航西日記8

6日、波風は昨日と同じ。午後4時、サルディーニャ山脈を望む。10時、コルシカとサルディーニャの間を過ぎる。コルシカはナポレオン一世が生まれた地であり、サルディーニャの一島にはガリバルディの旧宅がある。今その境を過ぎて心を打たれずにはおれない。詩を二つ作る。曰く、

昔の事は雲のように過ぎ去り追うことはできない
水辺の英雄の故郷
かつて欧州を席巻しようと志した者も
今は小さな園に永眠している
赫々たる兵威はアメリカにも及んだ
平生の戦闘では私讐を捨てた
自由の一語は鉄よりも固い
英雄が危謀を多く用いたとは必ずしも言えない

7日、雨。午後2時、フランス国マルセイユに着く。一時的に停船を命じられて上陸が許されない。そこで黄色い旗を掲げて船を退かせて、港の入り口にある一島に停泊する。4時になってやっと入港することができた。ポートサイドからここに至るまで2017里、船の中で詩をいくつか作った。雑詩に言う、

果てしない風と潮に一隻の船を浮かべてから
目に入る山の姿も絶えてない
闇夜にかかる一輪の月だけが
万里相伴って客の愁いを照らし慰めてくれた
透き通るような肌 金髪 青い瞳
髪飾りがちらりとみえれば心はさらに勇み立つ
浮き草が漂いヨモギが転ぶような危険があろうと恐れない
月明かりと歌舞が船の中にある

同行の諸氏に言うようなつもりで

みんなで同じように海外の雲に翼を広げて
兵事を談じたと思えばまた文事を論じ合う
こんな奇縁をいつの間に結んだのだろうか
こんな人間関係はただの雀やツバメの群れでは無い

某フランス人に贈って言う、

聞くところによればあなたは何年も税関に勤務したそうだ
異境の地にいるうちに容貌も変わってしまったあなたを憐れむ
あなたは再び颯爽として一家とともに
妻子を連れ立って故郷に帰っていく

海の光のことを記して言うには、

夜光るものは秋の蛍だけではないごくちいさな海棲生物にも魂があるのだ星もなくまた月も無い怪しげな海底に金色の波が広々とした青海原に湧いている

海の光は海中の微生物が放つものである。船の波に刺激されて暗い夜に発光する。

船が港に入ると厄涅華ホテルの主管が出迎えた。そこで荷物を託してともに税関を通った。税関の役人が問うて言うには、紳士か、そのとおり、また言う、タバコや茶を持っているか、無い。それ以上は調べなかった。

7時にホテルに投宿する。時に雨がそぼふって深秋のように寒い。詩を作る。

頭を巡らせば故郷の山は雲路に遙かである
四十日間船の中にいて無聊を嘆いていたが
今宵はマルセイユ港埠頭の雨に降られている
旅人の愁いをすっかり洗い流してくれるようだ

また、

人がひっきりなしに通行し肩を触れあわんばかりだ
道を照らすガスライトが幾万とある
驚くことに激しい雨や冷たい雨の夜にも
その光は空の月明かりのように明るく照らす

8日、午餐の後に設哩路速家に着いて記念撮影する。午後1時、田中、片山、丹羽、飯盛、隈川、萩原、長與ら諸氏は先発する。ストラスブール方面へ行くためである。6時に汽車に乗りマルセイユを出発する。一等の車両は四区画に分かれており、一区画に二人が入る。ずっと座ってもいられないので、別に寝室を借りる人もいる。夜、リヨンを過ぎる。月や星がキラキラと輝いている。肌寒い。詩を作る。

秋の空に月が明るく輝いている
塔の先端にも木の梢にも
暑い町も冷たい村もあっという間に通り過ぎた
詩を作っても推敲しているひまがない

9日早朝、田野の間を過ぎる。綿の葉はすでに枯れ、菜の花は半ばしぼんでいる。木を植えて畝を耕すのは日本と変わりない。鳩が群れ飛ぶのを見ると、背は黒く腹が白い。農家はみな小さい。ただ、石畳を敷いているのが異なっている。午後10時、パリに至り、咩兒珀爾ホテルに泊まる。佐藤佐と出会う。佐は長い間ベルリンに留学していた。今はまさにマルセイユに行こうとしている。木戶正二郞が病気に罹ったので送るのである。夜「夜電」部劇場を見る。客は6000人、客席は4層になっている。俳優には男も女もいる。イタリア人が多い。演じられた戯曲の名称は「宮中愛」である。およそ四つの場面に分かれている、最初は名妹が王に謁見する。次は壮士が決闘する。次は英雄が凱旋する。最後は夜の宴。女優の名妹に扮する者は媚態をまきちらして人の魂を虜にする。別に一場面があった。「騒擾の夜」という。波瀾万丈で観客は絶倒した。劇場内の器具は精緻を極めている。あるものは鏡で影を映し、あるものは色とりどりの照明を使っている。明月が林を照らしたり、噴水がしぶきをあげたりするのは、ほとんどほんものそっくりである。この日、佐藤氏に詩を贈る。

あなたと別れて三年が経った
あなたはずっとドイツにいた
思いもしなかったパリ城外の月に照らされて
暫時手を取り合って別れのつらさを語り合うとは

10日、公使館に着く。午後8時、汽車はパリを出発する。車両の両壁に鉄道図が貼ってある。ブレーキがかかっていて、急な時にこれを引っ張ると車両を停めることができる。また窓の上に小さな穴を空けて換気することができる。はなはだ便利である。

11日午前7時、ドイツ国ケルンに達する。私はドイツ語を解する。ここに来てやっと人の言葉がわかるようになった。愉快だ。午後8時30分、ベルリンに至る。ドイツ皇帝がホテルに訪れる。田中、片山らを問うに、皆まだ到着していなかった。

本文

初六日。風波如昨。午後四時望泪第尼山脈。十時過哥塞牙、泪第尼之間。哥塞牙者拿破崙一世所生之地。而泪第尼一島有加里波第之故宅。今過此境。不能無感。賦詩二首。曰。往事如雲不可追。英雄故里水之涯。他年席捲欧州志。已在小園沈思時。赫々兵威及米州。平生戦闘捨私讐。自由一語堅於鉄。未必英雄多詭謀。

初七日。雨。午後二時抵佛國馬塞港。偶有停船法。不許上陸。乃揭黃旗退舟。泊于港口一嶋。至四時。纔得入港。自卜崽至此二千零十七里。舟中得詩數首。雜詩曰。森漫風潮泛隻舟。絕無山影入吟眸。可憐碧落一輪月。萬里相隨照客愁。氷肌金髮紺靑瞳。巾幗翻看心更雄。不怕萍飄蓬轉險。月明歌舞在舟中。似同行諸子曰。鵬翼同披海外雲。談兵未已又論文。奇緣何日曾相結。不是人間燕雀群。贈佛人某曰。聞說多年官稅關。殊鄕憐汝改容顏。飄然又作全家客。手拉妻兒向故山。記海光之事曰。夜光何獨說秋螢。水族幺麼却有靈。怪底無星又無月。金波萬頃湧溟。海光者水中微生物之所放也。舟激波。則昏夜見之。舶之入港也。厄涅華客舘主管來迎。廼托以行李。俱至稅關。々吏問曰。紳士乎。曰然。曰有烟茶否。曰無。則不復査矣。七時投於客舘。時細雨霏々。冷如深秋。有詩。囘首故山雲路遥。四旬舟裏歎無聊。今宵馬塞港頭雨。洗盡征人愁緖饒。行人絡繹欲摩肩。照路瓦斯燈萬千。驚見凄風冷雨夜。光華不滅月明天。

初八日。午餐罷。至設哩路速家撮影。午後一時。田中、片山、丹羽、飯盛、隈川、萩原、長與、諸子先發。以取道於斯都刺士堡也。六時乘汽車。發馬塞。一等車箱。分爲四區。每區容二人。可坐而不可臥。故有別買寢室者。夜過里昂府。星月皎然。寒氣侵膚。有詩。淸輝凛々秋天月。影自塔尖遷樹梢。熱市冷村塵一瞥。無由詩句費推敲。

初九日早。過田野間。綿葉已枯。菜花半凋。植木畫畝。與我無殊。有鳩群飛。黑背白腹。農家皆矮小。唯磚石疊成爲異耳。午前十時至巴里。投咩兒珀爾客舘。邂逅佐藤佐。佐久留學於伯林。今將赴馬塞。送木戶正二郞有病歸鄕也。夜觀「夜電」部劇塲。容五千人。設座四層。俳優有男有女。多伊太利人。所演之戲。名「宮中愛」。凡四齣。曰名姝謁王。曰壯士決鬪。曰英雄凱旋。曰夜宴簪花。女優扮名姝者。媚態橫生。使人銷魂。別有一齣。名「騷擾夜」。戲謔百出。觀者絕倒。塲中器具。極其精緻。或借鏡影。或用彩光。若明月照林。噴水籠烟。殆不可辨其眞假也。此日贈佐藤氏詩。別來倐忽閱三秋。期爾依然在德州。豈憶巴黎城外月。暫時握手話離愁。

初十日。至公使舘。午後八時。滊車發巴里。車箱兩壁。貼鐵道圖。懸槓杆。有急之時動之。可停車行。又窓上設小孔換氣。甚便。

十一日。午前七時。達德國歌倫。余解德國語。來此。得免聾啞之病。可謂快矣。午後八時三十分。至伯林府。投於德帝客舘。問田中、片山等。皆未到也。

厄涅華ホテル。不詳。

設哩路速家。不詳。

斯都刺士堡。ストラスブールか。

咩兒珀爾ホテル。不詳。

外国地名および国名の漢字表記一覧。役に立ちそうで立たんかった。

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