この人の言う「ただ事の歌」というのも、江戸時代に相当に流行っていた狂歌や、俳諧などとの棲み分けが難しいところがあり、
また蘆庵の歌にも狂歌とも言えるきわどいものもあるが、
まあそれだけ和歌が江戸時代に多様性を獲得しつつ成熟していたことを表すものとも言える。
探せばもっとこういう人は居るのかも知れない。
こういう少なからぬ数の、浪人だか乞食同然の人たちが学者もしくは芸人として生涯を全うできたという意味では江戸時代はやはり画期的だったのでは。
無常
> さざれ石の巌となるもとどまらで移り行く世の姿ならずや
小さな石が成長して大きな巌になるという変化も、とどまることなく変転してやまないこの世の現象の一つではないのか、と訳すべきだろう。
> はかなさはいづれまさらむよひの間に見えける夢とまぼろしの世と
酒
> 世の憂さも忘るる酒にゑひしれて身の愁へそふ人もありけり
わろす。自分のことだろうか。
> 吹く風も待たでけぬべき露の身を千年のごとく思ひなれぬる
> おろかにてかよわきものの老いたればとりどころなき我が身なりけり
> つくづくとひとりしものを思ふには問はず語りぞ常にせらるる
> 昔見しいもがすみかは田となりて野はたは今の人の家々
> 花咲かで七十ぢあまり五とせになりぬと言ふもはづかしの身や
ことのはの道はことわざしげき世に住みて心に思ふことを言ひいづるならひながら、塵を離れたるものぞをかしと思ふことのありて
> 世の塵にうづもれながらうづもれぬ大和言葉の道ぞ正しき
「今ははや浜のまさごの道絶えて寄るかたもなきわかの浦波」に返し
> この国はことばの海の大八島いづくによるもわかの浦波
このみちもすゑの世の姿に心寄する人のみ多ければ、それを嘆きて詠める
> いかばかりいひちらすともことのはの花を思はば実はなかるべし
> ことの葉は人の心の声なれば思ひを述ぶるほかなかりけり
> 鳥すらも思ふおもひのあればこそかたみにねをば鳴きかはしけれ
歌は見聞き覚え知るより出づるものなるを、ひたすらにほかを求むる人の多ければ
> 何をかはあぜ倉かへし求むらむ見聞きに満てる言の葉の種
今の世の歌は言えりのみして、常に見聞くものおほくは詠まずなりにたり
> いにしへはおほねはじかみにらなすびひるほし瓜も歌にこそよめ
> ひとふしと思ふややがてすなほなる心のゆがむはじめならまし
> おろかにも千代よろづ代と祈るかなここはとこよのやまとしまねを
> 西に入り東に出でて天津日の幾夜千巡り世を照らすらむ
伊勢の宣長が七十を祝いて
> 七十ぢは人かずならぬ我も経ぬ君はちとせのよはひ重ねよ
老いたるどちの別れに
> もろともに老いにけるかなますらをの別れにかくや袖しぼるべき
心
> 言ふことはみな心より出でながら心を言はむ言の葉ぞなき
はかなくあかしくらすことをおもひて
> 西に暮れ東に明けて出づる日の今いくめぐり我を照らさむ
良い歌だなあ。これが辞世の歌か。
蘆庵の辞世の歌とは
> 入相のかねてをしみし年なれど今はとくづる声の悲しさ
か
> 波の上を漕ぎ来と思へば磯際に近くなるらし松の音高し
などを言うらしいが、あまり良い出来ではないなあ。
返歌
> 西に入り東に出づる日の本に我がいくばくの歌を残さむ
> いたづらに明け暮れはせじ西に入り東へ巡るただのひと日も