安藤レイの感想

私の場合読者から感想を聞けることがほとんどないのだが、たまたま「安藤レイ」を読んだという人に話を聞いたら、結局人間の女よりアンドロイドが良いって話でしょとか言われて、違うよそれ全然読み間違ってるよとかいうと、世の中にはいろんな読み方をする人がいるのよとか逆に言われて、まあそういうものなのかもしれないな、こまかいところまで読む人はいないかもしれないなと思った。

世の中にはアンドロイドとはこういうもんだという先入観があり、アンドロイドと男と女とはこういうものだという観念があって、それを裏切るような書き方をしても、ざっと読んだ人には自分の思い込みの通りに書かれているとしか見えないのだろう。それはそれで面白い現象だ。なぜかというと私の書いたものはたいてい読者の観念を裏切るようにできているからだ。

世の中の大塩平八郎のイメージとか。アルプスの少女のイメージとか。そんなものを利用しながらまったく違うものを書いている。人の予測の裏をかく、そこが売りなはずなのだが、しかし、世の中の人がざっと読んだだけでは違いがわからんということになろう。

古典とかロングセラーとかベストセラーというものはたくさんの人に読まれるから世の中に固定観念というものを植え付ける力を持っている。それはすごいことなのだ。いいかわるいかはともかく。

『安藤レイ』完成

[安藤レイ](http://p.booklog.jp/book/39448)一応完成した。
240枚。
めちゃくちゃ時間取られた。

しかし、かなりの部分が単なる病中手記なので、小説的部分はその半分くらいだろう。
もちろん、病中記録は小説のつなぎというか、雰囲気に使っているわけだが。
自分では(今までで一番)面白いつもりだが、長いので読むのがたいへんだろうなとおもう。

結果的に、私の小説の中では、長さの割に、主人公のひとりごとが異様に多く、また登場人物が異様に少ない。

以前、過去形が多すぎる、と言われたことがある。
今回もそうかもしれない。しかし、多分私は過去形が好きなのだと思う。仕方ない。

さらにどうでも良いことだが、表紙絵は某ペイントソフト + Inkscape + Intuos4 で描いた。
実は右手と左手で参考にした写真が違う。
採血をするときの手の形というか、注射器の持ち方というか、針の打ち方は、google で検索してみると、結構まちまちなので驚いた。
我々は普通、親指でおしりを押さえて人差し指と中指で挟む、という持ち方を考える。
しかし、実際には、親指と中指で側面を挟んで、人差し指は頭を押さえる、または、人差し指と中指で側面を挟み、親指と薬指でおしりと頭を押さえる、というのもある。
表紙絵に採用したのは、親指と中指で側面だけを挟んでおり、人差し指、中指、薬指などは採血する腕に固定している。
もう一方の手も注射器、もしくは腕に添えている場合が多い。

看護師がずきんをかぶっているかいないかとか。
コスプレではたいていかぶるが、普通はかぶらない。髪型も長すぎるときには後ろで結ぶが、今時の髪型は割と自由なようだ。