【定家本】は人文学オープンデータ共同利用センターのものをできるだけ忠実に翻刻した(現在作業中)。句読点や濁点などは、読みやすいように私が適宜付したもので、もともとはない。
藤原定家の孫、二条為氏の筆とされる(定家とは明らかに筆跡が異なるからだろう。定家直筆とされる写本はあるのだろうか。なさそうだが)。
http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/200024135/
段数(段の通し番号)は『定家本』によった。
「井」「身」はそれぞれ仮名「ゐ」「み」として使われるが、真名として使われることがある。意味と音が一致していると思われるときには真名とみなし、漢字表記とした。
この写本には「を」と「お」、「わ」と「は」、「え」と「へ」と「ゑ」の違いは無いように思われる。
「おとこ」「をとこ」など、単に変体仮名のいずれを使うかの違いでしかないのだが、念のため原文に忠実に区別した。
【朱雀院塗籠本】は Wikisource による。
群書類從卷第三百七 物語部一 編者:塙保己一
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%89%A9%E8%AA%9E
wikisource のデータをそのまま転載している。
【真名本】は続群書類從卷第五百一 物語部一 編者:塙保己一(続群書類従. 第拾八輯上 続群書類従完成会出版、国会図書館永続的識別子 info:ndljp/pid/1789716)と、早稲田大学所蔵のもの(請求記号 Call No. ヘ12 00472)を参照した。
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he12/he12_00472/index.html
まず、こまかいことだが、『真名本』か『真字本』か。
宣長などが『真名本』と言っている本が『真字伊勢物語』寛永20 (1643) 二條通(京都) :沢田庄左衛門。早稲田大学所蔵、なのはほぼ間違いないのだが、これ、表紙には『真字』と書かれているが本文冒頭には『真名』と書かれているのである。
非常に紛らわしいのだが、本来は本文にあるように『真名伊勢物語《まなのいせものがたり》』というのが正しいと思われる。
『玉勝間』伊勢物語真名本の事
『伊勢物語』に『真名本』といふ本あり。萬葉の書きざまにならひて、真字して書きたる物なり。六條ノ宮ノ御撰と、はじめにあげたれば、その親王《みこ》の御しわざかと、見もてゆけば、あらぬ 僞《いつはり》にて、後の物なり。まづすべての字《もじ》のあてざま、いとつたなくして、しどけなく正しからず、心得ぬことのみぞ多かる。そが中に、「闇《くら》う」を「苦労《くらう》」、「指之血《およびのち》」を「及後《およびのち》」などやうに書けるは、「たはぶれ書き」にて、『万葉』にもさるたぐひあり。又「|東《あづま》」を「熱間《あつま》」、「云々《《にけり》》」を「迯利《にけり》」など書けるも、清濁こそたがへれ、なほゆるさるべきを、「なん」といふ辞に、「何」の字を用ひ、「ぞ」に「社」、「と」に「諾」の字を用ひたるたぐひ、こと心得ず。
しかのみならず、「思へる」を「思恵流《おもえる》」、「給へ」を「給江《たまえ》」、又「ここ《《へ》》」「かしこ《《へ》》」などの「へ」をも、みな「江《え》」と書き、「身《《をも》》」、「これ《《をや》》」などの、「をも」「をや」といふ辞を、「面《おも》」「親《おや》」と書き、「忘《わすれ》」を「者摺《はすれ》」と書けるなど、これらの仮字は、今の世とても、歌よむほどのものなどは、をさをさ誤ることなきをだに、かく誤れるは、むげに物かくやうをもわきまへしらぬ 、えせもののしわざと見えて、真字《まな》はすべてとりがたきもの也。
然はあれども、詞は、よのつねの『仮字本』とくらべて考ふるに、たがひのよきあしきところありて、『仮名本』のあしきに、此本のよきも、すくなからず。そを思へば、これもむかしの一つの本なりしを、後に真名には書きなしたるにぞあるべき。されば今も、一本にはそなふべきもの也。
然るにいといと心得ぬことは、わが縣居《あがたゐ》の大人《うし》(賀茂真淵)の、此物語を解《と》かれたるには、よのつねの仮字本をば、今本といひて、ひたふるにわろしとして、此『真名本』をしも、「古本」といひて、こちたくほめて、ことごとくよろしとして用ひ、ともすれば此つたなき真字《まな》を、物の鐙《あかし》にさへ引かれたるは、いかなることにかあらん、さばかり古ヘの仮字の事を、つねにいはるるにも似ず、此本の、さばかり仮字のいたくみだれて、よにつたなきなどをも、いかに見られけむ、かへすかへすこころえぬことぞかし。
さて又ちかきころ、ある人の出だせる、『旧本』といふなる、真名の本も一つ有り。それはかのもとのとは、こよなくまさりて、大かた今の京になりての世の人の、およびがたき真字の書きざまなる所多し。さればこれもまことのふるき本《まき》にはあらず、やがて出だせる人の、みづからのしわざにぞありける。然いふ故は、まづ今の京となりての書《ふみ》どもは、すべて仮字の清濁は、をさをさ差別《わき》なく用ひたるを、此本は、ことごとく清濁を分けて、みだりならず、こは近く古学てふこと始まりて後の人ならでは、さはえあらぬこと也、又「かきつばたといふ五言を、句の頭にすゑて」と書ける、これむかし人ならば、「五もじ」とこそいふべきを、「五言」といひ、歌の「かへし」を「和歌《かへし》」、「瀧」を「多芸《たぎ》」、「十一日」を「十麻里比止日《とまりひとひ》」と書けるたぐひ、時代《ときよ》のしなを思ひはからざるしわざ也。「十一日」など、此物語かけるころとなりては、「十一日」とこそ書べけれ、たとひなごめて書くとも、「とをかあまりひとひ」とこそ書くべけれ、それを「あまり」の「あ」をはぶけるは、古学者のしわざ、又「とをか」の「か」を言はざるは、さすがにいにしへの言ひざまを知らざるなり。又「うつの山」のくだりに、よのつねの本には、「修行者あひたり」とあるを、此本には、「修行者|仁逢有《にあひたり》」と、仁《に》てふ辞をそへたるなども、古ヘの雅言《みやびごと》の例を知らぬ 、今の世の俗意《さとびごころ》のさかしら也。かかるひがことも、をりをりまじれるにて、いよいよいつはりはほころびたるをや。
『真名伊勢物語』御撰「六条宮」は、早稲田大学の註に「伝六条宮具平親王撰」とあり、村上天皇の皇子、具平《ともひら》親王とされる。
あるいは、順徳天皇の皇子、雅成《まさなり》親王であろうか。
『真名本』には非常に古めかしい、奈良時代から平安初期に書かれたとおぼしき部分も多い。
古学が興り、万葉仮名の研究が相当に進んだ江戸中期以降に作られたのならともかく、鎌倉時代や室町時代にこのような本を偽造することは不可能であると思う。もしそのような時代に、『真名本』を一から偽造していたら、仮名遣いや語法にもっと明白な間違いが見つかるはずだ。
わざわざあんなことが出来る人は一人もいない。今日の学者にも無理だろう。というより、なぜ『仮名本』から『真名本』を作るのか。その動機は?いつの時代にそんな苦労してまで、こんな偽書をこしらえるような需要があっただろうか。
宣長も指摘しているように、「狩衣をなむ」を「狩衣乎何」と書き、「となむいへりける」を「諾何云計留」と書くなど、極めて特殊な万葉仮名遣いを用いていて、その他「五十戸」を「いへ」と読むなど、非常に珍妙な当て字がたくさんあって、これを後世の人がわざとそう書いたとは到底思えないのだ。
「諾」は『万葉集』では「うべ」もしくは「を」と読んでいて、どちらも承諾するという意味で、これを「と」と読む例は、この『真名伊勢物語』以外にはなさそうに思える。なぜそんな不可解なことをわざわざ偽書でやらねばならないのか。
偽書というものは人を信用させるためもうすこしわかりやすく書くものではないか。なぜあえて不審な当て字を使う必要があるのか。
このような異様な当て字や読み方など、後世の人に思いも付かないような書き方がされている。
また、『仮名本』と『真名本』を見比べたときに、どうにも『真名本』のほうが正しくて、『仮名本』は『真名本』を訳し間違えているように思える箇所もあるのだ。
荷田春満は『伊勢物語童子問』で『真名本』から『仮名本』が出来たと考えているし、賀茂真淵は荷田春満の弟子だから、春満と同じように、『真名本』のほうが古い形だと信じていたらしい。