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[江戸時代の歌人](http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%AD%8C%E4%BA%BA)てのがあってそこから芋づる式に歌人がわらわらとたどれるのだが、
たとえばだが、このカテゴリーの中には本居宣長は入っていない。
宣長は歌人として認識されてないということだろう。
後水尾天皇も入ってない。特に江戸時代の歌人として認識されてないからだろう。
塙保己一は歌人としては認識されてないが、江戸時代に歌集を出しているので、歌人と言うこともできる。
頼山陽の母の頼梅颸は歌集は出してないが、後の世に歌集が編纂されているので、歌人と言っても良いだろう。
たとえば、徳川光圀は歌人とは見なされていないが歌は詠んでいて歌集も残っている。やはり彼も歌人と言って良い。
こうしてみていくと、江戸時代の公家だとか国学者だとかはたいてい歌を詠んでいるし、
頼山陽のような漢学の人でもたまには和歌は詠む。
戯作者やら狂歌師やら俳諧師でもたまには和歌くらい詠む。
武士でもたまには和歌くらい詠む。
色街の芸者も詠む。
こうしてみていくと、江戸時代の人で、読み書きが出来る程度の人で、和歌を詠まなかった人を探す方が難しく、
また和歌を詠んだ人を網羅するのもものすごい大研究とならざるを得ないことがわかる。
これはつまり和歌を詠むことが日本人のかなり広い層の日常生活にまで普及していたことを意味していて、
それはあたかも今日の日々の新聞に俳壇や歌壇と称して謎の呪文が大量生産されているのと大差なかろう。
だが、江戸時代の風俗として和歌の文化をもうちょっと体系的に整理すべきなのではないか。
なぜこんな大事なことがこれまで放置されてきたのか。
一部の、明治以降に影響を与えた歌人だけがかろうじて注目されているだけで、
江戸時代は勅撰集の編纂もなく、和歌史上不毛の時代だとされ、その時代にはめぼしいものはなかったことにされている。
実に驚嘆すべきことだ。
なかったどころではない。
非常に和歌文化の豊かな時代だったはずだ。