ひどい一日だった。

> 人はいつも おのがありかに 飽かずして 逃れ出でむと 思ひこそせめ

連休明けというだけでなく、何から何まで最悪だった。
良い仕事はしたと思う。
しかし、そのわりには満たされない。
しかし、今自分の居るところが気にくわないと、
仕事や住む所を転々としてみたが、別にどこにいようが、不満がないところなどなかった。
ようするに、愚痴や不満をうまく飼い慣らして、今自分が居るところに落ち着くしかないのだろう。
たとえば年収が今の二倍あればなどと考えるのも似たようなものに違いない。

[高崎正風歌論の変質](http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA12016400/BRCTR_6_45.pdf)。
おもしろい。
高崎正風はどちらかといえば口べたな方だっただろう。
歌論というほどのいさましい哲学はもってなかっただろう。
御歌所長という重職にあって、辛い思いをしたに違いない。
今のどんな人が、明治天皇やその歌の師の高崎正風の和歌に正当な評価を与えることができようか。
まして高崎正風本人に、自分自身や明治天皇の歌風について論じることは、はなはだ困難だったに違いない。
私は思う、明治天皇や高崎正風の目指していた和歌の方向というものは、きわめて妥当なものであって、
その価値はいずれは正しく評価される時がくるだろうが、
今はまだ全然その時ではないと。私がどうこう言ってもたぶん理解もされないだろうし。
私はただ、明治天皇御製に直接の影響を受けて歌を詠み始め、その正当性を多少とも証さんがために、
和歌を詠むだけだ。

> 明らかに 治まりし世の 大君の おほみ心を たれか受けつがむ

> 今の世も とほき御世にも たれか知る 知らむと思へば 知れる心を

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