私は車というものには何の愛着も感じないほうであって、洗ってもまたすぐに汚れるのにみんなよく洗車なんかするなあと思い、隣の住人がときどき日曜日にケルヒャーなどで車を延々と洗っているのをああなんてやかましいと思っていらいらしたりもするのだが(ケルヒャーにしろ掃除機にしろ、或いは犬を飼うにしろ、本人はちっともうるさくない。赤の他人が一方的に騒音を聞かされるからうるさいのだ)、ベランダに置いた洗濯機の蓋が汚れているのを見ると、やはり拭いてきれいにしたくなるものであって、ああ車を洗う人もきっと同じような気持ちなんだろうなと初めて共感できた。
賃貸の共同住宅なんてものはどこに住もうが多かれ少なかれ不満があるものであって、便利なところに快適に住もうと思えばそれなりの対価を支払わなくてはならない、それが嫌ならなにがしか我慢をしなくてはならない。
今浅草で借りているこの部屋だが、ギリギリセーフとギリギリアウトの境目辺り、どちらかといえば限りなくギリギリアウトに近い。最近かなり気になるのは隣でトイレの水を流す音が丸聞こえなのだが、まあそれはしょうがないと諦めるとしても、その流れる時間が異様に長いのである。そんな大きな音ではないのだが、ちょろちょろちょろちょろいつまでも流れている。あれはいったいなんなのだろうか。たぶん配管が詰まっていて、少しずつしか水が排水されていかないせいだろうと思う。完全に詰まれば管理会社が修理してくれるのだろうが、中途半端に詰まっているから放置しているのだろう、などと思うと余計にイライラしてくる。
それで今回またしても水道工事を頼んだ。蛇口の水がなかなか止まらないという話を先にここに書いたが、この蛇口が途中で止まらずぐるぐるぐるぐる回転するようになってしまった。ある一定角度のところで(45度くらい)水はなんとか止まりはするのだが、そこを越してさらに回すと水がまたでてきて、45度辺りまでくるとまた止まるという謎仕様。
これはさすがに使いづらいにもほどがあるので電話して修理してもらうことにした。
私ばかりでなく、都会では、相当多くの人が不動産に不満を抱いたまま、そして通勤にいらだちながら暮らしているんだなあと思う。こんなことならきっと縄文人のほうがクオリティオブライフは高かったんじゃないか。