渡部昇一『漱石あれこれ』で
高校生ぐらいで漱石の『草枕』や『吾輩は猫である』が面白いというのは天才か、早熟か、ハッタリに違いないと思ってしまうのである。
(若い頃は)みんながよく読んでいるらしい漱石は通読できない。これは読者の側である私の方が少しおかしかったのか、それとも漱石がそれほど難しかったのだろうか。それは後者であったのだと私は断言する。というのは、それから二、三年して私は漱石を読まない日はないほど熱中しはじめるからだ。
とあるのだけど、この渡部昇一という人は、確かに面白いことを書く人だけど、ときどき変なことも言う人だ。少なくとも漱石のどこが(自分にとって)難しくどこが面白いのか説明してもらわないと、他人には余計にわからないではないか。
たぶん渡部昇一は適当に斜め読みすることができない人なのだろう。夏目漱石という文豪に向かい合うとその書いたものをすべて読み解かなくては読んだ気になれず、書かれたものにはすべて何か意味が、寓意が込められていると考えてしまい、自分の中にもう一人の漱石を造り上げてその像を自分なりに補い完成させなくては気が済まない人なのではなかろうか。
『草枕』『吾輩は猫である』は、渡部氏が書いているように、漱石が気分転換に数日か一週間、或いは十日程度で一気に書いた、つまり思いついたことを書き殴ったものにすぎまい。それは確かに漱石の俳句に似たものであった。『猫』は『猫』で猫が出てくる小説と思って読めば良いのであり、『草枕』は温泉旅館のちょっと風変わりな美人女将が出てくる小説と思って読めば良いのであり、まずはその表面をざっと眺めてみて、それで面白ければ精読したければすればよかろう。
江藤淳も夏目漱石について随分書いているが、
「草枕」という、この奇妙な小説の中で最も人口に膾炙されているのは、恐らく冒頭の、「智
に働けば角
が立つ。情
に棹
させば流される。意地を通
せば窮屈
だ。とかくに人の世は住みにくい。」という一節であろう。(中略)『猫』のそれと同様に数多い『草枕』の読者は、作者の「非日常」芸術論などを素通りして、この名文句だけを心にとどめるのだ。作者が、これに続けて、「住みにくさが高
じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟
った時、詩が生れて、画
が出来る。」といおうがいうまいが、そのようなことはさしたる問題ではない。このような名文句によって最もよく記憶されているということは、非常に重大であって、要するに尋常な『猫』の読者はこの作品をそのような読み方で読んだのである。
などと言っている。実際『猫』の読者は冒頭の「吾輩は猫である。名前はまだない」まで読んでそれで満足しきって、ろくに本文など読んではいるまいと思う。渡部昇一はこの冒頭の文句と同じテンションで最後まで読み切らねばならぬと思うから途中で疲れて通読できなかった。そして多少年を取ったあとで無理矢理通読できるようになったということだろう。
漱石はちょうど発句あるいは漢詩を作る気分でああいう出だしで書き始めた。読者受けを狙ってあの冒頭の文句を書いたのではあるまい。漱石にはそうした書き出し方しかできなかった。しかし小説を全文、俳句や漢詩と同じ調子で最初から最後まで書き通すことはできないし(しかしゲーテがファウストを全部韻文で書き直したように、絶対できないともいえないかもしれないがそれには数十年の歳月を要する)、読者も読むことはできない。だからなにやら冒頭だけ名調子のようになった。
漱石は新聞に発表してみて初めて自分の文章のどこが読者に受けるか気付いたのに違いない。そうするとますます漱石は読者に受けるために(つまり原稿料や印税を稼ぐために)、読者が好むような要素を自分の作品に盛り込まざるを得なくなったに違いない。
彼は髪剃を揮うに当って、毫も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉み上の所ではぞきりと動脈が鳴った。顋のあたりに利刃がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭いがする。時々は異な瓦斯を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛でも掻き切られては事だ。
こうした口調はまさに『猫』の口調そのものだ。熊本の田舎にわざわざ東京神田から都落ちしてきた髪結床職人にこうした江戸弁で語らせている。一種の即興演奏に近い。一気に書いたものに違いないのである。おそらく実体験をそのまま写したのだろう。漱石はまだ江戸の雰囲気が残る東京でふだん自分が面白いと感じたものをそのまま作品に取り入れていた。こういうものをただああ面白いと思って読めば良いだけの作品に思える。このくだり、志賀直哉の短編『剃刀』に良く似ているのだが、志賀直哉が『草枕』のこの箇所を意識して『剃刀』を書いたのはほぼ間違いないように思える。『剃刀』には床屋が「癇の強い男で、撫でて見て少しでもざらつけば毛を一本一本押出すやうにして剃らねば気が済まなかった」とあり、『草枕』には「私
ゃ癇性
でね、どうも、こうやって、逆剃
をかけて、一本一本髭
の穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに今時
の職人なあ、剃
るんじゃねえ、撫
でるんだ。」とある。似すぎている。絶対にこれはオマージュだ。癇癪持ちの床屋にヒゲを剃ってもらうのは確かに恐ろしい。
「狂印と云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂だ。行くのか、行かねえのか」
「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御祈祷でもあればかりゃ、癒るめえ。全く先の旦那が祟ってるんだ」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」
「石段をあがると、何でも逆様だから叶わねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂は気狂だろう。――さあ剃れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」
「いやもう少し遊んで行って賞められよう」
「勝手にしろ、口の減らねえ餓鬼だ」
「咄この乾屎橛」
「何だと?」
青い頭はすでに暖簾をくぐって、春風に吹かれている。
この「咄この乾屎橛(乾いた糞の棒)」というのは当時の禅宗の坊さんが言っていた悪口なのだろうが、漱石の面白いのはおよそこうしたところにあるんだと思う。