白川静 孔子伝の続き。
白川静「初期万葉集」を読み始めた。これによればなぜ白川氏が万葉集の研究を始めたのか明らかだ。彼は漢学者、というより、漢字学者として、詩経を学び、詩経と万葉集を比較しようと考えたのだ。
詩経と万葉集を比較した学者ならば江戸時代にもいた。というより、平安時代にもいた。藤原公任は和漢朗詠集を作った。九条良経など漢詩も作り和歌も詠んだ。彼らは漢詩と和歌を際限なくごっちゃにしていた。
詩経に関しては荻生徂徠がかなりまとまったことを言っているはずだし、国学者も万葉集、詩経両方を研究した人がいたはずだ。私にはまずそこから研究すべきではないか、と思えたのだ。
しかし漢字学者である白川氏が江戸時代の国学者や歌学者を知っているはずもない。そうした先行研究を調べることはできなかっただろうと思う。もし万葉集の研究をするのであればまず仙覚、荷田春満、賀茂真淵の先行研究について触れなくてはならなかったのではなかろうか?
また私には、文字の無い時代から文字を得た時代の文芸について研究するのであれば、当然西アジアを含む全世界の古代文芸、ギルガメッシュ叙事詩や、ホメロスやその他の叙事詩との比較研究を行うべきであろうと思う。近代の研究者である白川氏にはその責務がある。しかしながら、世界の古代文芸との比較も行わず、江戸時代の先行研究のサーベイも行わず、白川氏独力で、いったいどれほどの研究ができるのだろうか、と私には思える。
一人の人間がそんな網羅的な研究ができるはずもない、もう少し限定的な何かを追求しようとしていたのかもしれないから、もう少し白川氏の書いたことを読んでみようとは思っている。
一人の一歌学者として思うに、日本人は古来、漢詩の理論で和歌を体系づけようとして、ことごとく失敗していた、その轍を踏むのではないかという危惧がある。
漢詩は漢詩なのである。和歌は和歌なのである。漢詩と和歌には似ている。確かに似ている部分もあろう。和歌が漢詩の影響を受けた部分は多い(逆は無いとしても)。しかしそもそもまったく違うものなのであって、これまで多くの人が陥った間違いに白川氏も陥るだけなのではないかという気がしてならない。そう、そもそも、日本歌学における漢学の影響を排除するところからしか、和歌というものは分析できないと私には思えるのだ。なぜなら、漢学の影響が日本文芸には強すぎるからだ。
漢語と大和言葉はそもそも言語として全然違う。相性は最悪だと思うが、長年の努力で混淆してきた。
私から見るとドイツ詩と漢詩は構造が良く似ている。しかし和歌はまったく違う。特に短歌形式や発句形式(俳句や川柳)は、短くて構造を持たないことが特徴である。一方(ゲーテなどの)ドイツ詩や漢詩は対句や押韻によってシンメトリカルに整った構造を持っている。今様や都々逸にはまだ構造や対称性、反復、リズムというものがあるけれども、短歌には無い。短歌でリズムを表現しようとするところに多くの人の勘違いがある。金属や宝石などの結晶は構造があるがガラスは結晶ではない。ガラスはほとんど変形しない液体なのだ。短歌もまた結晶構造を持たない、アモルファス、静止した液体なのである。という比喩でわかってもらえるだろうか?
和歌は世界中見ても類例の無い詩形だ(良く探せばアフリカとかネイティブアメリカンなどに似たものがあるのかもしれん)が、東アジアと西アジア、そしてヨーロッパの詩というものは相互に影響を与えながら成立したのではないか。詩とはなんであるかということの考察はそんなに簡単なことではない。