昔の日記

世田谷素描はまだこの日記に統合していなかった。1997年9月くらいから ASCII Internet Freeway + Geocities で書き始め(笑)、AIF はこの年の12月で終了しているから、そのあとリムネットに引っ越して続けたらしい。なんかすごいな。もう30年近く前のことなんだな。ついこないだのことのようだ。

バックアップのファイルはけっこう膨大にある。気が向いたときにちまちまやる。

ネットに日記を書き始めたのは1995年くらいからなんだが、この頃にはすでに大田区石川町から世田谷区太子堂に引っ越したようだ。

石川町というか最寄り駅でいうと東急池上線石川台に住んでたのだが、そこはトイレも流しも共同みたいな今の感覚でいうとかなり極貧なところだったなあ。駅前にはスーパーマーケットが一つあったが今地図で見るとピーコックって書いてある。ほとんど覚えてない。石川台商店街なるものもありはしたのだが全然大したものではなかった。

三茶は風呂無しワンルーム。1Kといえば1Kだったかな。

1997年頃にはすでに隣でマンション工事が始まりそれがうるさくて世田谷線の奥地に引っ越したのだったが(このとき初めて部屋に風呂がついた)、1998年には川越の方へ転職したのに1999年くらいまではしつこく世田谷に住んでいたようだ。あ、1999年4月に成増に引っ越したって書いてるなあ。なんかもう何もかも忘れている。日記というものはありがたいものだ。もっとこまめに書いておけばよかった。

今だとツイッターとかいろんなものにちょこちょこ書き込んだり写真撮ったりするから割と何してたか履歴が残りやすくて良いよな。まとまったこと書こうと思えばブログ書けば良いわけだし(それ言ったら今や自分の行動履歴はみんなgoogle様に筒抜けでgoogle maps でどこに言ったか過去までさかのぼってみれちゃう)。2000年よりか前はそもそもコンデジですらまだそんな普及はしてなかった。まだみんな銀塩写真を使っていたはずだ。

京都の駿台予備校の寮は朝と晩の飯がついて四人部屋で家賃はうーん、良く覚えていない。

東京で初めて住んだのは某地方自治体が運営する学生寮で二人部屋、家賃は1万円くらいだったと思う。人間関係が嫌すぎて1年しかもたなかったが、今から思えばおとなしくしてもっと長くいたほうがよかったと思う。あの時はしかし早く独り暮らしがしたくてしかたなかった。

石川町の部屋は3万円だった。1986年から住んだはずである。

三茶の部屋は5万円だった。ここへ引っ越したのは1992年1月だったらしい。てことはD1の時ってことか。

世田谷の部屋は半地下みたいなワンルームで7万円だった。このころはすでに給料をもらってた。

成増、というか、板橋区赤塚の部屋は2DKで40m2もあって8万円だった。一人暮らしするには広すぎるくらい広かった。人生別に何の不満もなかったんで(たぶん)、そこに同じようにずっと暮らしていても平気だったと思うが、その後いろいろあったというわけだ。

今度浅草に借りる部屋は赤塚よりはちょっと狭いがだいたい同じくらいの広さで同じくらいの家賃だ。浅草は人も多いが物件も多くてしかも古い物件が多いので、賃貸が比較的安いのだと思うが、それでもずいぶん格安なんだと思う。

1986年頃は、和歌を詠み始めて、引っ越しもして、一人暮らしを始めて、それで少しだけ日記が残っている。1987年はたぶん合宿免許の時に少し歌を詠んだのだが、それ以後、1995年にインターネットというものができて日記を書くまでは、ほとんど何の記録も残してない。写真を撮ったということもほとんどない。歌も詠んでない。学部から博士課程まで大学生だったころの記録がほとんどない。今から思うともったいない。少しは書いておくべきだった。ああそうだ。fj.soc.misc とか、ネットニュースにはいろいろ書き散らかしたはずで、探せばどこかに少しは残ってるかもしれない。

あー。検索すると出てくるね。でもあんまりほじくり返さないほうがよさそうだなあ。書き散らかしてしまったものは仕方ないんだけど。

Unified fj NetNews archiveの全文検索

それはそうといろんなことに関心というか驚きを失っているような気がする。twitterを読んでても、昔は何かマンガか動画があったらいちいちみてたが、今は見ずに流す。世間のニュースもよほどのことでないかぎり流す。youtubeもたいてい見飽きてみてみようという気がおきない。どうせこの程度のものだろうと思うと時間を使う気にならない。AIが描いたなんちゃらというのも最初は物珍しかったがすぐに飽きた。ていうか、全然面白い絵を描いてくれないからいらいらする。

とりあえず今はしなきゃならないことがたくさんあるからそれで良いのだけど。私の中では、しなきゃならないこととしたいことが半分くらいに混ざってないとメンタル的にやばいので、やらなきゃならない仕事が増えればそれに応じてやりたい仕事も増やさなきゃならない。やりたい仕事というのはつまり執筆活動とかそれに伴う読書なのだが。これが定年後やらなきゃならない仕事がなくなり、やりたい仕事だけになればだいぶメンタルは回復すると思う。それがもうあと六年後にせまっているのだが、そのときどうなるのかまるで想像つかない。

右も左も歯を治療して奥歯に穴がぼこぼこに空いていたのだが、やっと全部終わった。長かった。右でも左でも噛めるのは幸せだ。それだけでも少し気が楽になった。いまさらだが今度という今度は歯医者のありがたみを知った。歯は大事だ。四か月に一度定期的に通おうという気になった。これからはできるだけ柔らかいものだけ噛んでいきたい。固いものを噛む時はゆっくり少しずつ噛むことにする。

東京国立博物館、12月22日には年末年始の休館に入ってしまう。早すぎる。まあいいや。浅草に住んだらいつでもいけるわけだしな。

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