようかっていう話が進んで雇用は減る。

インフレは消費を減らすから、世の中はどうしても不景気になる。不景気になると国はさらに通貨を増やさなくてはならない。

アメリカという国が際限なく借金を増やし通貨を増やしているから世の中なんとなく好景気に見えるわけだが、実際それは見せかけのものにすぎないということよね。ドルが基軸通貨であり続け、アメリカが破綻しない限りアメリカが借金や通貨を増やし続ければ何の問題もない。今のところビットコインがドルにとって代わる気配もない。

日本は金融引き締めしてバブルをつぶしちゃったけど、今のアメリカはバブルをつぶす気などまったくなく、このままひたすら金を擦り続ける、と腹をくくっているはずだ。アメリカが不景気になるということもあまり考えにくい。アメリカは軍需産業という一番おいしい産業を握っているし、人口も増え続けているし、高齢化の気配もない。中国やインドが独自経済圏で回っていくようになるにしてもまだずっと先の話。となると、当分の間アメリカは安泰ってことにならざるをえない。

通貨はインフレで資産価値が目減りするから金を買えという人もいるが、金を買ってずっと塩漬けにしておくのだろうか。そのうち自分の寿命が来てしまう。

一方で金利を上げたり下げたりということは政府とは直接関係がないことのように思える。コロナ騒ぎでアメリカが金利を下げたのは人の消費活動が減ってデフレになったからにすぎない。アメリカはデフレをあまりお気に召さない国だから金利を下げられるだけ下げたのだろう。コロナのようなばかさわぎでもない限りアメリカ人が消費を控え、デフレになるということは今後も(長期的傾向としては)なさそうに思える。

インフレを抑制するには金利を上げて貯蓄に向かわせればよい。また金利を上げればドル高になる。いずれにしても金利を上げたり下げたりしてもあまり意味があるようには思えない。

ところで日本がなぜいつまでたっても金利を上げないのかということだがこれもよくわからない。日本がデフレ過ぎだからだろうか。金利を上げると国債の利息が増えるからだろうか。どうでもよくないか。