凸版印刷

群ようこが,
オフセット印刷よりも凸版印刷の方が活字にキレがあって,
格段にきれいだと言ってたことがある.
宮城谷昌光の本で,
紙をさわると印字の部分がざらざらしてるのとそうでないのがある.
ざらざらしているのが凸版印刷なのだろうか.
インク自体はたいしてざらざらしないだろう.
インクはほとんど紙に染み込んでしまうから,
凸版印刷がでこぼこしてるとしたら,
それは刻印するのと同じで,
版を紙に押しつけたときにへこみができるからだろう.
ついでに裏写りがきついような気がする.
いまでも凸版印刷ってやってるのかなあ.
まさかいまさら電算写植使わないで,
活字拾って組んでるわけじゃないだろうと思うのだが.

オフセット印刷はリトグラフと同じ原理なんだそうで.
リトグラフは親水性のある石の板に油性のマジックとかクレヨンとか,
要するに水をはじくもので絵を描いて,
それに水を張って,
書いた部分だけが水をはじくから,
そこにインクを乗せて印刷するんだね.

ダイオキシン

なんか絶対やばいことになると思ってたよ.

ダイオキシン濃度が高いので,
所沢の農作物は買わないことにしましたとか言ったって,
所沢の農家は野菜が売れなきゃ大損害じゃん.
ちゃんとした統計の裏付けがあって,
国の機関か何かが正式に発表して,
農家に補償をするなり(農家が加害者じゃないのはあたりまえ)
そこまで覚悟を決めて公表に踏み切ったんならともかく,
たかが民放の分際で,いい加減な調査しかしてないで,
不買運動まがいの報道したのかよ.
それじゃ農家が怒るに決まってるじゃん.
何考えてるのかなあテレビ朝日って.

それにしても集まった生産者の人数が 40 人か.
所沢にあんまり農民がいなくて助かったねっ,テレビ朝日.

だからさ,たとえばカイワレ事件のときのことを思い出してみるとさ.
厚生省というか菅直人は,原因となった農園を閉鎖したとしか言わなかったんだよね.
ところがその農園をわざわざ探し出して実名報道したのはマスコミなんだよね.
別に政府が名指ししたわけじゃないんだから.
マスコミは実名報道を自粛するのがまっとうな態度だと思わない?
しかも結局はアメリカから輸入したカイワレの種に O-157 が含まれていたんだろ.
じゃ厚生省が取った措置はきわめて適切だったわけだよね.

ところが,その農園を実名報道するだけじゃ飽きたらずに,
その農園の副社長をわざわざテレビ出演させたのがテレビ朝日だよね.
のこのこテレビに出てきてテレ朝に踊らされるヤツもマヌケだけどね.

ところが,今度の所沢ダイオキシン報道じゃ,
所沢の農民というか,
所沢 JA に加盟してる農家の数がどれほどか知らないけど,
テレ朝は彼らをすべて敵に回してるんだよね.
カイワレのときよりはるかに大きな損失を生産農家に与えてるよね?
カイワレのときの厚生省の対応と比べて明らかに悪質だよね.
というか,あのとき自分らが批判したのとまったく同じことを,
今回自分らでやっているんだよ.
自己矛盾してると思わない?

言論の自由というのは大切だと思うよ.
それでテレ朝が,
自分の信念に基づいて,
一部の利益団体を敵に回したり,
法律ぎりぎりのことをやったりするんなら,
僕だって拍手カッサイするだろう.
しかしテレ朝のやってることは単なるセンセーショナリズム.
時と場合で,一番世の中を騒がせるような報道をしてるだけ.
それで正義の味方ぶってるんだから許せんな.
タチ悪いよ.

ダイオキシン報道というのは,現段階では,
センセーショナリズムとまっとうなジャーナリズムの,
ちょうど境くらいに位置している,と思う.
そこをわざわざねらってきて煽るとこがまたいやらしい.
やってることが少年マガジン的というか,所詮はタブロイドどまり.
まじめにこつこつ取り組んでる人間には迷惑この上ない.

O-157 のときは実際に死人がばたばた出たわけだ.
ところが所沢のダイオキシンは,危ないことは危ないかもしれないが,
基準値にくらべて多いか少ないかとか言ってる段階で,
急に死人が出るというわけじゃない.
どの程度被害が出るかまだ未知数の段階だ.
だから所沢の野菜を食べたくないやつは食べなきゃいいし,
所沢に住みたくなきゃ引っ越せば良いんで,
テレ朝にどうのこうの言われる筋合いじゃないじゃん.

つまり,緊急性とか,調査の方法という意味で,厚生省の対応は正しかったし,
テレ朝のはまったくオソマツというしかない.
テレ朝ってのは,ただもう,セイフとかギョーセイとかジチタイとかには,
条件反射的にかみつくだけだね.

タレント

久しぶりにタモリ倶楽部を見たのだが,
あいかわらず素晴らしい.
タモリはこんなに良い番組を持ってるのに,
どうして笑っていいともなんてつまらない番組にこだわるんだろう.

タレントは番組をおもしろくするが,
タレントに過度に依存した番組はつまらない.
どうしてまあ,民放は,
タレントの個人的な趣味とか打ちあけ話とか,
さいころ振ってだらだら話すような,
そんな番組ばかりになってしまったのか.

宦官が政治を牛耳ってしまうように,
タレント(というか事務所というか)
が放送というものを私物化してる,自己目的化してるよね.

宮城沢昌光

この人の小説は春秋時代から後にはなかなか降りてこない.
夏とか商とか周とか斉とかとにかく古い.
宮城沢昌光の小説を読んだあと,
三国志や水滸伝を読むとまるで現代小説のような錯覚を起こすくらい.
異様に難しい漢字が出てくるので,
きっとワープロは使わず手書き原稿なのだろう.
「平成」という元号の選定にも興味があるようで,
彼は参画したかったに違いない.
しかし,
「美」は犠牲に捧げる大きな羊のことだから,
人の名前に使うのは良くないとか,
おせっかいなところがあるなあ.
山本七平みたいなとこがあるね.

NHKをだらだら見てると,
ときどき「それが知りたかったんだよ」
みたいなことを丁寧にドキュメンタリーにしてたりして,驚く.
初期の江戸前鮨を再現したり.
粕酢という香りも色もきつい酢を使ったり,
シャリの量が今の三倍もあったり,
ネタは全部粕酢や醤油で下味を付けたりする.
それを日雇い労働者に屋台に並べて手づかみで取って食べさせるのである.
こういう番組がブラウザで検索していつでも見れたら素晴らしいのになあ.
平日の昼間に放送されちゃかなわん.

これもNHKのドキュメンタリーだったが,
牛は普通草だけ食べる農耕牛だったので,
もともと固くてステーキには適していなかったのだそうだ.
だからシチューにして食べてたのが,
最近になってアメリカのなんとかという企業が,
牛にトウモロコシを食べさせるようになって,
肉が柔らかくておいしくなったので,
鶏や豚よりも牛の方がよく食べられるようになったという.
そりゃ牛肉が全身スジ肉みたいに固かったら,
なかなか食べられんだろう.
というか,昔はサーロインとかテンダーロインとかいって,
柔らかい部位はとてつもなく高かったのかもしれんし.
ヒンドゥーで牛を食べないのも,
おいしいのを無理に食べないのではなく,
インドの牛はことさらに固いのかもしれんし.
戦後日本では牛は放し飼いで草食べさせてただけなので安かったという話もあるし.

バーガーキングにいくと紀元前のローマから牛肉の直火焼きを食べていて,
それが一番うまい食べ方だ,などと書いてあるのだが,
これは史実と違うのだろうか.
実際ステーキを食べると歯に筋がはさまって困ることがときどきあるしね.

宮城沢昌光の小説に出ていた話だが,
中国で牛を農耕に使い始めたのは,
夏王朝末期の商,湯王の時代で,
外征続きで疲弊した国内の農業を回復するためだったとある.
この富国強兵策で湯王が夏王朝を倒して覇者となったのだそうだ.
ふーん.

いまから思うとあの油粘土というものは,
とても醜くて気持ちの悪いものだったね.
でも油が染み込ませてあるから固まらずに何度も使えるんだね.
だったら色くらいもすこし工夫してほしかったね.
更新日記と更級日記.
一字の違い.

地名と方角

川越で日記を書くとすればどんな名前にしようか,などと考えていた. 「川越素描」は却下. これだけは絶対使わない.世田谷素描で,素描シリーズ(?)は終わりにする. 川越というか埼玉は北武蔵であるから, 北武なんちゃらとか言う名前もありかと思ったがこれも陳腐.

南武,東武,西武,南総,北総などという言い方はあるのだが, 北武という言い方は一般的ではない. それはそうと, 墨東,湘南などという地名もある. 東西南北の地名が頭に着く場合と後ろにつく場合がある.

本場中国では,湖南,湖北,山東,山西,広東,広西など, 東西南北が後ろにつく場合が一般的らしい. そもそも湘南というのは,湘江という川の南側のことを言うそうだ. ところが, 北京,南京,西安などと,都市の名前には頭に方角が着くし, 北宋,南宋のように,国名には頭に方角が着く.

いったいどう使い分けているのだろうか? 推測するに, すでに「湖」,「山」,「河」,「江」 などの地理的な名称があったときに, これを基準をすれば,湖南,湖北,山東,山西,河北,河南, 江南,江北となる. また,広州のようなもともとの地域を分割すれば, 同様に広東,広西となる. そうではなくて,おおもとの地名がないとき, 個別性が高いとき, 同時には存在しないこともあり得るときには, 北京,南京,北宋,南宋などとなるのじゃないか. うん,きっとそうだ. そういえば「漠北」というのもあるな. これは漠(ゴビ砂漠)の北側という意味.

とまあ,このような規則性を仮定すれば, 南総,北総という言い方は間違いで,総北,総南という言い方が正しい. 南武,東武,西武などの鉄道会社の名前はグレーゾーンだが, 武蔵国を南と北に分けると考えれば, 武南(つまり東京都),武北(埼玉県)などと呼ぶべきなのだろう.

北満,南満という言い方も間違い. なぜなら満州は一つの独立国で,その南北の地方名ならば, 満北,満南と呼ぶべきだから. ところが,北鮮,南鮮というのを鮮北,鮮南と呼ぶと, 朝鮮という統一国家があることになってしまう. 難しいねっ.

墨東というのは,墨田川を境にして,その東を言うのだから, 墨東であってる.とても正しい呼び名ということになる. 東墨というと,墨田川の東にもう一つ東墨田川というのが流れている感じになる.

さて,湘南というのはもともとは相模国の南方面のことであるから, 湘西,湘北,湘東などという地名もあり得るが, そのような名前は実際には使われていない. 湘北などはさしずめ相模原市から町田市(これはいちおう東京都だが), 長津田のあたりを言うのだろう. だからもし僕が長津田の住人ならば(笑), 湘北日記などというものを書くこともできたわけだ.

湘南を相南と書くと,遭難と同じ音に読まれて, これは漁師には縁起が悪いので湘南と書いたという説もあるそうだ.

それはそうと, 川越を1字で表せる漢字があると便利なのだが. なさそうだな.

矢倉沢往還

いろいろ気になったものだから、 世田谷中央図書館で、 角川日本地名大辞典、平凡社百科事典などで調べたところ、 大山道についてかなりわかってきた。

江戸期の大山道の正式名称は、矢倉沢往還といって、 家康が関東に入ったときに、足柄の矢倉沢に関所を設けたことから、 この道を矢倉沢往還と呼ぶことになった。 「往還」は「街道」とほぼ同じ意味。 江戸中期から後期にかけて、 大山詣が流行し、その参詣道として有名になったことから、 大山道とか大山街道とも呼ぶようになった。 矢倉沢の関所は、箱根の関所と同様に、 出女を原則としてみとめない厳重な関所だったという。 ちなみに家康が江戸城に入るときには中原往還、つまり今の中原街道を通ったという。

矢倉沢往還は、 江戸城赤坂門から始まり、青山通り、 渋谷道玄坂を通り、 三軒茶屋、世田谷、二子の渡しを通り、 溝の口、江田、長津田、鶴間、下鶴間、厚木、伊勢原を経て矢倉沢に至る。 但し、元禄時代に三件茶屋から二子へ通じるバイパスができたので、 世田谷は新大山道からははずれた。

もちろん矢倉沢往還は、家康が江戸城に入ってから急にできたものじゃない。 世田谷のぼろ市、つまり 世田谷新宿の楽市楽座が戦国時代に始まったことからも明らかなように、 すでに戦国時代には、この矢倉沢往還は存在していたのである。 少なくとも戦国時代には矢倉沢往還が相模~武蔵地方のメインストリートで、 小田原城と世田谷城の間の往来に使われていたことは確かである。

ではいつごろから矢倉沢往還という道はあったかというと、 話はずっと平安時代にさかのぼる。 古代、東海地方から関東地方に入る道には、 足柄峠を越える足柄路と、箱根峠を越える箱根路があった。 足柄路の方が古くて延喜式にもでてくるのだが、 西暦800年、802年に富士山が噴火して、足柄路がいったんふさがったので、 箱根路が造られたそうである。 箱根峠は駒ヶ岳の南側、足柄峠は北側にある。 足柄路から、当時厚木の付近にあった相模国府を経由して川崎方面に抜ける路が、 矢倉沢往還の原型となる。

ところがその当時には、厚木から長津田、溝の口、 世田谷へ至るルートはまだ存在していない。 したがって、いわゆる矢倉沢往還が完成したのは、 世田谷に吉良氏が城を築いた戦国時代以降の話になるのだろう。

更級日記によれば、相模国の「にしとみ」「もろこしが原」というところを経由して、 足柄山を越えたと書いてある。 にしとみとは現在の藤沢市西富町、もろこしが原とは平塚と大磯の間のことで、 どちらも海沿いの土地であり、海の景色の描写もあるので、 更級日記の作者らは海沿いの道、 おそらくは現在の東海道に近い道筋を通ったのではないかと思われる。

さて、田園都市線や、国道246号線、東名高速などの開発が始まる以前は、 溝の口には数十戸程度の人家しかなかったそうだ。 おそらくかなりこじんまりした宿場町だったのだろう。 長津田もにたようなものだったに違いない。 次回は長津田の歴史について調べてみたい (笑)。

ウィンクされたら死ぬ遊び

今日は山手線ゲームとか,ウィンクをされたら死ぬとかそういう遊びをした. 罰ゲームがマイヤーズをショットグラスで一気飲みでなければもう少し楽しめたのだが.

それからカタカナ言葉をしゃべったら罰ゲームというのもやった. 僕は大和言葉以外は外来語だと思って普段も気をつけて書いたり話したりしてるのでわりと楽だったけど. 俵万智が「短歌を作る」と言うのがとても汚らしく聞こえる. これは「和歌を詠む」または「うたをよむ」というのが正しいと思うんだが.

紅白の感想を読もうと思って日記をいくつか回って読んでみたが, ろくなことを書いてない. アムロナミエは感極まって泣いたのだと,みんな書いているが, あれは高い声が出なくて恥ずかしくなって泣いたのだと僕は今も思っている. 表情を見ながら聞いていればわかるはずだ. 僕と同じ意見の人も居るにはいた. あの「Can you celebrate?」という歌は一年前にいやというほど聞かされたので, わりと記憶に残っているほうだが, どう聞いてもこないだのアムロの歌は下手くそだった. 一年前ならあの程度の高音は軽く出していたのだ.

上田さんも同じようなことを書いている.安心した.

北島三郎が歌詞を忘れたのは確かに「忘れちゃならねえ」というところだった.

武田鉄也と和田あき子が熱唱だったのは認めよう. ただしあの手に持ったマイクはダミーだろう. 肉声をどこかの無指向性マイクが拾っているだけじゃないことは明らか, というか,現在の技術では, マイクを手に持って歌うことなどナンセンスなんじゃなかろうか.

昨日はだらだらとNHKの教育放送を見ていた. 教育放送はいかにあるべきかなどという話をまじめにやっていた. 郵政大臣当時の田中角栄が出てきたりした. 若い頃の田中角栄というのは実に良い顔をしているね. ロジャー・ペンローズとかスピルバーグとかも出てきた. なかなかすごい顔ぶれだった. 誰だったか,おにゃんこくらぶのプロデューサかなにかやったやつが, NHKは「幕の内弁当」だから記憶に残りにくいとか言っていた. 井上ひさしも出てきた. 僕はNHKの,10年か20年くらい前の,左傾化した人形劇のイメージがあって, それはきっと井上ひさしらの影響を受けていたんだろうなあなどと思いながら見てた. プリンセスプリンプリンなんてひどいものだった. ようするにジョンレノンのような平和主義というか, みんなが平和になると信じれば平和になるんだとか, みんなが戦争を望んでいるから戦争になるんだとか, そういう思想が僕は嫌いなのだ.

生涯教育や社会人教育を充実させるという意味では, 番組の内容はもっと高度でもよい, という考え方には賛成だ.というか,もっともっと高度にして良い. だけど,芸能とか演劇とか古典音楽とか僕には興味ないので, 別チャンネルにしてほしいけど(笑).

だいたいNHKが嫌いなやつは「幕の内弁当」的側面にだけ注目して批判する. そうしてそういう通り一遍な,言い古された,ありきたりの, ある意味「幕の内弁当」的な批判をして満足しているのである. 紅白歌合戦だってろくに歌聞いてちゃいないくせにさ. 僕だって毎年真剣に見てるわけじゃないが, こないだの紅白はなかなかおもしろい見物だった.

いや,民放にもおもしろい番組はたまにある. 昨日はインドネシアのコモド島までコモドドラゴンの手形を取りにいったりしたが, あれは見方によれば,バラエティ番組というよりもっとまともなドキュメンタリーとして見れた. クラゲを捕りにいったり,焼き物をやいたり,悪くなかった. しかし,どうしてヤラセというか偶然をよそおいたがるのだろう. ドキュメンタリーなら,取材したとおりを淡々とやればよさそうなものだ. 余計な脚色など不要だ.

タルコフスキー

タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.

さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.

ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.

脚気と結核

田山花袋の「一兵卒」と梶井基次郎の「のんきな病人」を読んだ.
「一兵卒」は日清戦争か日露戦争の頃に一兵卒が脚気で死ぬ話.
のんきな病人は,結核患者の話.
結核患者が風邪をひいて寝込んでいた.
野良猫が入ってきて,
首から蒲団の中に入り込もうとする.
体が動かないので,入れまいとすると,
反対の首のところから入ろうとする.
それも入れまいとすると,
今度は腹の上に丸くなって毛をなめ始める.
呼吸がすごく苦しいので,
やっとのことであぐらをかいて,
猫を思い切り部屋の隅に投げつけた,などという話.
昨日は薄着をして芋煮会で寝転がっていたら風邪をひいた.

 防衛庁第4研究所見学

淵野辺に行って, フライトシミュレータを戦車のシミュレータに改造したやつに乗ったり, 9眼のベースラインステレオ(ほぼ実時間で奥行きマップを計測する)やつをみたりした. なんかの写真で見たフライトシミュレータに初めて乗れたのがうれしかった. 戦車で山の上に駆け上り,急な斜面を降りようとしたら, 一瞬宙に浮いて地面に叩き付けられたのが楽しかった(笑). 富士の裾野を模してあるのだが, 富士山がなかなか絶景だったね.

防衛庁の技官の世界というのも初めて見聞した. 要するに,想像通りの世界だね. 地雷にさわったりもした. 火薬は入ってないとわかってても,万一入ってたら!と思うと怖いもんがある. 地雷を100%検出する方法というのはないそうで, 確実に除去するには, 戦車の先にローラをつけて,鎖をたくさんぶらさげて, 地面をばしばしたたきながら爆発させるしかないそうである. ところが,対戦車用の地雷は, 爆発すると半径8mくらいのクレータができてしまうくらい強力なもんだそうで, 爆発するたびにローラを交換しなくちゃならないそうだ.

なんでも,探知機というのは,地雷と周りの土の誘電率の境界面を検出するんだそうだが, 土の具合や湿り具合などで,境界面がまったく検出できないこともあるんだそうだ. 地面がでこぼこしてたり,草が生えてても深刻な影響を受けるという. 対戦車地雷は人が踏んだくらいじゃ爆発しないが, その周りに対人地雷が埋めてあったり, 取り除こうとすると爆発するような仕掛けがしてあったりするという. で,地雷除去の研究をしてる技官も,実際に地雷除去の作業をしたことはないそうで. まー,なんとも危なっかしい話だね.

自動走行車なども見た. 防衛庁の研究所というのは,けっこうすごいことやってるのだが, メディアへの露出はきわめて消極的だ. もっと情報公開すればいいのにね. その点民間企業は,見せるとこと見せないとこをうまくやってるのかなあ.