24日午前7時30分乗船する。船舶名はメンザレ号、フランス人の所管。私と共に洋行する者は、およそ9人。穗積八束という人は伊豫の人で、政治を学びに行く。宮崎道三郞という人は伊勢の人で法律を学びに行く。田中正平という人は淡路の人で物理學を学ぶ。片山國嘉という人は駿河の人で裁判医学を学ぶ。丹波敬三という人は攝津の人で裁判化学を学ぶ。飯盛挺造という人は肥前の人で物理學を学ぶ。隈川宗雄という人は福嶋の人で小兒科を学ぶ。萩原三圭という人は土佐の人、長與稱吉という人は肥前の人、この二人は普通医学を学ぶ。
見送りの者らはすでに解散した。9時に横浜を発つ。別れに臨んで詩2首を作る。曰く、
港の夜は明け、水柵が見えてきて、警備の拍子木が聞こえる
楼閣の歌が止んだかと思うと、再び杯を傾けている
広々とした海原に波しぶきが立ち、気分は爽快だ
すばらしい、この小さな船で万里の旅に出るのだ
また、
顔を見合わせて涙を流す必要は無い
西と東に遠く離れていても人の世の中に違いはない
林おじさんが昔言っていたことを覚えているか
品川の海は大西洋につながっているということを
林おじさんとは林子平のことである。夜中に遠州灘を過ぎ、富士山が雲の上に突き出しているのを望む。詩を作る。
荒波が船を揺るがし、傾けてはまた平らにする
遠州灘に日が落ち、旅愁を生じる
突然空のかなたに富士山が現れ
船に乗り合わせた日本各地の者たちの間に早くも友情が芽生える
25日、波風が大いに起こり、苦しんで寝込む。詩を作る。
船酔いで一日中食べることができない
当分、すきっぱらに酒を注いで船酔いをまぎらすしかない
旅客らはみな悩み苦しんで一言もしゃべらない
ただ狭い船室の中で波の音を聞いている
26日午後、風がやや止む。
27日、薩摩の南を過ぎる。詩を作る。
遠くの山はもはや目をこらさなくては見えない
同行の仲間を呼んでやぐらに登る
波の間に陸地は沈んでもはや周りは空と海の青しかない
これからもう日本の島々を見ることはないのだ
28日、船旅ははなはだ穏やか。終日甲板に寝ている。天幕で日差しを遮り、竹のベッドに寝そべっているのは至極快適だ。柴田承桂が言う、竹のベッドは航海中の良き友であると。まさにその通り。
本文
二十四日。午前七時三十分上舶。々名緜楂勒。佛人所管。與余俱此行者凡九人。曰穗積八束伊豫人。脩行政學。曰宮崎道三郞伊勢人。修法律學。曰田中正平淡路人。修物理學。曰片山國嘉駿河人。修裁判醫學。曰丹波敬三攝津人。修裁判化學。曰飯盛挺造肥前人。脩物理學。曰隈川宗雄福嶋人。修小兒科。曰萩原三圭土佐人。曰長與稱吉肥前人。並修普通醫學。送行者已散。九時發橫濱。臨別得詩二首。曰水柵天明警柝鳴。渭城歌罷又傾觥。烟波浩蕩心胸豁。好放扁舟萬里行。又何須相見淚成行。不問人間參與商。林叟有言君記否。品川水接大西洋。林叟者謂子平也。晚過遠洋。望富嶽突兀雲表。有詩。駭浪搖舟々囘平。遠洋落日旅愁生。天邊忽見芙蓉色。早是殊鄕遇友情。
二十五日。風波大起。困臥。有詩。終日堪憐絕肉梁。且將杯酒注空膓。苫船一旅悄無語。只聽濤聲臥小房。
二十六日。至午風稍止。
二十七日。過薩南。有詩。遠山髣髴耐凝眸。呼起同行上舶樓。波際忽埋靑一髮。自斯不復見蜻洲。
二十八日。舟行甚穩。終日臥艙板上。布盖遮日。竹床支體。快不可言。柴田承桂曰。竹床者航海中良友也。果信。
註
メンザレ号、フランス船籍の郵便船。明治20年に上海沖で沈没したという。スエズ運河にMenzaleh湖というものがある。おそらくはこれにちなむ。