京都御所の紫宸殿の左近の桜は桓武天皇の時には梅だったが、枯れたために840年くらいに桜に変わり、
その後959年に火災で燃えてしまったので、吉野桜(いわゆる山桜)を植えたという。
今の左近の桜は写真から察するに山桜のようだ。

江戸時代には彼岸桜系のエドヒガンやしだれ桜が流行ったようだ。
そのしだれて赤みがかったところが派手で好まれたようだ。
真淵や宣長が愛したのは山桜。
正岡子規の俳句に出てくるのは山桜と言っているが特徴からしだれ桜のようだ。
江戸時代は柳のようにしだれている珍しいしだれ桜が流行だったのだろう。

ソメイヨシノがものすごい勢いで流行ったのは戦後のようだ。
ソメイヨシノは若木の頃から咲き、また挿し木で簡単に増やせる。
圧倒的な景観を割と簡単に作り出すことができる。
それまではどこまでもどこまでも桜の花という場所は吉野山くらいにしかなかったのだろうと思う。
今は千本二千本は当たり前で一万本というところもあるようだ。

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