ジークムント・フロイト著、渡辺哲夫訳「モーセと一神教」筑摩書房、 勝海舟著, 江藤淳, 松浦玲編「氷川清話」講談社、など読む。
「モーセと一神教」はずっと読みたいと思っていたのをたまたま電車待ちの時間に本屋で見つけて買ったもの。フロイトは80才過ぎてからモーセ論に凝り始めたが、その主張するところは、「モーセはエジプト人」「主(アドナイ)はエジプトのアトン神」「出エジプトはアメンホテプ4世(イクナートン)以後の無政府状態のときにおこった(従ってエジプトの軍勢に追われたり、紅海が割れたというのはすべて作り話)」「ユダヤ教はアトン神(エジプト起源の唯一神)とヤハウェ神(火山の神)の融合」「モーセはユダヤ人に殺された」「割礼はエジプトの古い風習」などなど。アトンは、エジプトの歴史の中で現れた唯一神で、イクナートンの時代に完成され、一旦は破綻した。もともとは無色透明無形な抽象神なのだが、一方でヤハウェは怒りの神、嫉妬の神、えこひいきの神。その本来全く異なる相容れない二つの神が融合したことによって、精神性が非常に高められた一神教が生まれたのだという。フロイトの学説はすべてうさんくさいのだが、モーセ論だけはほんとうじゃないかと思う。多神教でも、すべての神様すべての神話を統合しようとして抽象的な神様を付け足すことはあって、日本神話だと天の御中主の神がそうで、具体的な人格もなければ自然現象や動物や植物などとも関連がない、ただ名前だけがある。しかし名前だけの存在だから、生き生きと動き出すことはまずないし、そもそも後世に人工的に作ったものだから、個別の神話から遊離している。抽象神なのに具体的で強烈な個性というか自我を持った神がどうやってできたのか、というのは実はまだよく解明されてないようだ。