北条義時と大江広元

投稿者: | 2010年1月10日

wikipedia:[大江広元](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%BA%83%E5%85%83)

> 鎌倉に大江広元の墓と伝えられるものがあるが、これは江戸時代に長州藩によって作られたものであり、広元の墓とする根拠はない。

へえ。そうなんだ。
まただまされた。
長州は毛利氏で毛利氏の祖は大江広元だから、
江戸時代になってその祖先の地に墓を作ったということか。

読史余論。

> 按ずるに本朝古今第一等の小人、義時にしくはなし。
三帝二王子([後鳥羽上皇](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E5%A4%A9%E7%9A%87)、[順徳上皇](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87)、[土御門上皇](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%BE%A1%E9%96%80%E5%A4%A9%E7%9A%87)、[雅成親王](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%88%90%E8%A6%AA%E7%8E%8B)、[頼仁親王](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%BC%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B))を流し、一帝([仲恭天皇](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E6%81%AD%E5%A4%A9%E7%9A%87))を廃しまゐらせ、
頼家ならびにその子二人(禅師君、[公暁](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%9A%81))、
又頼朝の子一人(意法坊生観むすめの腹に出来しを、殺せしといふ事、承久記に見ゆ)、
頼朝の弟一人([全成](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%87%8E%E5%85%A8%E6%88%90))、
姪一人(河野冠者)。
それが中、公暁をして実朝を殺させしありさま、その姦計おそるべし。
[景時](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%8E%9F%E6%99%AF%E6%99%82%E3%81%AE%E5%A4%89)・[義盛](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%90%88%E6%88%A6)を殺せし事、前に論じき。
かれいかでかその死を得べき。
東鏡に記せし所信ずべからず。
順次往生の類、皆これ文飾のことばたる事明らかなり。
保暦の記さもあるべくや。
されど義時が奸計を遂し事も、外戚の勢に倚りし故なり。
譬えば王莽元后の力をかりて、つひに漢鼎を移せしが如く、
本朝にしては[蘇我馬子](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90)元舅の親によりて、用明の皇弟[穴穂部皇子](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E7%A9%82%E9%83%A8%E7%9A%87%E5%AD%90)及び[守屋](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E5%AE%88%E5%B1%8B)の大連を殺し、そのゝち終に[崇峻](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%B3%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87)を殺し参らせしよりこのかた、かゝる類もなく、
義時が罪悪はなほ馬子に軼たり。

禅師君は[禅暁](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E6%9A%81)か。

一幡を殺したのは時政で、義時ではないということか。

「意法坊生観」とは「[一品房昌寛](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8C%E5%AF%9B)」のことらしい。
読みはだいたい同じ。
昌寛の娘は頼家の側室となって、栄実・禅暁を生んだ。頼朝ではなくて頼家の間違い。

河野冠者は[阿野時元](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%87%8E%E6%99%82%E5%85%83)で全成の四男、つまり頼朝の甥。

> 按ずるに広元、累世王家の臣として頼朝をたすけ、
六十州をして其掌握に帰せしめ、義時を助けて承久の謀主たり。
この人当時の望みありしかば、時政が一幡を殺せし時も、かれを仮りてみづからをなし、
およそ義時が奸詐をほしいままにする、常にかれをかりてわたくしを営みき。
さればこの人、ひとり、朝家に背きしのみにあらず、頼朝にもそむきたり。
その柔侫多智、これもまた義時が亜たるべし。
玉海に、頼朝広元に委ぬるに腹心を以てす。
恐らくは獅子身中の虫也とのたまひし事、先見の明ありといふべし。

累世王家の臣とはつまり大江氏が藤原氏などと並んで古くからの貴族であるという意味。

「亜」とは次ぐもの、という意味のようだ。

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