外食

近頃は外食がすごく嫌いになった。昨今のコロナ騒ぎで嫌気がさしたのもあるが、とにかく人混みの中で飯を食わされている感じが嫌。自分のペースで食べられないのが嫌。接客されても全然うれしくないし、その分金を取られるのが嫌。わざわざでかけて行くのが嫌。食べた後帰るのも嫌。なにもかもが嫌になった。

コロナでいえばいちいち体温測られたり手を消毒しろとか指図されるのが嫌。いいかげんにしろと言いたい。

困るのは人付き合いで、別に、店ではなく、コンビニかスーパーでつまみと酒買ってそのへんで飲み食いするのは全然かまわないんだが、世の中にはわざわざ高い金払ってなんか偉そうなところでもったいぶってかしこまって堅苦しくしゃっちょこばって窮屈な思いをして飯を食うのが好きな人がいてそれが困る。

仕事の会食でそういうフォーマルな席があるのは仕方ないとしてなんでプライベートまでそんな食い方せにゃいかんのかと思う。

外食と言っても自分のペースで10分とか長くても1時間で、空いてる頃合いを見計らって入ってさっと帰れる立ち飲み屋なんかはわりと拒絶反応は少ない。

もともとフランス料理や懐石料理が苦手だったがそれがさらに拡大した感じ。映画館でじっとしてなきゃいけないアレと同じ感覚。落ち着きがないんでね。じっとしてられないんだよ。そういう人種じゃないんだよね私は。

老後の趣味

定年が延長しない限り、あと8年くらいで仕事を辞めて隠居するわけだが、そうしたらもはや、本名と筆名を分けて活動する必要もないから、それ以降だんだんに統合していこうと思うんだけど、混ざらないように書くのも気をつかうが、一度名前を分けたものは、人格もある程度分離してしまっているので、それを一つにまとめるのも少し難しいかもしれない。
私が就職したのは、つまり賃金労働者になったのは世間よりかなり遅かったのだが、働き始めるとすぐに仕事のえり好みをするようになり、44才で絶えられなくなって、本名とは別に筆名の活動を始めた。
つまり、死後に残す業績として本名ではない別のアバターを必要としたわけだ。あと、これまで仕事の義理やなにやで書けなかったようなことも、自分の名誉を守るために、ある程度は書くつもりだ。
それで定年後の暇つぶしに何をやるか考えてみるに、小説はここ10年くらいでだいぶ書いて書きたいことはだいたい書いた気がする。
46才で心臓を患って2度入院したのだがそれは『安藤レイ』に書いたとおりだ。去年だから55才か、コロナの流行りかけにアブレーションの手術を受けた。おかげで成功して心房細動はあれ以来出なくなった。世の中ではカテーテル手術のことは手術と言わない、外科ではなく内科でやるのだが、受ける側にとっては全然手術と違わない。死ぬ確率はかなり低いがそれまでにどうしても残したい仕事は済ませておいたつもりだ。つまり急ぎの仕事はすべてもう片付いているはずで、後はオマケみたいなものである。その後『エウメネス6』を出してひとまず完結したから、後は手直し加筆はやるかもしれないが、よっぽど何か企画が持ち上がらない限り書かないと思う。
『エウメネス』とか『関白戦記』なんかを書くには1年では済まず、下手すると10年くらいかかるからかなり計画的にやらないとダメだ。

それで本名でやってる仕事のことはおいといて、筆名でやってる趣味で言えば、一番専門性が高いのは和歌だと思う。完全な独学だが40年近く続けていて小説にも採り入れ、『虚構の歌人 藤原定家』も書いたから、もう十分、歌人であるとか、歌学者と名乗っても良いはずだ。『虚構の歌人』を書いたあとはすぐにまたその続編を書きたくなったが、今はもう落ち着いて、あれはあれでもう完結したものと思えている。というか、あのときどういう心境であれを書いたか思い出すこともできないが、あれは我ながら良い作品だと思う。それに比べると『シュピリ初期作品集』は、ちょっと珍しい仕事だが、まあ普通くらいか。これも続きをやろうと他の翻訳も途中までやって放置している。

漢詩は和歌に比べれば素人に毛の生えた程度で46才に入院したときから始めた。今では作詩する人がほとんどいないのと、年寄りの遊びとしてはちょうどいいからやるかもしれん。年寄りには年寄りに向いた遊びというものがあるわけで、漢詩なら多少やらかしても、ああまたよくいる年寄りだと思われるので済むだろう。80過ぎてぼけてきても多少は許されるのではないか。これが他の趣味、たとえば歴史なんかだと晩節を汚すことになりかねん。年寄りはたいてい歴史にはまるがほとんど全員失敗してる。

定年後、では筆名と本名とどちらで活動するかといえば、そりゃまあ、筆名のほうが都合がよかろうが、文芸のうち和歌は筆名で、漢詩は本名でやってたもんだから、どうしようか。