29日、何事もなし。日東十客歌を作る。曰く、
大きな船を浮かべて長波を渡る
日東の十客は実に興味深い
田中は快談して山岳を揺るがす
飯盛は痛飲して江河を飲み尽くす
穂積と長与は乙女のような
華奢な体付きで薄衣にも堪えないといった風情である
宮崎はいつも考え込んでいる
彼と片山は同じ科目を学んでいる
隈川はフランス語会話を学び操り
月日が飛ぶように過ぎ去るのを惜しんでいる
丹波はまるで覇気がなく
波風に遭うたび憔悴している
萩原はいくら歌っても情を尽くすことがなく
滑らかな声で子夜歌を歌うのはどうしたことか
ただ独り森だけがのどかにくつろいで
いびきは雷のようだが誰も敢えて叱ろうとしない
何年か後に欧州遊学を終えて 帰国した後
皆の面目は果たしてどうなっていることか
30日、福建を過ぎ、台湾を望む。詩を作る。
歴史に永久に名を残した
鄭成功の業績は論じるまでもない
今朝はるか遠くの台湾の雲山の影を指さす
当時の鹿耳門はどのあたりだろうと
また、
絶海の巨船は凱旋して帰る
果断一挙に 物わかりの悪い連中を破ったのだ
戦で亡くなった兵士らを哀れむ
その骨は瘴気に満ちた蛮族の地に埋もれている
アモイ港の入り口を過ぎると二つの島が並んで立っているのが見える。その名を問えば、兄弟島であるという。感じるところがあって詩を作る。
ひとたび故郷を出て大海原を渡り
アモイ港の入り口でひどく心をいたませている
二つの島が波間に立っているのを私独り哀れんでいる
船人らはこの二つの島をわざわざ兄弟と呼んでいる
この日、船の中で体を洗う。
31日午後10時、香港に着く。まばらな灯火が近づくほどに多くなっていく。ほぼ神戸に似ている。夜、驟雨のために船に宿る。横浜からここに至るまで、約1600海里、船の中で雑詩を作った、ここに記す。
船旅中は家にいるときのように忙しくはない
睡眠も十分に足りて窓に夜明けの光を見る
鐘が数回鳴って私に起きろという
給仕が来て香り高い茶を勧める
山海の珍味がうずたかく積まれている
寒い部屋で一人あざわらっていた貧しかった頃を思い出す
小間使いが来て縄を引いて二つの扇を揺らし
私の頭の上から涼風を送ってくれる
およそヨーロッパの船舶の食堂では、テーブルの脇に二枚の麻のすだれを吊るし下げて、テーブルを白衣で包む。すだれごとに綱をつないで、小間使いにこれを引かせる。ひっぱったり緩めたりすれば麻のすだれが揺らぎ動いて、扇をあおぐようになる。詩の中で二つの扇と言ったのはこれのことである。また後で香港のホテルや療養病院にもこれを設けているところを見た。
本文
二十九日。無事。作日東十客歌。曰泛峨艦兮涉長波。日東十客逸興多。田中快談撼山嶽。飯盛痛飮竭江河。穗也長也如處女。淸癯將不勝輕羅。宮崎平生多沈思。與也片山是同科。隈川學操法國語。孜々唯惜日如梭。丹波何曾無豪氣。每遭風濤卽消磨。底事老萩情未盡。滑喉唱出子夜歌。獨有森生閑無事。鼾息若雷誰敢呵。他年歐洲遊已遍。歸來面目果如何。
三十日。過福建。望臺灣。有詩。靑史千秋名姓存。鄭家功業豈須論。今朝遥指雲山影。何處當年鹿耳門。又絕海艨艟奏凱還。果然一擧破冥頑。却憐多少天兵骨。埋在蠻烟瘴霧間。過厦門港口。有二嶋竝立。詢其名云兄弟嶋。有感賦詩曰。一去家山隔大瀛。厦門港口轉傷情。獨憐雙嶋波間立。枉被舟人呼弟兄。此夕洗沐于舟中。
三十一日。午後十時抵香港。燈火參差。漸近漸多。略與神戶似。夜驟雨宿舟。自橫濱抵此。約千六百海里。舟中得雜詩二錄左。舟中不似在家忙。眠足窓前認曙光。鳴鐸數聲催我起。薦來骨喜一杯香。山肴海錯玉爲堆。囘想寒厨獨自咍。有奴引索搖双扇。自吾頭上送凉來。凡西舶食堂。當卓之處。弔下二麻簾。包以白布。每簾繫索。使奴引之。一緊一弛。則麻簾搖動。如揮扇然。詩中所謂雙扇卽是。後見香港客舘及停歇病院亦設之。
註
日東十客とは森鴎外を含む10人の留学生を言う。
鹿耳門とはオランダが占領していた台湾に鄭成功が船で攻め入り上陸した地点。