しつこくもまだ調べている。
中島敦『斗南先生』で比べてみる。
一つは「ちくま文庫」の『中島敦全集Ⅰ』。
> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている。」と言い出した。
省いてない。
次に集英社文庫『山月記・李陵』の同じ箇所。
> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている」と言い出した。
省いている。奥付には底本は筑摩書房『中島敦全集』とある。
もひとつついでに青空文庫の当該箇所、
> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている。」と言い出した。
省いてない。底本は岩波文庫、親本は筑摩書房『中島敦全集Ⅰ』とある。
ま、ともかく、ある程度の「書式の修正」が加えられることがあるわけだから、
用心しないと、もともと著者が省いていたのか、校正で省かれたのか、わからぬわけだ。
集英社文庫は他の箇所も徹底的に省いている。中島敦という人は面白い人で、省いたり省かなかったり。
律儀に必ず省くとか省かないとか決めずに書いている。
それにはある種の法則性というかポリシーがあるのだろうと思うし、実際、私もそんな書き方をしているように思う。
ふと気づいたのだが、
> その「お髯の伯父」(甥たちはそう呼んでいた。)の物静かさに対して、上の伯父の狂躁性を帯びた峻厳が、彼には、大人げなく見えたのである。
のように、丸括弧の最後に句点を打っている箇所がある。なるほど、ここは打ちたくなる箇所ではあるが、私なら打たないだろうと思う。
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