地名と方角

川越で日記を書くとすればどんな名前にしようか,などと考えていた. 「川越素描」は却下. これだけは絶対使わない.世田谷素描で,素描シリーズ(?)は終わりにする. 川越というか埼玉は北武蔵であるから, 北武なんちゃらとか言う名前もありかと思ったがこれも陳腐.

南武,東武,西武,南総,北総などという言い方はあるのだが, 北武という言い方は一般的ではない. それはそうと, 墨東,湘南などという地名もある. 東西南北の地名が頭に着く場合と後ろにつく場合がある.

本場中国では,湖南,湖北,山東,山西,広東,広西など, 東西南北が後ろにつく場合が一般的らしい. そもそも湘南というのは,湘江という川の南側のことを言うそうだ. ところが, 北京,南京,西安などと,都市の名前には頭に方角が着くし, 北宋,南宋のように,国名には頭に方角が着く.

いったいどう使い分けているのだろうか? 推測するに, すでに「湖」,「山」,「河」,「江」 などの地理的な名称があったときに, これを基準をすれば,湖南,湖北,山東,山西,河北,河南, 江南,江北となる. また,広州のようなもともとの地域を分割すれば, 同様に広東,広西となる. そうではなくて,おおもとの地名がないとき, 個別性が高いとき, 同時には存在しないこともあり得るときには, 北京,南京,北宋,南宋などとなるのじゃないか. うん,きっとそうだ. そういえば「漠北」というのもあるな. これは漠(ゴビ砂漠)の北側という意味.

とまあ,このような規則性を仮定すれば, 南総,北総という言い方は間違いで,総北,総南という言い方が正しい. 南武,東武,西武などの鉄道会社の名前はグレーゾーンだが, 武蔵国を南と北に分けると考えれば, 武南(つまり東京都),武北(埼玉県)などと呼ぶべきなのだろう.

北満,南満という言い方も間違い. なぜなら満州は一つの独立国で,その南北の地方名ならば, 満北,満南と呼ぶべきだから. ところが,北鮮,南鮮というのを鮮北,鮮南と呼ぶと, 朝鮮という統一国家があることになってしまう. 難しいねっ.

墨東というのは,墨田川を境にして,その東を言うのだから, 墨東であってる.とても正しい呼び名ということになる. 東墨というと,墨田川の東にもう一つ東墨田川というのが流れている感じになる.

さて,湘南というのはもともとは相模国の南方面のことであるから, 湘西,湘北,湘東などという地名もあり得るが, そのような名前は実際には使われていない. 湘北などはさしずめ相模原市から町田市(これはいちおう東京都だが), 長津田のあたりを言うのだろう. だからもし僕が長津田の住人ならば(笑), 湘北日記などというものを書くこともできたわけだ.

湘南を相南と書くと,遭難と同じ音に読まれて, これは漁師には縁起が悪いので湘南と書いたという説もあるそうだ.

それはそうと, 川越を1字で表せる漢字があると便利なのだが. なさそうだな.

矢倉沢往還

いろいろ気になったものだから、 世田谷中央図書館で、 角川日本地名大辞典、平凡社百科事典などで調べたところ、 大山道についてかなりわかってきた。

江戸期の大山道の正式名称は、矢倉沢往還といって、 家康が関東に入ったときに、足柄の矢倉沢に関所を設けたことから、 この道を矢倉沢往還と呼ぶことになった。 「往還」は「街道」とほぼ同じ意味。 江戸中期から後期にかけて、 大山詣が流行し、その参詣道として有名になったことから、 大山道とか大山街道とも呼ぶようになった。 矢倉沢の関所は、箱根の関所と同様に、 出女を原則としてみとめない厳重な関所だったという。 ちなみに家康が江戸城に入るときには中原往還、つまり今の中原街道を通ったという。

矢倉沢往還は、 江戸城赤坂門から始まり、青山通り、 渋谷道玄坂を通り、 三軒茶屋、世田谷、二子の渡しを通り、 溝の口、江田、長津田、鶴間、下鶴間、厚木、伊勢原を経て矢倉沢に至る。 但し、元禄時代に三件茶屋から二子へ通じるバイパスができたので、 世田谷は新大山道からははずれた。

もちろん矢倉沢往還は、家康が江戸城に入ってから急にできたものじゃない。 世田谷のぼろ市、つまり 世田谷新宿の楽市楽座が戦国時代に始まったことからも明らかなように、 すでに戦国時代には、この矢倉沢往還は存在していたのである。 少なくとも戦国時代には矢倉沢往還が相模~武蔵地方のメインストリートで、 小田原城と世田谷城の間の往来に使われていたことは確かである。

ではいつごろから矢倉沢往還という道はあったかというと、 話はずっと平安時代にさかのぼる。 古代、東海地方から関東地方に入る道には、 足柄峠を越える足柄路と、箱根峠を越える箱根路があった。 足柄路の方が古くて延喜式にもでてくるのだが、 西暦800年、802年に富士山が噴火して、足柄路がいったんふさがったので、 箱根路が造られたそうである。 箱根峠は駒ヶ岳の南側、足柄峠は北側にある。 足柄路から、当時厚木の付近にあった相模国府を経由して川崎方面に抜ける路が、 矢倉沢往還の原型となる。

ところがその当時には、厚木から長津田、溝の口、 世田谷へ至るルートはまだ存在していない。 したがって、いわゆる矢倉沢往還が完成したのは、 世田谷に吉良氏が城を築いた戦国時代以降の話になるのだろう。

更級日記によれば、相模国の「にしとみ」「もろこしが原」というところを経由して、 足柄山を越えたと書いてある。 にしとみとは現在の藤沢市西富町、もろこしが原とは平塚と大磯の間のことで、 どちらも海沿いの土地であり、海の景色の描写もあるので、 更級日記の作者らは海沿いの道、 おそらくは現在の東海道に近い道筋を通ったのではないかと思われる。

さて、田園都市線や、国道246号線、東名高速などの開発が始まる以前は、 溝の口には数十戸程度の人家しかなかったそうだ。 おそらくかなりこじんまりした宿場町だったのだろう。 長津田もにたようなものだったに違いない。 次回は長津田の歴史について調べてみたい (笑)。

ウィンクされたら死ぬ遊び

今日は山手線ゲームとか,ウィンクをされたら死ぬとかそういう遊びをした. 罰ゲームがマイヤーズをショットグラスで一気飲みでなければもう少し楽しめたのだが.

それからカタカナ言葉をしゃべったら罰ゲームというのもやった. 僕は大和言葉以外は外来語だと思って普段も気をつけて書いたり話したりしてるのでわりと楽だったけど. 俵万智が「短歌を作る」と言うのがとても汚らしく聞こえる. これは「和歌を詠む」または「うたをよむ」というのが正しいと思うんだが.

紅白の感想を読もうと思って日記をいくつか回って読んでみたが, ろくなことを書いてない. アムロナミエは感極まって泣いたのだと,みんな書いているが, あれは高い声が出なくて恥ずかしくなって泣いたのだと僕は今も思っている. 表情を見ながら聞いていればわかるはずだ. 僕と同じ意見の人も居るにはいた. あの「Can you celebrate?」という歌は一年前にいやというほど聞かされたので, わりと記憶に残っているほうだが, どう聞いてもこないだのアムロの歌は下手くそだった. 一年前ならあの程度の高音は軽く出していたのだ.

上田さんも同じようなことを書いている.安心した.

北島三郎が歌詞を忘れたのは確かに「忘れちゃならねえ」というところだった.

武田鉄也と和田あき子が熱唱だったのは認めよう. ただしあの手に持ったマイクはダミーだろう. 肉声をどこかの無指向性マイクが拾っているだけじゃないことは明らか, というか,現在の技術では, マイクを手に持って歌うことなどナンセンスなんじゃなかろうか.

昨日はだらだらとNHKの教育放送を見ていた. 教育放送はいかにあるべきかなどという話をまじめにやっていた. 郵政大臣当時の田中角栄が出てきたりした. 若い頃の田中角栄というのは実に良い顔をしているね. ロジャー・ペンローズとかスピルバーグとかも出てきた. なかなかすごい顔ぶれだった. 誰だったか,おにゃんこくらぶのプロデューサかなにかやったやつが, NHKは「幕の内弁当」だから記憶に残りにくいとか言っていた. 井上ひさしも出てきた. 僕はNHKの,10年か20年くらい前の,左傾化した人形劇のイメージがあって, それはきっと井上ひさしらの影響を受けていたんだろうなあなどと思いながら見てた. プリンセスプリンプリンなんてひどいものだった. ようするにジョンレノンのような平和主義というか, みんなが平和になると信じれば平和になるんだとか, みんなが戦争を望んでいるから戦争になるんだとか, そういう思想が僕は嫌いなのだ.

生涯教育や社会人教育を充実させるという意味では, 番組の内容はもっと高度でもよい, という考え方には賛成だ.というか,もっともっと高度にして良い. だけど,芸能とか演劇とか古典音楽とか僕には興味ないので, 別チャンネルにしてほしいけど(笑).

だいたいNHKが嫌いなやつは「幕の内弁当」的側面にだけ注目して批判する. そうしてそういう通り一遍な,言い古された,ありきたりの, ある意味「幕の内弁当」的な批判をして満足しているのである. 紅白歌合戦だってろくに歌聞いてちゃいないくせにさ. 僕だって毎年真剣に見てるわけじゃないが, こないだの紅白はなかなかおもしろい見物だった.

いや,民放にもおもしろい番組はたまにある. 昨日はインドネシアのコモド島までコモドドラゴンの手形を取りにいったりしたが, あれは見方によれば,バラエティ番組というよりもっとまともなドキュメンタリーとして見れた. クラゲを捕りにいったり,焼き物をやいたり,悪くなかった. しかし,どうしてヤラセというか偶然をよそおいたがるのだろう. ドキュメンタリーなら,取材したとおりを淡々とやればよさそうなものだ. 余計な脚色など不要だ.