gemini や google translate に相談しながら(笑)英文ページを作るのはとても楽しいのだが、google search console や analytics をみても、これらのページが閲覧されている形跡がまったくないのはがっかりだ。たとえば Daruma などで、せっかく「鶯谷」を工夫して a valley where bush warblers are singing と訳してみたり、初音小路を first chirp ally と訳したりしても、まったく張り合いがない。
google というものは、日本人には日本のサイトばかり、外国人には英語のサイトばかりみつけて見せるものなのだろうか。
勝手な思い込みで、世の中にまったく必要とされていない努力をしているようで嫌になる。
Kindle で本を出したときもそうだった。私がどんなに良い小説を書いたつもりでも誰も読まない。いっぽうで、エウメネスはヒストリエという漫画のついでに私の小説も注目されていまも読まれている。エウメネスは読まれる価値のある小説だと私も自負してはいるのだが、それ以外の小説がエウメネスより劣っているとは思えない。同じ作者、つまり私が書いたもので大差あるわけがない。
なんかしらの営業が必要なのはわかるが、営業の素人、というより、世の中の仕組みも資本主義の原理も知らない私が広告なんか出したところでドブに金を捨てるようなものだ。
結局私たちは、教育を受けて、大学を出て、会社に所属しないと金儲けができない存在なのだろうか。自分の力で生きていくことはできないのだろうか。
しかし自分が撮った写真を整理してみるとこの2年間ほど恐ろしく浅草で遊び回ったことがわかる。よくもまあこんなに遊んで死ななかったものだ。こんなに遊んだらもうこの世には何も楽しみなんて残ってなくて当たり前だ。
定年が近づくと私のように今の仕事に一切の情熱を失って、辞めた後何を老後の楽しみにしようかってことばかり考える人がいる一方で、辞めるぎりぎりまで可能な限りがんばろうとする人がいるように思う。私には理解できない。今やっていることを人に評価してもらって仕事を辞めた後も知り合いに覚えておいてもらいたい、尊敬してもらいたいと思っているのだろうか。そんな人は滅多にいない。もし万一いたとしても、死んだあとには何も残らないようなことに私だったら、頑張ったりしない。そんなことにあくせくとするくらいなら、その時間ぼーっと楽に過ごしたい。