草庵集玉箒

宣長による頓阿の歌の解説。

山深く わくればいとど 風さえて いづくも花の 遅き春かな

歌の意は、まず奥山ほど寒さの強き故に、花の咲くこといよいよ遅きが実の理なり。しかるを作者の心は、その道理を知らぬものになりて、里にこそまだ咲かずとも、山の奥には早く咲きそめたる花もあらむかと思ひて、山深くたづねつつ、分け入れば入るほど余寒強く、いよいよ風さえて、まだ花の咲くべきけしきも見えぬ故に、さては里のみならず、山の奥までいづくもいづくも花の遅き春とかなと思へるなり。「春かな」ととどまりたるところ、花を待ちかねたる心深し。

丁寧な解釈。

一木まづ 咲きそめしより なべて世の 人の心ぞ 花になりゆく

一首の心は、かつかづただ一木まず咲きそむれば、いまだなべての桜の梢は花にならざるさきに、はや世の人の心がまず花になりゆくといふ趣旨なり。「心ぞ」の「ぞ」をよく見るべし。「心の花になる」とは、花のことのみを思ふなり。

宣長の桜の歌によく似ている。

おのづから 散るはいづれの こずゑとも 知られぬ宿の 花ざかりかな

まだどのこずえも自然と散るようすも見えない、満開の宿の花盛り、という意味。

つれもなく けふまで人の とはぬかな 年にまれなる 花のさかりを

北条義時と大江広元

wikipedia:大江広元

鎌倉に大江広元の墓と伝えられるものがあるが、これは江戸時代に長州藩によって作られたものであり、広元の墓とする根拠はない。

へえ。そうなんだ。まただまされた。長州は毛利氏で毛利氏の祖は大江広元だから、江戸時代になってその祖先の地に墓を作ったということか。

読史余論。

按ずるに本朝古今第一等の小人、義時にしくはなし。三帝二王子(後鳥羽上皇順徳上皇土御門上皇雅成親王頼仁親王)を流し、一帝(仲恭天皇)を廃しまゐらせ、頼家ならびにその子二人(禅師君、公暁)、又頼朝の子一人(意法坊生観むすめの腹に出来しを、殺せしといふ事、承久記に見ゆ)、頼朝の弟一人(全成)、姪一人(河野冠者)。それが中、公暁をして実朝を殺させしありさま、その姦計おそるべし。景時義盛を殺せし事、前に論じき。かれいかでかその死を得べき。東鏡に記せし所信ずべからず。順次往生の類、皆これ文飾のことばたる事明らかなり。保暦の記さもあるべくや。されど義時が奸計を遂し事も、外戚の勢に倚りし故なり。譬えば王莽元后の力をかりて、つひに漢鼎を移せしが如く、本朝にしては蘇我馬子元舅の親によりて、用明の皇弟穴穂部皇子及び守屋の大連を殺し、そのゝち終に崇峻を殺し参らせしよりこのかた、かゝる類もなく、義時が罪悪はなほ馬子に軼たり。

禅師君は禅暁か。

一幡を殺したのは時政で、義時ではないということか。

「意法坊生観」とは「一品房昌寛」のことらしい。読みはだいたい同じ。昌寛の娘は頼家の側室となって、栄実・禅暁を生んだ。頼朝ではなくて頼家の間違い。

河野冠者は阿野時元で全成の四男、つまり頼朝の甥。

按ずるに広元、累世王家の臣として頼朝をたすけ、六十州をして其掌握に帰せしめ、義時を助けて承久の謀主たり。この人当時の望みありしかば、時政が一幡を殺せし時も、かれを仮りてみづからをなし、およそ義時が奸詐をほしいままにする、常にかれをかりてわたくしを営みき。さればこの人、ひとり、朝家に背きしのみにあらず、頼朝にもそむきたり。その柔侫多智、これもまた義時が亜たるべし。
玉海に、頼朝広元に委ぬるに腹心を以てす。恐らくは獅子身中の虫也とのたまひし事、先見の明ありといふべし。

累世王家の臣とはつまり大江氏が藤原氏などと並んで古くからの貴族であるという意味。

「亜」とは次ぐもの、という意味のようだ。

文献メモ

バートン・L・マック著、秦剛平訳「失われた福音書 – Q資料と新しいイエス像」青土社。[加藤隆著「一神教の誕生」講談社現代新書。 これによれば、ダビデ、ソロモンの時代には、ヤーヴェはユダヤ教の主神ではあるが、ユダヤ教は一神教ではなく、イスラエル王国の滅亡やバビロン捕囚などを経て、一神教に収束していった、つまり、徐々に多神教から一神教が生まれたように書かれている。

いや、もちろんそういう要素はあったかもしれんが、私としては、フロイトの説のように、一神教はもともとはエジプトのアトン信仰に由来するものであり、アトン信仰がユダヤ教と融合することによってユダヤ教も最終的に一神教になったのだと思う。で、フロイトも指摘しているように、アトン信仰も古代エジプトで忽然としてアメンホテプ4世の時代に創作されたというよりは、シリアなどでもっと古くから存在していたのではないか。

青野春秋の謎

改めて、俺はまだ本気出してないだけを3巻一気読みしてみた。電車の中ヒマだったので何度も何度も読み返した。そしてやっぱしゃれにならんマンガだなとは思いつつ、青野春秋という作家についていろんな疑問がわいてきた。マンガ自体は非常に良く出来ているので、われわれはついこれは作者の自伝的なマンガなんじゃないかと錯覚してしまうが、それは巧妙なるやらせのたぐいであって、作者は40のおっさんではなくて20代の女性かもしれない、とさえ思える。イキマンという作家発掘養成のための新人賞、いや、イッキという雑誌そのものをもり立てるための壮大なやらせなのかもしれない、ヘタウマ風の画風さえやらせであり、新人賞当時の画力を編集者らに無理矢理保持させられているだけなんじゃないかとさえ思える。いや、それならそれでもかまわんのだが、だまされたとわかったときのショックをできるだけ和らげたいと思うのだった。

ははあ。なるほど。ネットに散らばっている情報を集めるとおぼろげに見えてくる。イキマン「走馬灯」受賞時2005年11月に青野27才。素直に逆算して1978年生まれ、現在30才くらい。性別不明。2001年ヤングマガジンにて「スラップ スティック」が第45回ちばてつや賞優秀新人賞受賞、とあるがこのとき推定23才。10代から漫画家のアシスタントやってると。まあ、作者はごく普通の漫画家だわな。で、女性であればおそらく作者は鈴子に近い立場。もしくは読み切り「生きる」に出てくる女性。男性ならマクドナルドのバイトの田中とかか。

「走馬灯」掲載が06年2月。「いきる」掲載が07年1月。読み切り「俺はまだ本気出してないだけ」掲載が07年3月。連載開始が07年5月。

第3巻の発行が三ヶ月ほど遅れたのは作者の体調不良によるらしい。

同じイキマン出身の福満しげゆきは作家本人がそうとう露出しているのにくらべて青野はやはり謎に包まれている。

モーセと一神教

ジークムント・フロイト著、渡辺哲夫訳「モーセと一神教」筑摩書房、 勝海舟著, 江藤淳, 松浦玲編「氷川清話」講談社、など読む。

「モーセと一神教」はずっと読みたいと思っていたのをたまたま電車待ちの時間に本屋で見つけて買ったもの。フロイトは80才過ぎてからモーセ論に凝り始めたが、その主張するところは、「モーセはエジプト人」「主(アドナイ)はエジプトのアトン神」「出エジプトはアメンホテプ4世(イクナートン)以後の無政府状態のときにおこった(従ってエジプトの軍勢に追われたり、紅海が割れたというのはすべて作り話)」「ユダヤ教はアトン神(エジプト起源の唯一神)とヤハウェ神(火山の神)の融合」「モーセはユダヤ人に殺された」「割礼はエジプトの古い風習」などなど。アトンは、エジプトの歴史の中で現れた唯一神で、イクナートンの時代に完成され、一旦は破綻した。もともとは無色透明無形な抽象神なのだが、一方でヤハウェは怒りの神、嫉妬の神、えこひいきの神。その本来全く異なる相容れない二つの神が融合したことによって、精神性が非常に高められた一神教が生まれたのだという。フロイトの学説はすべてうさんくさいのだが、モーセ論だけはほんとうじゃないかと思う。多神教でも、すべての神様すべての神話を統合しようとして抽象的な神様を付け足すことはあって、日本神話だと天の御中主の神がそうで、具体的な人格もなければ自然現象や動物や植物などとも関連がない、ただ名前だけがある。しかし名前だけの存在だから、生き生きと動き出すことはまずないし、そもそも後世に人工的に作ったものだから、個別の神話から遊離している。抽象神なのに具体的で強烈な個性というか自我を持った神がどうやってできたのか、というのは実はまだよく解明されてないようだ。