愛国百人一首

投稿者: | 2013年4月3日

[愛国百人一首](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96)
というものがあって、
斎藤茂吉が
[愛國百人一首評釋](http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/46880_40531.html)
というものを書いているのだが、
どう見ても、愛国の歌とは思えないものまで混ざっている。
たとえば香川景樹

> ひとかたに靡きそろひて花すすき風吹く時ぞみだれざりける

これは単に自然の情景を詠んだ写生の歌であり、どこが愛国なのかと。

> 作者は、かういふ光景に目を留めて、感動したことは一首の歌調によつてうかがふことが出來る。

ススキが風に一方に靡いた光景に、景樹は感動したんだろうな、と言っている。
たぶん、感動したから詠んだというより、目の前の光景をありのまま描写したかったのではなかろうか。

> 作者は專門歌人だから、あらはに寓意を出すといふやうなことはせぬが、この一首は、大事に當つて心みだれず、動搖せず、同心一體となるべき自然の道理を暗示し象徴するものとして、このたび百首の一つ選ばれたのであつた。

この解釈があまりにもおかしい。
なわけないだろうと思う。
別に国の機関がこれを愛国だと決めたからといって民間の歌人までそう解釈しなくて良いのではなかろうか。
ていうか、斎藤茂吉が国に頼まれて選んだとしたら、なんというアホだろうかと思う。
時代が時代だけに、彼個人の責任にするのは酷かもしれんが。

> 香川景樹は、すなはち桂園派の元祖で、天保十四年七十六歳で歿した有名な歌人である。生涯古今集を手本とし、貫之を目標として勉強した。多くの門下を養成し、著書に桂園一枝、同拾遺、古今集正義、新學異見、土佐日記創見等がある。この歌は、桂園一枝、秋歌に、「薄隨風」といふ題で載つてゐる。

まあ、通りいっぺんの紹介だわな。
ていうか、香川景樹ほど「愛国」な歌を詠まない人はないと思う。単に有名人だから挙げただけなんじゃあるまいか。

> 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

この実朝の歌にしても、後鳥羽院に対して幕府と朝廷に二股かけてるわけじゃありません、誓っているだけであり、
実朝と後鳥羽院は親戚関係でもあるのだから、
これくらいのことは言うだろうし、
愛国というには少し違うのではないか。

> 大宮の内まで聞ゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び聲

これを

> まことに盛んでおめでたいことでございます、といふ意が言外にこもつてゐる

と解釈するのは、不可能ではないが、かなり強引だ。
江戸後期以降の愛国の歌ばかりではバランスが悪いからと愛国的な古歌などを見繕った、
それも万葉時代の武人が詠んだ露骨な歌というよりやや雅な歌を意図的に選んだのだろう、と思うが、
おかしすぎる。
まあ、戦時中の斎藤茂吉がおかしくてもなんの不思議もないのだが。

> 男山今日の行幸の畏きも命あればぞをろがみにける

これは江戸末期の大隈言道の歌。
孝明天皇が石清水八幡宮に行幸したときの歌だろう。明らかに北畠親房の

> 男山昔のみゆき思ふにもかざしし春の花ぞ忘れぬ

の本歌取りなわけだが、元の歌はまあまあとして、大隈言道の歌は、どうみても佳作とは言いがたい。
なんとかならなかったのか。
大隈言道最晩年七十歳くらいの歌だから「命あればぞ」となるのだろうが、
それはわかるが、だがそこまでの歌だと思うんだよなあ。

私ならもっと違う歌を百選ぶと思うがなあ。
幕末より前のでも、いくらでもあるのに、と思う。
たとえば上の北畠親房の歌は入れてもいい。
宗良親王の

> 君のため世のため何か惜しからむ捨てて甲斐ある命なりせば

は当然入れるべき。

なんかね、戦争で和歌が亡びたのではないと思うな。
こういう戦時中のお抱え歌人たちの歌の目利きがひどすぎた。
あと、民間人もそれに踊らされて盛んに愛国的な和歌を詠んだが、逆にそれがいけなかった。
民間人が世の中の流行に流され、熱病に罹ったように、わけもわからずそんな歌を詠んではいけない。

戦後、和歌は軍国主義といっしょくたにされ、プロパガンダとみなされ、
オーストリア人やドイツ人が作詞作曲した軍歌と同様な運命をたどった。
本来ならばドイツ音楽というのはそれなりに価値のあるものだと思うし、
今聞いてもそんな悪くない。
だが戦後封印されてしまった。

戦後の日本酒の運命にも似ているな。
まがい物が氾濫した結果、古き良きものまでいっしょくたに嫌われてしまう。

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