伊勢物語 一つの仮説

『伊勢物語』には、もともと一つの話だったのではないかと思われるほどよく似た話が複数ある。一つの話が何かの理由でいくつかのバリエーションに分かれたのではなかろうかと思われるのである。
また、歌が全然関係のない万葉集などからもってきて、割と無理矢理に挿入されたり配置された感のあるものが少なくない。

これらのことから一つの仮説が成立し得ると思う。

まず最初に、歌のない原作とでも言い得るものがあった。
これはたとえば、紀有常じいさんの昔語り、のようなものであったかもしれない。明治時代の軍人に比志島義輝という人がいて、この人の小説を書いたことがあるのだが、彼の談話というのはいくつかバリエーションがある。つまり、年を取って偉くなってから若い頃の思い出話を何度か語って聞かせたのだが、話すたびに少しずつ内容も違ってくるだろうし、詳しいときもあり、忘れてしまったり、記憶が改変されてしまうこともあっただろう。書き手が脚色したこともあっただろう。そんなこんなで、そもそも原作の段階から、同じ話なのだがいくつものバリエーションがあった、ということがあり得ると思う。

で、まず、原作があった。それは歌のない、今昔物語とか古今著聞集のようなものだった。
ここに後の人が、古歌や自分が詠んだ歌や、その他もともと原作とは関係なかった歌を挿入して歌物語にしようとした。
今も良くあることだ。映画化したりドラマ化したりコミカライズしたりする。メディアミックスというやつだ。それでおそらくは、より多くの人々に物語として広めたり、子供や女子にもわかりやすく楽しい話に作り替えたのだ。
そのとき、一つの原作が、挿入する歌によって別々の話のように作り替えられる、ということがあっただろうと思う。

たとえば第69, 70, 71, 72, 75段などは、そうやって、一つ話がいくつも並列にリメイクされてできたのではなかったか。
この部分、ざっくりと原作を復元してみると、こうなる。紀有常が伊勢国守兼伊勢斎宮頭だった頃のこと。朝廷から狩りの使いがやってきた。斎宮に仕えていた女が、都人が珍しくて、夜中に斎垣を越えて男に会いに行った。女は大淀まで男を見送り、男は女を京都に連れ帰ろうとしたが、女は拒んだので男は泣いた。男は尾張へ旅立った。
こういう感じのことを、紀有常が、昔ワシが伊勢守だったころ、こんなことがあったのじゃ、と子や孫に語り、それが彼の死後も語り伝えられたとして何の違和感もない。

今昔物語や古今著聞集はではなぜ歌物語に作り替えられなかったのか?
おそらくは恋愛物ではなかったからだ。歌は春夏秋冬恋が相場と決まっている。今昔物語とは相性が悪い。語り手も違ったかもしれない。歌物語は女子供、遊女などの芸能だった。今昔物語はたぶん坊さんの説話のようなものだ。

歌物語となったことによって、挿入された歌は、実際語られるときには歌ったり舞ったり、楽器で伴奏したりしたのかもしれない。今で言うミュージカルのように。一種の演劇となって、上演された可能性もなくはない。というか、わざわざ歌物語に仕立て直したりするからには、それくらいの理由があったとみるべきではななかろうか。

東下りの話なども、同様な生成過程を経て、もともとは紀有常の体験談のようなものだったのだが、次第に和歌が挿入され、話が分岐して別々の話のようになっていった。
それらをあとで全部蒐集してひとまとめにしたのが『伊勢物語』なのではないか。

藤原高子の話もそうだ。もともとは歌の無い伝記のようなものだったのだが、あとから歌を付けたりしたりして分岐していったのだ。

ただし、惟喬親王と在原業平、紀有常の三人が出てくる話は、おそらくもともと、業平が詠んだ歌をメインに、最初から歌物語として成立したに違いない。なぜなら、ストーリーと歌とが、何の矛盾も無く親和しているからだ。
他の段によく見られるように、歌とストーリーがちぐはぐではない。ここからほかへ歌をもっていくこともできないし、他の歌を持ってきて入れることもできない。この状況で、在原業平ならこの歌しか詠まないだろうと思われるくらい、歌とストーリーが不可分に一体化している。ここだけ非常に完成度が高い歌物語になっているのである。

まとめると、まず、紀有常の体験談を書き留めた人がいた。本人かもしれない。
その体験談をもとに、適当に歌を拾ってきて歌物語に作り替えて広めた人がいた。これは複数人いたかもしれない。
そうして世の中に『伊勢物語』の物語群というものが広まり、有名になり、しかも異同が生まれると、これらを蒐集して、整理して、一つの本にまとめようとする人が出たに違いない。これがたぶん『新選万葉集』、つまり、菅原道真とか宇多天皇の時代のことだっただろう。『真字伊勢物語』はこの時代の面影を強く残している。
そしてその直後、おそらくは紀貫之によって、『仮名伊勢物語』という形で、完全な和文として、体裁が整えられたのではなかろうか。この頃になると紀有常の時代のことはほぼ昔話になってしまっていた。この時代の人に理解しやすいような脚色が加えられたと思う。伊勢の斎宮に仕えた女の話が伊勢の斎宮の話になったり、紀有常の話が在原業平の話になったり、いろいろな後付けのつじつま合わせが行われた。