一神教の起源

投稿者: | 2000年9月25日

今日、ステーキのドンで山川出版の世界史小事典をながめていて、ふとヒラメいたのだが、それはユダヤ教の起源ということだ。山本七平は、ユダヤの一神教は、オリエントの専制君主制が宗教化したものだ、と言っている。また、ユダヤ教はオリエントの多神教の中では唯一例外だ、とも言っている。しかし最も古い一神教というのはエジプトのアトン信仰である。エジプト新王国、第 18 王朝のアメンホテプ 4 世、またの名をイクナートンと言うが、彼の宗教改革によって、世界史の中に忽然と現れたのが、最古の一神教だ。イクナートンの宗教改革は失敗し、彼は BC 1354 年に死ぬ。そのあと第 18 王朝は滅びて、古くからのアメン神を中心とする多神教が復興し、アメン祭司長が王に即位し、第 19 王朝が始まる。この王朝の基礎が固まったのは、BC 1290 年に即位したラメス(ラメセス) 2 世からである。

さて、出エジプトという事件が起きたのがまさに、このラメス 2 世の治世のことだと言われている。
モーセという指導者が(たまたまエジプトに寄宿し)、奴隷階級で圧政に苦しめられていたイスラエル人を率いて、エジプトを脱出し、カナーンへと旅立つのである。

さて我々はここに注目しなくてはならない。一神教というのはいったん成立してしまうと、なかなかしぶとくしつこいものだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、皆同じ。ところが、エジプト史では、ただ一代限りのこととして、雲のように消えてしまったことになっている。しかし、ほんとうは、BC 1354 年にイクナートンが死んでも、しばらく彼ら一神教徒は存在していただろう。その中には王族もいれば庶民もいただろう.彼らはおそらくは、政治闘争に敗れたのだから、被支配階級として!つまりは最下層民として、奴隷階級として,存在しており,抵抗運動も行なっていたに違いない.これがイスラエル人なのだ!

BC 1290 年にラメス 2 世が即位し、エジプトの新しい王朝がうまく行き出して、もはや挽回の機会はないと観念したイスラエル人たち、彼ら一神教の信者たち、或いは旧王朝の遺民たちは,自らの信仰と自由を守るために、エジプトを脱出したのだ。ピューリタンが新天地を求めてアメリカに渡るようなものだ。いわゆるカナーン、いまのパレスチナは、もともとエジプトの領土だったこともあるのだから、
国外逃亡というよりは、地方に反中央政権を作ろう、というくらいのつもりだったかも。

モーセの出エジプトは、イスラエル人がまだエジプト人だったころの遠い記憶をとどめているのだよ。

あまりにうまくすっきりと説明できるので私は驚いたね。このような説がいままで世の中に出てないとは信じられないのだが、誰かどこかで聞いたことはありますか。

あっ,ここにも同じことが書いてある.柄谷行人の本で、フロイトが「モーゼはエジプト人だった」と言ったという話.

補注.第 18 王朝は,イクナートンの次のツタンカーメンで BC 1345 年に終わる.名前でわかるように,彼はアメン信仰に改宗させられている.思うに,イスラエル人が生粋のエジプト人だったか,或いはどちらかというと辺境からきた寄留者だったかというのは微妙だ.旧王朝の王族だった連中はもともとのエジプト人だっただろう.しかし,新しい信仰に共感したのは,昔からのエジプト人というよりは,古い伝統には関心が薄い寄留民たちだったかもしれない.だからアトン信仰は主にエジプトに集まってきた外来の遊牧民たちに広まったのかもしれない.どちらにしろ,明確にどっちということはできないように思う.うーむ.しかし,イクナートンが遊牧民の影響を受けた,とも言えなくはない.

おおっ. これは詳しい.

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