もうじき61才になるのだが、今はもう65才で定年退職するのが待ち遠しくて仕方なく、今の仕事はもうとっくに飽き飽きしていて、何の興味もない。
最初の仕事は4年で転職した。次の仕事も4年で転職した。今の仕事はしかしもう25年近くやっている。転職したくてもしようがないからずっとやっているだけだ。私は多分、同じところで同じ仕事をすることに耐えられないのだと思う。どんなくだらない仕事でも、4年おきくらいに転職していればモチベーションは保てると思う。ただ単に飽きっぽいのだと思う。或いは、どんな仕事でも、ずっとやっていたいと思えるほど面白い仕事など存在しないのだろう。どんな仕事でも最初のうちはいろんな新しい刺激があり、未知の世界に触れられて楽しいのだ。
同じように、同じ所に住み続け、同じ町で遊び続けることが私には苦痛だ。どこに引っ越そうと、浅草に暮らそうと大阪に移住しようと博多に住もうと、あっという間に飽きてしまうってことはもうわかってきた。私にはどこにも居場所などないし、これ以上長く生きたところでどうってことはない。
筒井康隆や丸谷才一などを見ていると、年寄りが文章を書いたところで何の意味も無いと思う。年寄りが死ぬまでにどんなことを書くか、年齢に応じて文章がどんな変化をするかという実験にはなっているかと思うが、長く生きたからどうということは何もないように思う。
今書いている本は大きな路線修正があったが、割と好きだ。書いていて思ったのだが、私はたぶん10代の若者に向けてこれを書いている。彼らを読者層として想定して書いている自分がいるがそれは私が年寄りになったせいかもしれない。頼山陽、栗山潜鋒、樋口一葉、或いは内村鑑三、本居宣長。彼らが若い頃どういうことを考えていたかということをいつの間にか熱く語ってしまっている。
10代の頃、私とよく似た友は私の周りにはほとんどいなかった。まったくいなかったと言って良い。しかし私とよく似た人間はたぶん、日本中に、あるいは世界中に散らばって、直接出会うことなく孤独に生きていると思える。本を書けば、そしてそれが世間に知られれば、それらまったく没交渉の、私とよく似た人間どうしで知識を共有でき、経験を分かち合えるように思える。ごく身近な、普段いつも顔を合わせる人とコミュニケーションを取りたいという気持ちには私はなれない。文芸活動とか、最近のSNSなどはもっと私のやりたいことに近いのだが、私の書いたものはなかなか世の中に広まっていかない。
私に近い人たちに私が書いたものを読んでもらうには、私と必ずしも近くはない人たちにも広く読まれる必要がある。そこが難しい。