デーテ 3. 叔父の放蕩

 アルムおじさんはもともとずいぶん身勝手で気むずかしく、近所づきあいも苦手だし、滅多に教会に礼拝にも来なかった。トビアスが死んでからというもの、

 「放蕩暮らしの罪でとうとう神がおじさんを罰した。」

と村中の顰蹙(ひんしゅく)を買い、牧師さんにも

 「悔い改めて正しい生活をしなさい。日曜日にはきちんと教会に来なさい。」

と説教されたのだけど、逆に腹を立て意固地になって、山の上の炭焼き小屋みたいなところに引きこもったっきりになってしまった。村には滅多に下りてこないし、それでみんなおじさんのことをアルムおじさんって呼ぶようになったのよ。下りてきても、太い丸木の杖をついて、まゆげは眉間で1本につながってもじゃもじゃで、鬼のような形相で子供たちは怖がるし。挨拶もせずに山羊のチーズや手作りの家具を売って代わりにパンや服を買って帰っていくだけ。

 おじさんは、年も年だし、息子たちと村で静かに余生をおくるつもりだったのに、そのたった1人の息子も死んでしまって、俗世のことが何もかも嫌になってしまったのかもね。

 アルムおじさんときたら聖書に出てくる放蕩息子そのまんまでね。

 まだトビアスが生きていた頃、彼はよく言っていたわ。

 

**

 

 僕の父さんの故郷のドムレシュクは、グラウビュンデンの中でも1番の山奥だ。標高も高いからマイエンフェルトなんかよりずっと気温も低く、春が来るのも余計に遅い。秋はなくていきなり北風が吹いて雪が積もり冬が来る。

 ドムレシュクはライン川の一支流が流れ出る狭い渓谷にある。その渓谷を南にさかのぼればサン・ベルナルディーノ峠。そこから先はスイスでもイタリア語を話すティチーノ州があり、さらにアルプスを南に降りていけばロンバルディアの沃野。ミラノの町へと続いている。逆にライン川を北へとくだっていけば、グラウビュンデンの州都クールを経て、マイエンフェルトまでたどり着くってわけだ。まあしかし、よそからみればドムレシュクだろうとマイエンフェルトだろうととんでもない山村に違いない。僕は子供の頃はずっとアルプスを知らずに育った。ドムレシュクには、イタリアから帰ってきてわずかの間滞在しただけだ。

 ドムレシュクはほとんどがアルムだ。農地らしき土地は、川沿いにちょっとしかないがね、しかし、うちはもともとドムレシュクでは一番大きな農場を持つ家だったのさ。昔、ご先祖様が、ナポレオン戦争の頃に、たいへんな武勲を立ててね。君、知ってるかい、フランス革命政府はヨーロッパの伝統的な秩序を破壊するものだったから、イギリス、ロシア、プロイセン、スペインなどの大国がフランスに干渉してきた。オーストリアもそういう当時の欧州列強の一つ。何しろルイ16世の后のマリー・アントワネットはオーストリア大公の娘だもんな。そういうフランス王族を革命政府はばんばんギロチン台に送ったんだ。そこでオーストリアはフランス革命政府に宣戦布告したわけさ。

 革命政府はフランスに侵攻してくるオーストリア軍を迎え撃つために、砲兵士官の経験しかない若干27歳のナポレオンをイタリア方面軍の司令官に抜擢した。

 イタリア方面軍は、フランス国境のピエモンテがミラノのオーストリア軍と同盟して、フランスに侵攻しようとしたために、フランス防衛とオーストリアの陽動のために割かれたもので、オーストリア征伐軍の主力はライン川を越え、バイエルン王国をよぎってヴィーンを直接目指していた。イタリア方面軍は長年ジェノヴァの山中に立てこもったきりで、フランス一の貧乏部隊と言われた。ナポレオンには大して戦果は期待されていなかったが、彼はたちまちにしてサルディーニャやピエモンテを治めるサヴォイア公を友軍に寝返らせ、ロンバルディアの要衝・マントヴァ要塞を陥落させてオーストリア領だったミラノに入城する。さらにティロルを越えてオーストリア討伐軍と合流してヴィーンへ迫る。当時の欧州戦史では予想だにされないほどの大勝利で、フランス革命はナポレオン率いるイタリア方面軍の働きによって最終的に成就したと言っても良い。オーストリアは屈服し、ロンバルディアはチザルピーナ共和国というフランスの衛星国となった。その代わり千年もの間自治独立を謳歌した「もっとも高貴なる共和国ヴェネツィア」は、戦乱の巻き添えを食って滅び、ナポレオン没落後にも復活せず、オーストリアに併合されてしまった。

 我がスイスは、フランス革命政府に占領され、フランスを宗主国とするヘルヴェティア共和国という中央集権国家にさせられて、領土も一部フランスに割譲されてしまった。うちのご先祖様はそのヘルヴェティア共和国軍の一兵卒からフランス軍の傭兵隊長になってね。エジプト遠征に従軍したり、大統領となったナポレオン軍のアルプス越えにも参加したりしたんだ。アルプスの行軍中は道先案内役も務めてね。そのとき、ご褒美の財宝だのたくさんもらって、故郷のドムレシュクに凱旋。広い農園を手に入れてね。大きなお屋敷を建てて、たくさん使用人も雇って、家畜もたくさん飼って。

 父さんはそんな家の跡取り息子だったらしい。でも、何不自由なく育って、急に大きな財産を相続したものだから、お金の使い道もよく分からない。何しろ小さな村の大地主だからね。井の中の蛙、怖い者知らずだったのさ。

 時代は変わって、ナポレオンが失脚するとヨーロッパ全体がアンシャン・レジームに復し、スイスもまた独立州の連盟体に戻った。父さんは、グラウビュンデン州の成年男子の義務として、やはり軍役に取られていたのだけど、それが明けて故郷に帰還してくると、今、世の中は産業革命で、どんどん変わっているんだ、こんな山奥の田舎の村でくすぶっちゃいられないと、実家の資産を元手になにやら大きな商売を始めようとした。あちこち、視察と称して物見遊山して回ったり。軍隊で知り合った、どこの馬の骨ともしれない連中とつきあったりして、ほとんど博打に近い事業に投資して、ものの見事に大失敗だよ。金儲けや世渡りの才能も、人を見る目もまるでなかったようだ。それでほとんど財産をすってしまう。

 おかしな借金取りみたいな連中に追い回され、借金が返せなくて家屋敷や農園をみんな取られて、ふてくされて博打や遊興にうつつを抜かし、ますますおちぶれていった。あれはきっと、金持ちの世間知らずのボンボンだからと悪いやつに目をつけられて、うまい話でつられて金をだまし取られたようなものだなあ。で、だまし取られたものは今度はだまして取り返してやろうなんて、いやしい性根になってしまい、人相もだんだんに変わっていって、やくざものみたいになってね。毎日、居酒屋に入り浸っては、亭主に安酒を値切って飲んだりして、そんな若い頃の父さんの話をドムレシュクのひとたちから聞かされるたび、僕は恥ずかしいやらはがゆいやらでたまらない。

 父さんの両親、つまり僕の祖父母は愛想をつかして次々に他界してしまった。父さんには弟が1人いて、親に大学まで行かせてもらった、勉強好きの学士様だったそうだけど、父さんは彼、つまり僕の叔父を口説いたそうだ、いっしょに傭兵になって、ご先祖様のように戦功を樹てて、もう一度大金持ちになって、失った農園も買い戻して、またおもしろおかしく暮らそうぜって。でも叔父は兵役を嫌がって、金目のものをあらかた持ち出して、どこかにぷいっといなくなってしまった。風の噂ではアメリカに渡ってけっこうな実業家になったとかならないとか。

 父さんは他人にもだまされ、身内にも裏切られて、すっかり落胆してしまった。父さんが人間不信になったのは、きっとそのころからだ。

 不運が重なって、周囲で支えてくれる人にも恵まれなかったんだろうね。どこをどう間違ったのか、汗水流して働かなくても良い身分の、お金持ちの息子だったのに、一家離散の憂き目に遭ってしまった。

デーテ 2. 姉夫婦と遺された姪

 姉のアーデルハイトの夫、つまり私の義理の兄だったトビアスという人は、生まれも育ちも、よく分からないひとなの。

 私がまだ子供の頃、トビアスは、流れ者のアルムおじさんに連れられて、デルフリに住み着いた。

 アルムおじさんというのは、トビアスの実の父で、つまり私の義理の叔父なのだけど、村では皆がそうあだ名で呼ぶの。お察しの通り、アルムに住み着いて、なかなか里には下りて来ないからなのだけど。

 デルフリという村は、アルプスの豪雪を避けるように、山の渓谷のくぼみにへばりついて、ぽつんと取り残されたような、ほんとうに小さな田舎の村なので、村人みんなが親戚のようなものなのよ。デルフリの村人たちはみんな似たり寄ったりの私たちのように貧しい暮らしぶりで、親戚知人どうしお互いに助けあい、なんとかやりくりして、つつましく暮らしていた。母とアルムおじさんはドムレシュクの出身で同郷だし、母のおばあさんがアルムおじさんのおばあさんのいとこだから、たぶん私の母方の縁を頼って、おじさんはデルフリに居着くことにしたんじゃないかしら。私の父方は代々デルフリの家系なのだけど。デルフリではみんながアルムおじさんを、アルムに登ったきりになる前はただ「おじさん」って呼んでいた。

 アルムおじさんにトビアスという子供がいるということは、その母親もいなきゃおかしいわけだけど、おじさんは決して自分のおかみさんの話には触れようとしなかったし、トビアスも自分の母親のことは、あんまり覚えていないようだった。

 デルフリに来た頃から、おじさんは髪の毛も髭も生やし放題の山賊みたいなかっこうで、村の中でも特に偏屈で愛想の無い人だったけど、トビアスは優しくて明るい性格だったから、すぐにデルフリの子供たちの中にとけこんでいった。私たち姉妹や、幼なじみの女の子ブリギッテや、お調子者の男の子のペーター、パン屋の息子なんかは、年も近く気も合ったから、いつもつるんで、野山で楽しく遊び回ったり、長い冬の間は学校で一緒に勉強したりした。

 私たちが村の学校を卒業すると、女はすぐに働き始めて、男は州兵に取られるのだけど、その兵役も、普通は1年、長くて2年で終わるわ。でもそのあと、おじさんは、トビアスをそのまま軍隊に残して、彼を傭兵にしようとしたのよ。姉のアーデルハイトは、とても悲しんでね。トビアスと姉は、ずっと前から恋人どうしで、もう公然とつきあい始めていてね。おじさんに泣いて頼んだのよ。トビアスを兵隊に取られるのだけは、嫌だと。

 それで、フランス革命とナポレオン戦争の後、スイスにも新しい風が吹き始めて、それぞれが独立した自治州政府の連盟体だったスイスが、いよいよ連邦政府を持つことになって、さらにそれまで小国が割拠していた周辺のドイツやイタリアなどの地域が統一戦争で国民国家に変容していくと、「やはり我々も対外的に強力な連邦政府を持たなくてはならない、」という機運が盛り上がってきたのね。それで、一部自治州の独立戦争などの結果、スイス憲法が改正されて中央政府に権限が集中されると同時に、州が独自に傭兵を輸出したり海外派兵するのが禁止されたの。つまり、中世から続いた、伝統あるスイス傭兵の時代がついに終わったということよ。それで、トビアスは兵隊にならずにすんで、代わりにメールスの大工の学校に進学することになった。

 おじさんにはもう昔持ってた元手もほとんど残ってなかった。おじさんは軍隊では工兵だったから、自身も多少大工の心得があったのだけど、せっかくだからと、なんとか学費を捻出して、トビアスを徒弟に行かせて、それから彼は立派に親方の資格を得て、デルフリに戻ってきたの。

 姉とトビアスは、まもなく結婚したわ。2人ともとても幸せそうだった。

 ペーターとブリギッテが結婚してから、3年目くらいのことだったかしら。

 ペーターは木こりで、村の山羊を集めてアルムに連れて行って草を食べさせる仕事もしていたわ。少し村から外れた、アルムへ登る途中の、わずかに風雨を除けられる岩陰に、ペーターの家はある。とてもおんぼろで貧しい家だけど、ブリギッテはけなげに家事を切り盛りしていた。しばらくは2人とも幸せに暮らしていたのだけど、夫のペーターは、息子が一人出来てすぐに、切り倒した木の下敷きになって死んでしまった。今じゃブリギッテは、父親と同じ洗礼名の息子ペーターと、目の見えない姑さんの3人で暮らしている。

 ふむ。ペーターにブリギッテ。それに、姉のアーデルハイトと義兄のトビアスか。彼女は俺に相づちも打たせず勝手に身の上話を続ける。しょうがないので俺は彼女に勝手にしゃべらせて、聞き役に徹することにする。

 それで、姉のアーデルハイトが嫁ぎ先に片付くと、私は母と2人暮らしになった。私もそろそろお嫁に行く年になっていたので、未来の旦那様はいったいどんな人だろう、その人とどんな暮らしをするのだろうと、姉やブリギッテや、知り合いの村の夫婦たちを眺めながら、毎日空想してた。デルフリには特に幼なじみで好きあった男の子などなかったので、母方の親戚の紹介で、母の実家のあるドムレシュクの農家に、嫁ぐことになるんじゃないかなあって、母とは良く話していた。スイスでは、トビアスとアーデルハイトのように、村の中で縁組みが決まることもないわけじゃないけど、1つ1つの村はどれも小さいから、男が先祖代々、自分の村に続く家を継ぎ、女がよその村から嫁いで来るってことが多いのよね。ドムレシュク生まれの私の母もそうだし、つい最近デルフリにプレッティガウからお嫁に来たバルベルもそうだわ。

 もちろん私の家は、相変わらず女だけの所帯で貧しかったけど、私がお嫁に行ってしまえば、母には、死ぬまで暮らせるくらいの父の遺産があった。私が家を出ると、母も一人でデルフリに居るのではなく、故郷のドムレシュクの親戚のうちに厄介になって、余生を送るか、さもなくば、トビアスが引き取って養ってくれることになっていた。

 私の義理の兄となったトビアスは、なにしろメールスの職工学校仕込みの鳶職人で、親方の資格も持っていて、村でも特に頼り甲斐のある男だった。親戚にいてくれてよかった、と私にも思えた。父親と違い社交的で働きもので、村の人たちの評判も良く、大工の仕事も順調で、男手のない我が家にも良く手伝いに来てくれて、これからはやっと我が家の暮らし向きも良くなると思っていた。姉のアーデルハイトは、結婚してまもなくお腹が大きくなりだして、やがて女の子が1人生まれたの。牧師さんはその子に母親と同じアーデルハイトという洗礼名をつけたわ。でもいつも私たちはその子のことをただハイディと呼んでいたのだけど。

 私は、家事手伝いで忙しい合間に、ちっちゃな赤ん坊のハイディの子守を自分から買って出たりして、ハイディを抱いてデルフリ村の周囲を散歩に連れて行ったりした。おかげでずいぶん私の腕の筋肉も鍛えられたのよね。ああ、私もそのうち、トビアスみたいな夫にもらわれて、こんな赤ん坊を産むことになるのかしらって。ハイディをあやしたり、おしめを替えたり、寝かしつけたりしながら。そんな物思いにふけっていたの。

 そうやって、ハイディが生まれて1年程は、何事もなく夫婦と娘1人の幸せな暮らしが続いたのだけど、ある日、トビアスが出向いて働いていた建築現場で梁が落ちてきて、彼はその下敷きになって死んでしまった。突然の出来事だった。

 家に運び込まれたむごたらしい遺体を見て、姉のアーデルハイトは、悲嘆のあまり寝込んでしまい、数週間高熱を出してうなされた後、あっけなく死んでしまった。そうして、出来たばかりのトビアスのお墓の隣に、並んで葬られたのよ。

 私はどちらかと言えば体も大きく丈夫だったけど、姉はきゃしゃで病気がちで、夢遊病の発作をよく起こしていたわ。後には姉が生んだ娘、1才になったばかりのハイディが残されたのよ。アルムおじさんは、たった一人の身内のハイディを抱いて、何を考えているのか、無表情だったけど、「俺にはこんな女の子の面倒はみれない」からと、私の母にハイディの養育を全部押しつけてしまい、1人でアルムに籠もってしまった。息子のトビアスとはなんとか異国の地で、2人きりで生きてきたのに、孫娘はさすがに育てる自信がないと、今から思えば、おじさんは諦めて身を引いたのかもしれない。或いは、トビアスを育ててみて、育児にはもう半ば懲りていたのかもしれない。

 母はさすがにハイディの実の祖母だもので、やむなくハイディをうちの子として育てることにしたの。こうしてまた女ばかり3世代の暮らしが始まったのよ。

デーテ 1. 生い立ち

 寒々しい灰色の雲が空を覆い、はるか北の海から吹き込んでくる秋風が色づいた木の葉を散らす。夜が明けたかと思うとあっという間に日は暮れ、ただひたすら退屈で長い夜が続く。そんな憂鬱な季節にも、人はいろんな工夫をして楽しみをこしらえる。俺たちは取材を兼ねて町へ繰り出した。近頃はここフランクフルトでも、ちょっと気の利いた10月の祭り、オクトーバーフェストって呼ばれる催しが開かれるようになったんだ。

 オクトーバーフェストといえばバイエルン王国の首都ミュンヒェンで、80年ほど前から行われているビールの祭典が有名だが、プロイセン王国を盟主として、ドイツ連邦の統一がなってからというもの、連邦内におけるドイツ民族の交流と融合が一気に進んで、我がフランクフルトだけでなくハンブルクやベルリンのようなドイツ全土の主要な都市でも、真似して開かれるようになったのだ。まあ要するに我が民族はとかく理由をつけてビールが飲めればそれで良いというわけだ。

 マイン川の河原に作られた露天の会場はやたらと混んでいて俺たち4人が座るテーブルとベンチを確保するだけでもたいへんだ。こういうお祭り騒ぎがあんまり好きじゃない俺はたちまち来るんじゃなかったと後悔した。残りの3人がめいめい食料やビールを調達にいく間、俺は川を上りくだりする夕暮れ時の貨物船や水上バスをながめながら、1人でぼーっと席の番をしていたのだが、隣の空席をめざとく見付けた四人ばかりの女たちが

 「ちょっとここ詰めてくださる。」

と割り込んできた。

 「いや、あと3人、連れがいるんだが。」

 「お連れは女性の方?」

 「いや、みんな男だが。」

 「あら、男4人と女4人なら、ちょうどいいぐあいにいっしょに飲めるじゃないの。」

などというので、それもそうかと俺ははじのほうへ席をどく。もどってきた男たちもいつのまにやら予期せぬ珍客が同伴していて喜んだようだった。

 「あなたたちは何やってる人?」

 「フランクフルター・ツァイトゥングっていう新聞知ってるか。」

 「さあ、知らないわねえ。」

 「地元の大衆向けの経済新聞だからな。お嬢様がたにはあまりなじみがないかもしれない。俺たちゃその、しがないタブロイド紙の記者仲間だよ。で、君らは?普通の会社務めかい?」

 「シュミット・ゼーゼマン・ニューギニア商会って知ってる?」

 「ああ、知ってる知ってる。わがドイツ連邦の国営東インド会社を、民間に払い下げるってんで、シュミットさんとゼーゼマンさんが、3年くらい前に合同で出資して作った会社だろ。」

そう連れの一人が答える。

 「あらー。ずいぶん詳しいのねえ、あなた。」

 「いやまあ、俺たちゃジャーナリストだし、たまたま俺はこないだ調べてその記事を書いたからね。ずいぶんでかい会社だよな、あの会社は。君たち、そこで働いてるわけ。」

 「ええそうよ。」

 「経理か営業かい。」

 「ま、当たらずとも遠からず、だわね。」

 わがドイツはつい最近統一を果たしたものだから、植民地獲得競争には四百年出遅れた。ポルトガル、スペイン、イギリス、フランス、ロシア、オランダ、ベルギー、などなどが世界中をさんざん切り取り食い散らかした残り物にしかありつけない。イタリアもわがドイツと似たような状況だ。やっとのこと、ドイツも、太平洋にドイツ帝国領ニューギニア、あるいはビスマルク諸島なんていう拠点を確保したのが10年前。アフリカにも申し訳程度に割り込んだ。国策として貿易会社を作り、出資者を募って、ドイツ民族こぞって海外に雄飛しようとしているところだ。

 「ずいぶん、景気はいいのかい。」

 「ええ、おかげさまで。」

 「ふうん。ところで、君たちはみんな人妻かい。」

 どう見ても10代の娘たちにはみえない。30くらいか。

 「ええ。あいにく。この私以外は、みんな世帯もちよ。」

 そのデーテという独り身の女は、俺とほぼ同い年で、美人というのではないが愛嬌があってなかなか面白そうなやつだ。どういうわけでこんな年まで売れ残っているのかしらぬ。こちらも4人の中で独身なのは俺だけだったので、自然と俺がデーテの相手役となり、他の連中は最近生まれた子供の話などでもりあがりはじめた。

 話を聞くに、黒髪で鳶色の瞳の、そのデーテという女は、よほどふだん仕事のストレスをためているのか、誰でも良いから、日頃の鬱憤を何もかもしゃべってみたいようす。だから俺がこの際、その聞き役になってやるつもりだ。

 流れで別れたあと、俺がそいつを連れ込んだのは、オフィス街の中にある、知り合いから教えてもらった、煉瓦造りの酒蔵を改装した、静かな地下のバー。たまに立ち寄る程度で、なじみというのでは全くなく、バーテンダーたちも俺の顔を覚えちゃいない。

 俺は、カウンターテーブル沿いに取り付けられた、ふっくらしたくるくる回る背もたれ椅子に、その女と隣りあわせて腰掛けた。おごっていただけるんでしょう、と言うので、ああ、好きなだけ飲んでくれ、というと、女はカクテルを二杯、あっという間に飲み干した。なかなか良い飲みっぷりだ。

 半開きのまぶたで、目はとろんとしている。そのまま寝てしまうんじゃないかと思っていると、「ちょっと聞いてくれる、私の身の上話を、」と、3杯目のショットグラスを今度はじっくりとなめながら、その女は語り始めた。

 私は今、この世界で一番と言っても良いくらい賑やかな、フランクフルトの街中に1人暮らししているけど、もとは生まれも育ちもスイスのグラウビュンデン州のマイエンフェルトという小さな町、そこに25歳まで暮らしたの。

 マイエンフェルトは、スイス東部の山岳地帯から、ライン川の源流が北へ、オーストリアやリヒテンシュタインを東にかすめながら、ドイツへと流れだす、グラウビュンデンの出口に当たっている。グラウビュンデンは拓けたスイス中央の高原地帯や南ドイツとは違って、アルプス山脈のど真ん中の盆地で、渓谷はとても急峻で、至るところが崖になっていて、ライン川やその支流もみな、激しい急流になっている。

 農地と言っても、ライン川が刻んだ谷底にほんの少し、猫の額くらいある程度で、あとはアルムまたはアルプと呼ばれる、森林限界より高いところにある痩せた岩場の草地。夏の間そこへ、牛飼いや山羊飼いたちが、朝早く麓から家畜を放牧に連れていき、夕方に下りてくる。山の新鮮な牧草を雌牛や雌山羊に食べさせて、良い乳をたくさん出させるため。秋が来て北風が吹き始めると、家畜も人もみな突風で谷底に吹き飛ばされてしまうから、その年の放牧はおしまい。それから深い雪にとざされて長い冬が始まり、翌年の遅い春まではずうっと村の中に閉じ込められる。

 気候はごく寒冷で、産業といえば、わずかな葡萄農園、夏場の林業、炭焼き、牧畜。冬場は家の中でできる木工や酪農程度。私が生まれ育ったのは、そんなアルムの麓に位置する貧しい山里の1つなのです。

 自然の景色は立派だけど、厳しい気候の村だったわ。

 マイエンフェルトの郊外にデルフリっていう小さな集落があって、私の家はそこにあった。父はデルフリの生まれ。母はライン川のずっと上流のドムレシュクという村からお嫁にきたのだけど、母が私を生んだあと、父はすぐに亡くなってしまって、姉のアーデルハイトは少し父の面影を覚えていたようだけど、私はまだほんの赤ん坊だったから、全然どんな人だったか思い出せないの。母が言うには、父はデルフリでは割と裕福な酪農家で、牛も昔はたくさん飼っていた。お酒が大好きで、毎晩仕事の後の晩酌は欠かさない人だった。だけど、原因はよくわからないけど、だんだんに体調を崩してしまって、平地の少ない山里だというのに、坂を登るとき途中何度も休憩しなきゃならなくなって、とうとう寝たきりになり、養生の甲斐なく、衰弱しきって死んでしまったそうよ。私が物心ついたころには、母と姉妹二人、女ばかり三人暮らしの家庭だった。

heidi 1-2-12

Heidi gehorchte und kam gleich wieder. Nun melkte der Großvater gleich von der Weißen das Schüsselchen voll und schnitt ein Stück Brot ab und sagte: »Nun iss und dann geh hinauf und schlaf! Die Base Dete hat noch ein Bündelchen abgelegt für dich, da seien Hemdlein und so etwas darin, das liegt unten im Kasten, wenn du’s brauchst; ich muss nun mit den Geißen hinein, so schlaf wohl!«

ハイディはその言葉に従い、すぐに戻ってきた。おじいさんはそこで山羊の白い乳を搾ってお椀を満たし、またパンを一切れちぎって「さあこれを食べたら二階にあがって寝なさい!デーテおばさんが置いて行ったおまえのシャツやらなにやらは物置の中にしまってあるから、必要ならそれに着替えなさい。ワシはいまから山羊の世話をしなきゃならん。さあ、ぐっすりと寝なさい!」

»Gut Nacht, Großvater! Gut Nacht – wie heißen sie, Großvater, wie heißen sie?«, rief das Kind und lief dem verschwindenden Alten und den Geißen nach.

「おやすみなさい、おじいさん、おやすみ。その子たちの名前はなんというの。なんという名前?」その子は立ち去ろうとする老人と山羊たちの後を追いかけた。

»Die Weiße heißt Schwänli und die Braune Bärli«, gab der Großvater zurück.

「白いやつはシュヴェンリ、茶色いやつはベルリ。」おじいさんは答えた。

»Gut Nacht, Schwänli, gut Nacht, Bärli!«, rief nun Heidi noch mit Macht, denn eben verschwanden beide in den Stall hinein. Nun setzte sich Heidi noch auf die Bank und aß sein Brot und trank seine Milch; aber der starke Wind wehte es fast von seinem Sitz herunter; so machte es schnell fertig, ging dann hinein und stieg zu seinem Bett hinauf, in dem es auch gleich nachher so fest und herrlich schlief, als nur einer im schönsten Fürstenbett schlafen konnte. Nicht lange nachher, noch eh es völlig dunkel war, legte auch der Großvater sich auf sein Lager, denn am Morgen war er immer schon mit der Sonne wieder draußen, und die kam sehr früh über die Berge hereingestiegen in dieser Sommerszeit. In der Nacht kam der Wind so gewaltig, dass bei seinen Stößen die ganze Hütte erzitterte und es in allen Balken krachte; durch den Schornstein heulte und ächzte es wie Jammerstimmen, und in den alten Tannen draußen tobte es mit solcher Wut, dass hier und da ein Ast niederkrachte. Mitten in der Nacht stand der Großvater auf und sagte halblaut vor sich hin: »Es wird sich wohl fürchten.« Er stieg die Leiter hinauf und trat an Heidis Lager heran. Der Mond draußen stand einmal hell leuchtend am Himmel, dann fuhren wieder die jagenden Wolken darüber hin und alles wurde dunkel. Jetzt kam der Mondschein eben leuchtend durch die runde Öffnung herein und fiel gerade auf Heidis Lager. Es hatte sich feuerrote Backen erschlafen unter seiner schweren Decke, und ruhig und friedlich lag es auf seinem runden Ärmchen und träumte von etwas Erfreulichem, denn sein Gesichtchen sah ganz wohlgemut aus. Der Großvater schaute so lange auf das friedlich schlafende Kind, bis der Mond wieder hinter die Wolken trat und es dunkel wurde, dann kehrte er auf sein Lager zurück.

「おやすみ、シュヴェンリ、おやすみ、ベルリ。」家畜小屋の中へ入っていく山羊たちにハイディは叫んだ。そしてハイディはベンチに腰掛けてパンを食べミルクを飲んだ。しかし強い風がパンやお椀を吹き飛ばしそうだったので、急いで食べ終えて、小屋の中に入り、二階に上ってベッドに入った。それからその中でその子は、王侯貴族になったような気分でぐっすりと気持ちよく眠った。しばらくして、まったく暗くなってしまうよりも前に、おじいさんもベッドに横たわった。というのは、彼はいつも日が昇とともに起き、夏は夜がとても短いからだった。夜の間風がとても強く吹き、小屋を揺らし、梁をきしませた。まるで悲痛な叫び声が煙突を通してうなり吠えているようだった。外ではもみの大木が怒り狂ってあちこちに枝をまき散らしていた。深夜、おじいさんは目をさまして、ひとりごちた。「あの子は怖がっているにちがいない。」彼ははしごを登ってハイディのベッドに近寄った。窓の外で月が煌々と照っていたかと思うと、雲がたちまち夜空を覆ってすべては再び真っ暗になった。月の光は丸い明かり窓からじかにハイディのベッドの上を照らしていた。その子は燃えるように赤く頬を染めて重いかけぶとんの下で眠っていた。静かに安心して丸く小さな腕の上に体を横たえ、何か楽しい夢を見ているかのようにとても幸せそうに笑っていた。おじいさんは、雲がまた月の光を遮って再び暗くなってしまうまで、その子がとても気持ちよさそうに眠っているのを眺めて、それから自分のベッドに戻った。

During the night the wind came so violently that the whole hut shook when it blew and all the beams cracked; it howled and groaned like voices of wailing down the chimney, and in the old fir trees outside it raged with such fury that here and there a branch fell down. In the middle of the night Grandfather got up and said under his breath: “It must be afraid.” He climbed up the ladder and approached Heidi’s bed. The moon outside once shone brightly in the sky, then the chasing clouds passed over it again and everything became dark. The moonlight just came in through the round opening and fell straight onto Heidi’s bed. It had slept fiery red cheeks under its heavy blanket, and it lay quietly and peacefully on its round little arms and dreamed of something pleasant, for its little face looked very happy. The grandfather looked at the peacefully sleeping child until the moon stepped behind the clouds again and it got dark, then he returned to his bed.


Schwänli 直訳すれば、Schwan(白鳥) + li(小さな、幼いという意味の接尾語)なので、白鳥っ子 とでもなるか。また Bärli は Bar(熊) + li なので熊っ子とでも訳すか。ここでは敢えて訳さず、シュヴェンリ、ベルリと訳した。

-chen、-li はヨハンナが良く使う、どちらも小さなという意味の接尾語。

heidi 1-2-11

So kam der Abend heran. Es fing stärker an zu rauschen in den alten Tannen, ein mächtiger Wind fuhr daher und sauste und brauste durch die dichten Wipfel. Das tönte dem Heidi so schön in die Ohren und ins Herz hinein, dass es ganz fröhlich darüber wurde und hüpfte und sprang unter den Tannen umher, als hätte es eine unerhörte Freude erlebt. Der Großvater stand unter der Schopftür und schaute dem Kind zu. Jetzt ertönte ein schriller Pfiff. Heidi hielt an in seinen Sprüngen, der Großvater trat heraus. Von oben herunter kam es gesprungen, Geiß um Geiß, wie eine Jagd, und mittendrin der Peter. Mit einem Freudenruf schoss Heidi mitten in das Rudel hinein und begrüßte die alten Freunde von heute Morgen einen um den anderen. Bei der Hütte angekommen, stand alles still, und aus der Herde heraus kamen zwei schöne, schlanke Geißen, eine weiße und eine braune, auf den Großvater zu und leckten seine Hände, denn er hielt ein wenig Salz darin, wie er jeden Abend zum Empfang seiner zwei Tierlein tat. Der Peter verschwand mit seiner Schar. Heidi streichelte zärtlich die eine und dann die andere von den Geißen und sprang um sie herum, um sie von der anderen Seite auch zu streicheln, und war ganz Glück und Freude über die Tierchen. »Sind sie unser, Großvater? Sind sie beide unser? Kommen sie in den Stall? Bleiben sie immer bei uns?«, so fragte Heidi hintereinander in seinem Vergnügen, und der Großvater konnte kaum sein stetiges »Ja, ja!« zwischen die eine und die andere Frage hineinbringen. Als die Geißen ihr Salz aufgeleckt hatten, sagte der Alte: »Geh und hol dein Schüsselchen heraus und das Brot.«

日が暮れて、風が強くなって、もみの大木の太く茂った梢をより激しく揺さぶり、鳴らし始めた。ハイディの耳と心にとってその音はとても美しく感じ、とても幸せな気持ちになって、信じられない喜びを経験して、もみの木の下を飛び跳ねた。おじいさんは納屋の戸口に立って、その子を見ていた。そのとき甲高い口笛が聞こえた。ハイディは飛び跳ねるのをやめ、おじいさんは外へでてきた。山の上から山羊たちが狩りをしているかのように次々に下りてきて、その群れの真ん中にはペーターがいた。ハイディは喜び勇んでその群れの中へ突進し、今朝初めて出会った山羊たちの一匹一匹にまるで古くからの友だちのように挨拶した。山小屋のそばまで来ると山羊たちはみな立ち止まり、その群れの中から二匹の美しい、一匹は白く、もう一匹は茶色の、ほっそりとした山羊が進み出ておじいさんの手を舐めた。というのは彼は夕方二匹が帰ってくるとそれらに手に塩を持って舐めさせるからだった。ペーターは山羊の群れと一緒にいなくなった。ハイディはやさしくその二匹の山羊の一匹、そしてもう一匹をなでて、山羊たちの周りを飛び回り、また別の側から山羊をなでて、その小さな獣たちがとてもうれしくたのしかった。「この子たちは私たちの山羊なの、おじいさん?二匹ともわたしたちの?あの家畜小屋に泊まるの?この子たちはいつも私たちと一緒にいるの?」ハイディがあまりにも絶え間なく矢継ぎ早に質問するので、おじいさんは時折「そうだよ」「そうそう」と返事をするほかなかった。山羊たちが塩をなめ終わると老人は言った、「おまえのお椀とパンを持ってきなさい。」

heidi 1-2-10

»Was ist das, Heidi?«, fragte der Großvater.

「何だかわかるか、ハイディ?」おじいさんは尋ねた。

»Das ist mein Stuhl, weil er so hoch ist; auf einmal war er fertig«, sagte das Kind, noch in tiefem Erstaunen und Bewunderung.

「私の椅子ね、だってとても背が高いもの。あっという間にできちゃったわね、」その子はとても驚き感心して言った。

»Es weiß, was es sieht, es hat die Augen am rechten Ort«, bemerkte der Großvater vor sich hin, als er nun um die Hütte herumging und hier einen Nagel einschlug und dort einen und dann an der Tür etwas zu befestigen hatte und so mit Hammer und Nägeln und Holzstücken von einem Ort zum anderen wanderte und immer etwas ausbesserte oder wegschlug, je nach dem Bedürfnis. Heidi ging Schritt für Schritt hinter ihm her und schaute ihm unverwandt mit der größten Aufmerksamkeit zu, und alles, was da vorging, war ihm sehr kurzweilig anzusehen.

「あの子にはちゃんとものを見る目がついているようだ、」とおじいさんは判断した。彼はそれから小屋の周囲を調べ、必要に応じて、戸や板きれなどあちこちにハンマーで釘を打ったり、修繕したり取り除いたりした。ハイディは大いに興味深げに一歩一歩彼の後をついて回り、とても面白がっているようすだった。


ausbessern 修繕する。

wegschlagen 叩いて削除する。

heidi 1-2-9

»Gefällt dir die Milch?«, fragte der Großvater.

「ミルクが気に入ったようだな?」おじいさんは訊いた。

»Ich habe noch gar nie so gute Milch getrunken«, antwortete Heidi.

「私、こんなにおいしいミルクを飲んだことはないわ、」ハイディは答えた。

»So musst du mehr haben«, und der Großvater füllte das Schüsselchen noch einmal bis oben hin und stellte es vor das Kind, das vergnüglich in sein Brot biss, nachdem es von dem weichen Käse darauf gestrichen, denn der war, so gebraten, weich wie Butter, und das schmeckte ganz kräftig zusammen, und zwischendurch trank es seine Milch und sah sehr vergnüglich aus. Als nun das Essen zu Ende war, ging der Großvater in den Geißenstall hinaus und hatte da allerhand in Ordnung zu bringen, und Heidi sah ihm aufmerksam zu, wie er erst mit dem Besen säuberte, dann frische Streu legte, dass die Tierchen darauf schlafen konnten; wie er dann nach dem Schöpfchen ging nebenan und hier runde Stöcke zurechtschnitt und an einem Brett herumhackte und Löcher hineinbohrte und dann die runden Stöcke hineinsteckte und aufstellte; da war es auf einmal ein Stuhl, wie der vom Großvater, nur viel höher, und Heidi staunte das Werk an, sprachlos vor Verwunderung.

「じゃあもっと飲みなさい、」そう言っておじいさんはお椀の縁までまたミルクを満たし子の前に置いた。その子はうれしそうに、バターのように柔らかくなるまで炙られたチーズをパンの上に塗ったあと、そのパンをミルクに浸した。ミルクとチーズの味が溶け合ってとてもおいしかった。その子はミルクを飲んでいる間とても幸せそうに見えた。食事が終わるとおじいさんは山羊小屋へ行き、いろんな片付けをした。彼がまずホウキできれいに掃き清めて、それから小さな獣たちが寝られるようにベッドを敷くのを熱心に見入った。それから彼は隣の納屋へ行って丸い棒を切り、板の角を丸く削り穴を開けて、丸い棒を板にはめて、それを立てた。たちまちにしてそれは、おじいさんの椅子と同じような形をした、それよりもっと背の高い椅子になった。ハイディはその作業を驚きの余り無言で見つめていた。

heidi 1-2-8

»So, das ist recht, dass du selbst etwas ausdenkst«, sagte der Großvater und legte den Braten auf das Brot als Unterlage; »aber es fehlt noch etwas auf dem Tisch.«

「ふむ。そんなふうにおまえ自身、気を利かせて動くのは良いことだ、」おじいさんはそう言って、パンの上にチーズを載せた。「しかしテーブルにはまだ足りないものがあるぞ。」

Heidi sah, wie einladend es aus dem Topf hervordampfte, und sprang schnell wieder an den Schrank. Da stand aber nur ein einziges Schüsselchen. Heidi war nicht lang in Verlegenheit, dort hinten standen zwei Gläser; augenblicklich kam das Kind zurück und stellte Schüsselchen und Glas auf den Tisch.

ハイディはミルクポットから湯気が立つのを見ると、飛び上がって、また物置へ行った。しかしそこにはお椀が一つしかなかった。しかしハイディは長い間思案にくれてはいなかった。物置には二つのグラスがあった。そこでハイディはお椀を一つとグラスを一つ取ってテーブルに戻った。

»Recht so; du weißt dir zu helfen; aber wo willst du sitzen?« Auf dem einzigen Stuhl saß der Großvater selbst. Heidi schoss pfeilschnell zum Herd hin, brachte den kleinen Dreifuß zurück und setzte sich drauf.

「よかろう。おまえは自分の役立て方を知っているようだ。しかしおまえはどこに座る?」たった一つある椅子にはおじいさん自身が座っていた。ハイディは走ってかまどの前にあった三本足の椅子を取ってきて、それに座った。

»Einen Sitz hast du wenigstens, das ist wahr, nur ein wenig weit unten«, sagte der Großvater; »aber von meinem Stuhl wärst auch zu kurz, auf den Tisch zu langen; jetzt musst aber einmal etwas haben, so komm!« Damit stand er auf, füllte das Schüsselchen mit Milch, stellte es auf den Stuhl und rückte den ganz nah an den Dreifuß hin, so dass das Heidi nun einen Tisch vor sich hatte. Der Großvater legte ein großes Stück Brot und ein Stück von dem goldenen Käse darauf und sagte: »Jetzt iss!« Er selbst setzte sich nun auf die Ecke des Tisches und begann sein Mittagsmahl. Heidi ergriff sein Schüsselchen und trank und trank ohne Aufenthalt, denn der ganze Durst seiner langen Reise war ihm wieder aufgestiegen. Jetzt tat es einen langen Atemzug – denn im Eifer des Trinkens hatte es lange den Atem nicht holen können – und stellte sein Schüsselchen hin.

「確かにおまえがそれに座ることもできようが、ちょっと低すぎるようだ、」おじいさんは言った。「しかしおまえがワシの椅子に座ったとしても、おまえの背丈ではテーブルに届くまい。よろしい、ではおまえにはこうしてやろう。」そう言って彼は立ち上がり、お椀をミルクで満たし、それを自分の椅子に載せて、ハイディがテーブル代わりに使えるようにその椅子を三本足の椅子のすぐそばに押しやった。おじいさんは大きなパンの固まりを取り、金色のチーズを載せて「さあ食べよう!」と言った。彼自身はテーブルの端に腰掛けて午後の食事をした。ハイディは休む間もなくお椀からミルクを飲んだ。長い旅路の後で、喉がとても渇いていたからだ。そして、余りにも一気にミルクを飲んだせいで、長いため息をついてから、お椀を下ろした。


アルムおじさんはかまど(Herd)に掛かっていた大きな鍋(Kessel)をどかし小さな鍋(Topf)をかけて沸騰させた(Im Kessel fing es an zu sieden)のだが、何を沸騰させたのかは書かれていない。状況的にはミルクだろう。ミルクが温まって湯気が立つのを見てハイディは飛び上がって物置にそのミルクを入れるお椀(Schüsselchen。直訳すれば小さなお椀)を取りに行った。またここでは山羊の乳、などとは書かれておらず単に Milch と書かれている。

思うに、大きな鍋も小さな鍋も山羊の乳を温めるためのものだが、大きな鍋は乳を温めてチーズを作るためのもので、小さな鍋は乳を温めてそのまま飲むためのものではなかろうか。Topf は深鍋、Milchtopf はミルクポットという意味がある。なので、スイス人あるいはドイツ語話者には Topf と言っただけでミルクを温めたということがわかるのではないか。

山小屋にはミルクを保管しておく冷蔵庫も無いわけだから(おそらくそれどころかトイレも無い)、ミルクを温めるのは、煮沸殺菌の意味があるのかもしれない。

du weißt dir zu helfen 面白い表現。ここで dir は du の3格ではなく、再帰代名詞 (yourself) であろう。3人称だと er weiß sich zu helfen などと言うのではなかろうか。英語で言えば you know what you can do 、直訳すれば you know yourself to help とかか。

heidi 1-2-7

»So geh hinunter, wenn wir denn einig sind«, sagte der Alte und folgte dem Kind auf dem Fuß nach. Dann ging er zum Kessel hin, schob den großen weg und drehte den kleinen heran, der an der Kette hing, setzte sich auf den hölzernen Dreifuß mit dem runden Sitz davor hin und blies ein helles Feuer an. Im Kessel fing es an zu sieden, und unten hielt der Alte an einer langen Eisengabel ein großes Stück Käse über das Feuer und drehte es hin und her, bis es auf allen Seiten goldgelb war. Heidi hatte mit gespannter Aufmerksamkeit zugesehen; jetzt musste ihm etwas Neues in den Sinn gekommen sein; auf einmal sprang es weg und an den Schrank und von da hin und her. Jetzt kam der Großvater mit einem Topf und dem Käsebraten an der Gabel zum Tisch heran; da lag schon das runde Brot darauf und zwei Teller und zwei Messer, alles schön geordnet, denn das Heidi hatte alles im Schrank gut wahrgenommen und wusste, dass man das alles nun gleich zum Essen brauchen werde.

「意見が一致したようだから、下におりようか、」老人はそう言って、その子も後に続いた。それから彼は鍋のところへ行き、それをどかして、鎖で吊されていたもう少し小さな鍋を代わりにかまどに掛けて、その前に木製の丸いシートがついた三本足の椅子を据えて腰掛け、火を吹いて明るく燃え上がらせた。その鍋は沸騰し始めて、老人は長い鉄のフォークの先に大きなチーズの塊を刺して火に炙り、すべての面が金色になるようにくるくると回した。ハイディは興味深そうに眺めた。今まさにその子の心の中であたらしいことが始まった。突然その子は立ち上がり、物置からものを取り出しあちこちうろつきはじめた。おじいさんは鍋とフォークに挿した炙ったチーズを持ってテーブルに歩み寄った。そこにはすでにパンの塊と、二枚の皿と二つのナイフがきちんと並べられていた。というのは、食事をするのに必要なものすべてが物置の中にあることはをハイディは気づいていたからだった。

heidi 1-2-6

»Ist das nicht besser als Heu?«, fragte er. Heidi zog aus Leibeskräften an dem Sacke hin und her, um ihn auseinander zu legen, aber die kleinen Hände konnten das schwere Zeug nicht bewältigen. Der Großvater half, und wie es nun ausgebreitet auf dem Bette lag, da sah alles sehr gut und haltbar aus, und Heidi stand staunend vor seinem neuen Lager und sagte: »Das ist eine prächtige Decke und das ganze Bett! Jetzt wollt ich, es wäre schon Nacht, so könnte ich hineinliegen.«

「干し草よりはこちらのほうがましじゃないかね?」彼は尋ねた。ハイディは一生懸命その袋を広げようとしたが、その子の小さな腕ではそんな重いものは扱えなかった。おじいさんが手助けしてそれをベッドの上に広げた。すべては立派で十分に見えた。そこでハイディは自分の新しいベッドの前に立って行った、「なんてすばらしいかけぶとん、それにベッドそのものも!ああ、はやく夜が来て、このベッドの中で寝てみたいわ。」

»Ich meine, wir könnten erst einmal etwas essen«, sagte der Großvater, »oder was meinst du?« Heidi hatte über dem Eifer des Bettens alles andere vergessen; nun ihm aber der Gedanke ans Essen kam, stieg ein großer Hunger in ihm auf, denn es hatte auch heute noch gar nichts bekommen als früh am Morgen sein Stück Brot und ein paar Schlucke dünnen Kaffees, und nachher hatte es die lange Reise gemacht. So sagte Heidi ganz zustimmend: »Ja, ich mein es auch.«

「その前に、何か食べたほうが良くはないかね、」おじいさんは言った、「そうは思わんかね?」ハイディはベッドのことばかり考えて他のことをすっかり忘れてしまっていた。しかし今、食事のことを考え始めると、とてもおなかがすいてきた。その子は今朝、一切れのパンと、薄いコーヒーを飲んだだけで、その後ずっと旅をしてきたのだから。そこでハイディは喜んで「私もそう思います、」と答えた。