丸谷才一の「山といへば川」という文庫本の最初に「後朝」という文章が載っていて、「源氏物語は古今、後撰、拾遺の和歌をふまえて書かれた」と言い、「驚嘆に値するのは当時の上流階級がみなこれらの古歌をただちに連想できた」のであり、「呆れるばかりの教養だった」と言っている。
確かに古歌と言えば古歌ではあろうが、時間の流れがゆっくりだった当時としては、比較的最近の流行歌くらいのものだったのではないか。というか、出版もなければ放送もない当時としては、すぐれた歌をまとまった分量集めてくるだけであっという間に百年は経つだろう。今でも、ガンダムのセリフを全部そらんずるくらいのオタクはいくらでもいる。歌謡曲やJ-POPなるものの歌詞を暗唱しカラオケで歌えるくらいのものはたくさんいる。娯楽にしろ学問にしろ何もかも限られていた当時、「古今」「後撰」「拾遺」の歌を全部覚えていたって全然不思議じゃないじゃないか。
しかも「含蓄、余韻、ほのめかし、余白、などといふ抑制と沈黙の技法はわれわれの文明の基本の型、生活の特徴的な様式になっている」などと結論づけているのだが、源氏物語は当時としてはもっと世俗的な、風俗小説かパロディー小説のたぐいだったのではないか。今の漫画やアニメと同じく。古くてよくわからんから、含蓄だとか隠喩のように思えるだけなのではないか。たとえば同人漫画などは読んでもよくわからんが、これをほのめかしなどとは言わないだろう。わかる人にはわかる身内ネタというだけのことだろう。