親子泣き別れの場面

アルプスの少女デーテをまた少しいじった。

アルムおじさんはナポリで事業に失敗して妻と息子のトビアスを連れて、イタリア半島を北へ北へと放浪しはじめる。傭兵時代に知り合ったイタリア人たちを頼りながら。しかし、どこも長くは滞在できず、ミラノまでくる。アルムおじさんは妻とトビアスをイタリアに残して自分だけスイスに戻ろうとする。妻もトビアスと一緒にイタリアに残りたいと思った。スイスには行きたくなかった。

アルムおじさんはトビアスに、自分と一緒にスイスに行くか、母と共にイタリアに残るかどっちかにしろと言った。トビアスは親子が離ればなれになるのは嫌だと言った。どちらも選べなかった。翌朝、母は行方をくらましてしまい、トビアスは仕方なくアルムおじさんと一緒にスイスに戻ることにした。

まあちょっとした愁嘆場を付け足してみたくなったというわけだ。

もともとは、トビアスがまだ幼い頃、ナポリに居たころにアルムおじさんは妻と別れて、それから何年かトビアスと一緒にイタリア各地を放浪した、だからトビアスは母の面影を知らない、という話だった。

なんかこの話なかなか収束しないな。

ナポリ傭兵

wikipedia で両シチリア王国最後の君主「フランチェスコ二世」を読んでいると、ガリバルディがシチリアに上陸する前に、

軍備面では長年にわたって国王の親衛隊を務めてきたスイス人傭兵隊の大規模な暴動が発生している。フランチェスコ2世は傭兵隊に待遇の改善を約束して彼らをなだめた後、軍に命じてスイス兵を皆殺しにした。暴動を鎮圧するとフランチェスコ2世はスイス傭兵隊の廃止を宣言した。

と書かれている。つまり、スイス傭兵は長らく両シチリア王国の親衛隊として雇われていたが、フランチェスコ二世はその待遇改善を拒んで皆殺しにし、スイス傭兵を廃止した、となる。

ということは、アルムおじさんはそれ以前にやはり直接ナポリで傭兵になった可能性が高い、ということか。あるいはフランチェスコ二世の虐殺の生き残りなのかもしれない。うーむ。そういう話にした方が面白かったかなあ。

ナポリのブルボン家はイタリア語でボルボーネ家というらしい。

英語版 wikipedia だと、

On 7 June (1859) a part of the Swiss Guard mutinied, and while the king mollified them by promising to redress their grievances, General Alessandro Nunziante gathered his troops, who surrounded the mutineers and shot them down. The incident resulted in the disbanding of the whole Swiss Guard, at the time the strongest bulwark of the Bourbon dynasty.

ということは、6月4日のマジェンタの戦いと、24日のソルフェリーノの戦いの間くらいに、反乱を起こしたスイス親衛隊の一部が撃ち殺され、それが傭兵隊全部の解隊という結果となった、ということになる。また、当時、スイス傭兵がブルボン家最大の防波堤になっていた、とも書いてある。

スイス傭兵はローマ教皇やフランス王の近衛兵にもなっているから、どちらかといえば小規模な常備軍として雇用されることが多く、戦争のような大規模な臨時徴収には、そもそも向かないし、雇用もされなかったのかもしれん。ともかくガリバルディがシチリアに来た頃にはスイス傭兵はナポリにはいなかったということよね。

Swiss Guard など見ると、ナポレオンがスペインやロシア遠征にスイス傭兵を雇ったとある。1830年に再びチュイルリー宮殿が襲撃されたとき、スイスの近衛兵は、二度目の虐殺(一度目はルイ十六世の時)を恐れて姿をくらましたため、以後近衛兵として雇われることはなかった、とある。

また、フランス外人部隊(French Foreign Legion, Légion Etrangère) など読むと、

The Foreign Legion acquitted itself particularly well against the Austrians at the battle of Magenta (4 June 1859) and at the Battle of Solferino (24 June).

などと書いてあって、ソルフェリーノの戦いに外人部隊が投入され善戦したらしいことがわかるし、アンリ・デュナンが見聞しているから、その中にスイス傭兵がいなかったとはいえない。

しかし、やはり、ナポリで直接傭兵になった、という話の方がすんなりくるし、なんか面白そうでもあるんだよなあ。

『安藤レイ』完成

[安藤レイ](http://p.booklog.jp/book/39448)一応完成した。
240枚。
めちゃくちゃ時間取られた。

しかし、かなりの部分が単なる病中手記なので、小説的部分はその半分くらいだろう。
もちろん、病中記録は小説のつなぎというか、雰囲気に使っているわけだが。
自分では(今までで一番)面白いつもりだが、長いので読むのがたいへんだろうなとおもう。

結果的に、私の小説の中では、長さの割に、主人公のひとりごとが異様に多く、また登場人物が異様に少ない。

以前、過去形が多すぎる、と言われたことがある。
今回もそうかもしれない。しかし、多分私は過去形が好きなのだと思う。仕方ない。

さらにどうでも良いことだが、表紙絵は某ペイントソフト + Inkscape + Intuos4 で描いた。
実は右手と左手で参考にした写真が違う。
採血をするときの手の形というか、注射器の持ち方というか、針の打ち方は、google で検索してみると、結構まちまちなので驚いた。
我々は普通、親指でおしりを押さえて人差し指と中指で挟む、という持ち方を考える。
しかし、実際には、親指と中指で側面を挟んで、人差し指は頭を押さえる、または、人差し指と中指で側面を挟み、親指と薬指でおしりと頭を押さえる、というのもある。
表紙絵に採用したのは、親指と中指で側面だけを挟んでおり、人差し指、中指、薬指などは採血する腕に固定している。
もう一方の手も注射器、もしくは腕に添えている場合が多い。

看護師がずきんをかぶっているかいないかとか。
コスプレではたいていかぶるが、普通はかぶらない。髪型も長すぎるときには後ろで結ぶが、今時の髪型は割と自由なようだ。