論語

いろいろあって論語を読み始めたのだが、この論語というものは、すべてが孔子の言葉、孔子と弟子の対話集というのではなくて、半分くらいは、当時のことわざ集、名言集のようなものではなかっただろうか。もとは複数のソースがあって、それが後にごちゃまぜになった。短いものもあれば長いものもあり、長いものはそらで暗記できるようなものではなく、最初から書いて記録されたものであろう。それに対して非常に短くて文字によらずに口承で伝えられたとおぼしきものがある。

宮崎市定も指摘しているが、論語には詩からの引用が多く、また今は伝わっていない詩や書からの引用がかなりあるように思われるのである。詩曰のように明示的に書かれなかったものは子曰のようになったのではないか。孔子自身がそうしたことわざを集める人であって、それを人に言ったのが子曰になったかもしれない。

詩を解釈するのも儒者の仕事であったかもしれない。

たとえば「朝聞道、夕死可」「徳不孤、必有隣」などはこれは詩でなければことわざであろう。わざわざこういった言葉をいくつもいくつも孔子自身が思いついて教える理由が無い。もしそんな人がいたらそういう人は今でいうコピーライターかなにかだろう。

当時の詩というのは主に四字単位になった、伴奏をつけて歌うのに便利な文句であっただろう。そういう目的には必ずしも適さない、短い句、ことわざを、孔子はたくさんコレクションしていた。それが当時の学者の仕事の一つであったかもしれない。

レオナルド・ダ・ビンチの手記にしてもあれはすべて彼が発明したのではなく、彼は単なるテクニカルイラストレーターであったという説が今では有力であるように、孔子ももともとはそうした人、つまり、稗田阿礼的な、詩文をいろいろ暗記して語れる人だったかもしれない。

伊勢物語も単一の著者によるものというより、いくつかの核となる物語があって、それに当時のさまざまな物語が合わさったコレクションというたぐいのものであろう。論語もそうして成立したと仮定するほうがしっくりくる。

ソクラテスの話なんかは、あれは明らかに最初から文字に書いて、おそらくは演劇の台本かなにかのようにして記録されたのだろう。政治劇として、実際に演じられたかもしれない。

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