玉栃馬

北関東埼玉群馬栃木にはまだまだたくさん土地が余っている。そこで埼玉と群馬と栃木の県境(渡瀬遊水池あたり。実は茨城千葉も近い)に日本の首都機能を移転して、その都市の名は、埼玉と群馬と栃木から一字ずつとって「埼栃馬」(さいとちま)あるいは「玉栃馬」(たまとちま)という名前にする。これは京阪奈(けいはんな)にならった命名。私は玉栃馬の方が好みかな~。湿原と利根川と水田に囲まれた自然豊かな首都となるであろう。湿原をむやみに埋め立てるのではなく、自然を残しつつ開発したいですのう。鬼怒川温泉にも草津温泉にも伊香保温泉にも直線道路と鉄道を建設して、30分で都心から行き来できるようにすればなお良い。すばらしい!

開けられないブラックボックス

ビックコミックのアフター0というのでありとあらゆる電磁放射や圧力を100%はねかえす箱というのが出てくるんだよね。で、誰もがそのブラックボックスを開けられない。その箱の中には花崗岩の石版が入っているのだが、核分裂で発生する熱で数千万年のうちに中の石版がどろどろにとけるというんだよね。で、開けた瞬間に中から溶けた花崗岩が飛び出してくるという。しかし、外界からのいかなる信号もはねかえすのに、どうやってその箱を外から開けられるのかと。また、外から電磁波が入らないということと中から熱が出てこないというのは別問題な気もするし。SFとして成立してないような気が。

地獄の黙示録特別完全版を全部見る。難しい映画だと思っていたが、通してみると非常に説明的というかオムニバス形式というか、いれかわりたちかわりいろんな人がいろんな立場でベトナム戦争を語っているのだった。「サーベイ映画」と言ってもいいかもしれん。

「猫の恩返し」はけっこうおもしろい。

「ギブリーズ episode 2」もわりと好き。

丸谷才一は小林秀雄が嫌いらしい。私も別に好きではないが。

丸谷才一「桜もさよならも日本語」という本があり、昭和7年と昭和58年の某新聞の社説を比較しているところがあり、戦前に比べて戦後はだいぶ日本語の文章が読みやすくなったと言っている。戦前の文章や結婚式の祝辞などはたとえて言えば祝詞のような意味不明の美文なのに対して、戦後の文章は虚飾と儀式性を廃した実用的な文章だという。

しかし私から見ると戦後の社説も戦前に負けずおとらず虚飾に満ちており、意味不明に思える。

相互依存の進展する現在の世界では、国家間の利害が衝突する機会が増え、その分野も広がる。密接な関係にある先進工業諸国の間では、なおさらその可能性が大きい。

こんな文章に何の意味があるのだろうか。情報量が0だ。まだ近所のスーパーの折り込みチラシの方が情報量があるだろう。こんな文章を書くやつは馬鹿じゃないかと思う。春秋戦国時代の国際関係だって似たりよったりじゃないか。戦前の軍国主義が盛んだった昭和7年くらいの社説が空虚なのは当然だし、そんなものと比較すること自体が恣意的だと思う。単に戦前と戦後を比較したいのであれば、もう少し前の大正時代の社説と比べてみてはどうか。下手をすると、大正の方が今よりまともかもしれない。

丸谷才一という人を私は非常に尊敬しているし多大な影響を受けてもいるのだが、ときどき急にワケのわからないことを言い始めるという気がする。

※追記 丸谷才一は祝詞に何か恨みでもあるらしい。國學院大學教授だったときによほど嫌な思いをしたのだろう。

そもそも祝詞は意味不明でも虚飾に満ちてもいない。祝詞は昔から繰り返された決まり文句であるというだけで、意味はある。アワビの干物を何個、アジの干物を何個、米や麦やヒエやアワを何升、献上します、ということを言ってたりとか。つまり今でいう目録のようなものだったり。レトリックというものからは一番遠い。きわめて素朴な文章である。
そういうことを丸谷才一が知らないはずはないのだが。

お中元とかお歳暮とか年賀状とか年始参りとか父の日母の日とかクリスマスとか、もろもろの近所づきあいとか、結婚式のスピーチとか、葬式とか香典とか香典返しとか、昔は(そして今も)やらなくても良いことが日本には多すぎた(今も多すぎる)んだよね。
そして当たり前だとあきらめてたんだよな。しかし決して当たり前でもなんでもなくて、ほったらかしとくと国が死んでしまうんだよ。ともかく、政治家に結婚式や葬式にわざわざ来てもらうのはやめれ。

某新聞の「**」も救いようのない駄文なんだこれが。文芸は文芸できちんとやってもらってかまわんが、報道とも文芸ともつかない自慰行為を惰性で続けるのはやめてほしいよなあ。もう21世紀なんだからさ。紙面を減らすか広告を増やすかして値段を下げてくれた方がまだいいんだけど。あるいはスタパ斉藤に社説書かせるとか。なんでもいいからもちっと工夫してほしいね。

ラーメン模様その2

ラーメン模様が商の獣面紋の時代から連綿と使われてきた意匠であるかというと、そうではないような気がしてきた。ラーメン模様自体は清朝までしか遡れなくて、この時代の歴史学というか考証学の成果として、つまり一種の文芸復興として、太古の獣面紋を器の意匠に採り入れたのではないか。

中国では宮廷の意匠を民間人が採り入れることで普及することが多いように思う。私が北京で買ってきたどんぶりも「大清光緒年製」などという銘が入っているがこれは大嘘である。12元くらいの大量生産品である。清朝くらい昔の意匠であれば誰でも勝手に使ってよいし誰もそれをとがめない。海外に輸出する分はどうか知らないが、中国国内で出回るものにはわざわざこれは偽物ですという但し書きさえない。だいたい古いものほど民間には伝わりにくい。民間で普及していたものが宮廷などに伝承され、民間ではいったんは絶えてしまうが、文芸復興運動などで民間に広がり、昔からずっと続いていたかのように復活するのだ。日本の文芸の多くもそうだ。

清朝時代の磁器の特徴は西洋風と中国風の意匠の折衷にある。草花をあしらった唐草模様風ではあるが、唐時代のものとかペルシャの影響いうより、西洋のデザインから来ているのだという。バランスとして、青銅器時代の古色蒼然とした中国風の文様を入れてみたくなったのかもしれない。満州人は漢民族ではないので、わりと自由に好き勝手にデザインしたのかもしれない。

ラーメン模様

ラーメン模様が古くは青銅器の獣面紋に由来するのは明らか。商の時代にすでにあったのは確かだが、おそらくこのような意匠は日本の縄文式土器のように、土器の時代にさかのぼるのじゃないか。つまりああいう文様というのはつちくれをいじくり回していると自然とできてくる。彩色でなくてテクスチャを表現しようとするとああいうふうになりやすいと思う。となると現代のラーメン模様は中国の歴史時代以前にまでさかのぼれることになり、そう考えるとラーメンどんぶりにも中国五千年の悠久の歴史を感じさせるのであった。

獣面紋はアフリカのお面とかアメリカのトーテムポールとかそういう原始芸術を思わせるよね。子供の芸術というか。

志賀直哉

志賀直哉の「剃刀」は27才のとき、「清兵衛と瓢箪」は29才のとき、「小僧の神様」は36才のときの作品なんだねぇ。もう私はそんな年とっくにすぎたよ。しかし「濠端の住まい」は41才、「晩秋」は43才、「万暦赤絵」は54才ですよ。そう言われてみると、確かに「剃刀」「清兵衛と瓢箪」は若さに満ちあふれとるし、「万暦赤絵」はいかにも年寄りじみてるし、「濠端の住まい」「晩秋」は四十路のおやじが書きそうだ。「小僧の神様」は年齢不詳(?)だが、三十台半ばといわれれば、はぁと思い当たる節もあるようなないような。じゃあおまえ年の順に並べてみろといわれてもできないようなできるような。

しかし若いと言えば中島敦は若いよねぇ。ほとんどの作品が32~33才。「山月記」も「李陵」も「名人伝」も。

いやしかしねぇ。

筒井康隆も読み返してみてるが、まあなんていったら良いのか。明らかにあまりにもひどいのもあるよねぇ、筒井康隆は。

幻魔大戦

すごく久しぶりに幻魔大戦 (DVD) を見た。1980年代の紙と木でできたぺらぺらの家屋に住む日本人って感じが良く出てた。1983年ですよ。まだCDプレイヤーとかもなかった時代。
いや、一部にはあったかもしれんが。アニメとしては非常に稚拙だが、中身はかなり濃い。超能力モノのアニメとしてはバビル二世がかなり古いような。ガンダムもイデオンもそうだしね。なんか超能力はやってたよねー。ユリゲラーのせいかな?めちゃくちゃ手を抜いて静止画で済ませてたり、ほんとまじで紙芝居並に止まってたりして、しかしサビんとこはディズニー並にこまかく動かしてたり、作り込みにムラがあるのよねー。まー、昔のアニメってそうだよね。破裏拳ポリマーもそうで、ときどき気合い入れて動きが良い場面とかあると、あー、ほんとは全編通してこのくらい作り込みたいんだろうなあとか同情したりして。

つーか、そういう意味じゃ、技術的には当然進歩したけど、大して進化してないんじゃないかなと思うね日本のアニメって。

あと、今じゃ絶対作れないくらい原色の明滅がきつい(笑)。私は全然平気だけど。ナムジュンパイクとか新興宗教の自己啓発セミナーとかこんなだよねきっと。

FF XI はすごいと言えばすごいんだろうけど、今時これくらいできて当たり前な気もするし、じゃあ自分でやりたいかって言われたらどうかな。

なんか、ガソリンスタンドでバイトしながらお金貯めて、バイク買って首都高とか峠をつるんで暴走するとかいうゲームなら、ちょっとやってみたいかも。追体験というのかな。事故っても死なないし。

シェンムーオンライン横須賀どぶ板編とかさ。毎日フォークリフトのバイトするとかさ。バイト仲間で弁当食いながら会話するとかさ。カモメにエビ天のしっぽ投げるとみゃーみゃー鳴きながら寄ってくるとかさ。

あるいは戦後の新宿の闇市で成り上がっていくヤクザ者のオンラインゲームとか。

初詣は京城で

「初詣は京城で」という中吊り広告があって、はあ、ソウルで初詣とは?とよく見ると、「初詣は京成で」と書いてあったのだった。よけいな背景のテクスチャのせいで見間違えた。

山羊や羊は野菜くずをあげるとよい、ただしタマネギ、ネギ、ほうれんそうなどはだめらしい。そのへんの草やはっぱや紙を食わせてもいかんらしい。それは過保護ではないか。山羊の目は横に平たいと思ってたが必ずしもそうではないのか。

アメリカ

アメリカのマクドナルドは今はなきバーガーキングと同じくらい巨大サイズなんだが、デニーズも古き良きアメリカって感じで、昼間っから Tボーンとかビフテキ 500gとか出てきますよね、という話をしたら、アメリカのデニーズは人種差別がひどいのであまり行かない、と言われた。

人種差別というのはアジア人や黒人が来ても、いつまでたっても注文を取りに来ないとかそういうことだそうだ。

坑夫

夏目漱石の「坑夫」というのを高校生のころに読んだが,あまり有名な小説でないので,それ以来見かけたことがなかった.漠然とどこかの炭坑のようなものを想像していたのだが,青空文庫で読み返してみると,この東京から北の方へむやみに歩いて松原が延々と続くというのは,どうやら川越街道の描写のようだ.とくに「松原が延々」というのは志木から川越の手前あたりのことに違いない.川越街道は「栗よりうまい十三里」で東京から 52km だから,夜通し歩けばだいたい三芳町あたりまでくるだろう.もしかして夜中に寝た八幡様というのは上福岡の鶴ヶ岡八幡神社だったかもしれん.

板橋街道というのが出てくるが,これはつまり中山道のことだが,これとは別もののようだ.中山道とは別に北へ行く街道と言えば,あとは水戸街道があるが,水戸街道や中山道は川を越えたり田圃を過ぎたりしてわりと変化がある.その点,川越街道は,志木を過ぎて柳瀬川をわたってからはほとんど何も変化がない.まず間違いないだろう.

さらに行くと,牛込神楽坂のようににぎやかで,東京と同じふうな人がいる町で,汽車のステーションがあるというところにでる.これは川越のことだろう.

それから汽車で足尾銅山に向かったとある.川越から足尾銅山へはずいぶん乗り換えがあるが,まあともかく,川越街道あたりで若者を勧誘して足尾銅山につれていく商売をしていたというのは大いにあり得る.

宮崎駿全発言

アニメージュ「宮崎駿全発言」というのを読む.
確かに子供が毎日三回「トトロ」を見てはいかんような気がするな.
しかしそういうことを言えば「お母さんといっしょ」や「セサミストリート」もいかんと思う.
人間は偶像がとてつもなく好きな生き物だから.
ぬいぐるみとか人形とかアニメのキャラなどはすべて業の深いものなのだ.
宮崎駿は,それを子供の教育の話にすり替えてしまっている.
昔の人間の方がより現実に近く,現在の方がよりバーチャルなのか.
そうとは言えまい.昔の方が人類は強く宗教や迷信や妄想に支配されていた.
貧困や病苦や死に翻弄されていた.
教育を受ける機会も少なかった.
たとえば藤原氏がのめり込んだ浄土思想を見よ.
あの平等院鳳凰堂の狂気狂信を見よ.
いま子供が毎日三回「トトロ」を見ているのとどこが違うのか.
では貴族でなく農民の子供として毎日ただ生きるために働いた方が幸せだっただろうか?

昔の子供は自然の中でのびのびと育った,というのも何か嘘臭い感じがする.
昔の子供も都市に暮らせば自然など知らないし,
今でも田舎で暮らせばいくらでも自然はあるはず.
宮崎駿は中世や神話や自然などを過度に美化していると思う.