亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 1月, 2014

敷島の道

01.31.2014 · Posted in 和歌

「敷島の道」なんてのは足利尊氏が歌に詠み始めた(流行らせた)なんて書いたのが気になって調べてみたのだが、 「しきしまの」は「やまと」などに懸かる枕詞でこれは古語だ。 崇徳院御製に「しきしまのやまとのうた」というのがあるが、これは和歌のことであるが、 貫之が「やまとうたは」などと言っているのとなんら変わらない。 少なくとも古今集の時代にはあった言葉だ。 宣長の「しきしまのやまとごころ」これもまた平安中期頃にあっておかしくない言い方。

しかるに「しきしまの道」を「歌道」という意味に用い始めたのは案外新しいはずだ。 たぶん初出はなんかの歌学書もしくは勅撰集の仮名序であろう。明らかに後世作られた「歌学用語」である。 そもそも「道」なんてことぱには要するに宣長があまり好きではない漢才の匂いがする。

和歌に詠まれた「しきしまのみち」の初出は玉葉集らしい。 九条孝博

おろかなる身をば知れども代々経ぬるあとをぞたのむ敷島の道

ただこれ、初出な上に「日本の道」と言ってるだけなんでほんとに歌道の意味で使ったかは不明。 だんだんと定着していったんだろうけど。

冷泉為相

これのみぞ人の国より伝はらで神代を受けし敷島の道

二条為藤

住吉の松の思はむことのはを我が身にはつる敷島の道

住吉の松も花咲く御代にあひてとがへり守れ敷島の道

うーん。ほんとに和歌のことかどうか、あやしいよな。

為藤は為世の子だから明らかに二条派だろうな。 為相はどちらかといえば京極派?

玉葉は伏見院の院宣による持明院統と大覚寺統に分かれて争っていた鎌倉後期の成立、 しかも京極派が優勢だったころで、かつ、九条孝博は玉葉集の選者の一人で伏見院の側近、 どちらかといえば京極派だったかもしれない。 いずれにしろ歌論というものがやかましく言われるようになったころに生まれた言葉だわな。 時代的に足利尊氏がその影響をもろに受けたのは自然。 ていうか東国の武士が朝廷に接近するためにはまずは和歌を学ばないと、敷島の道にはげまないと、 と彼は考えただろう。 尊氏が歌好きだから将軍はじめ武士はみんな和歌好きになってしまった。

なにごとも思はぬ中に敷島の道ぞこの世の望みなりける

すごいよなこの尊氏の歌。足利将軍の歌ですよといわれなきゃ誰もわかるまい。 ましかし武士だからこそ逆にこんな言い方をしたのかもしれんが。

こういうの調べ始めるときりがないんだけど。

追記 敷島の道2

敷島の道 はコメントを受け付けていません。

改版

01.30.2014 · Posted in kindle

以前は、My Kindle で一度削除して、無料キャンペーン期間中に買い直せば、 新しい版と入れ替えられたのだが、今はそれがうまくいかない。 いつまでも誤植のある昔の版になってしまう。 どこまで読んだかとか履歴が残ってるんだよな。

なんかうまい方法ないんかね。 お問い合わせ以外に。

改版 はコメントを受け付けていません。

j:com smart tv box + sony xperia z ultra

01.27.2014 · Posted in 雑感

結局 smart tv box を契約。 近々NTTとアサヒネットは解約することになる。 ああもう何年前からアサヒネットを使っていたことだろうか。 その前はたしかリムネットだったと思う。 その前はたしかアスキー・インターネット・フリーウェイとかいうやつを使ってたと思う。 全部自宅ネットの話ね。

スマホアプリでチューナー操作できるのが 21世紀って感じ。 チューナー3つあるからよくわからんが1つ見ながら2放送を同時録画できるってこと? 地デジならテレビに外付けのhddにも録画できるから、一度に3放送同時録画できるかもしれん。 すげーオーバースペックだわな。

外付けHDDは4台まで同時につなげて、8台までは認識するらしい。 smart tv box に hdd がユニークに割り当てられていて、 従って hdd が壊れても smart tv box が壊れても、 録画した動画は復旧できないということらしい。 だがブルーレイディスクレコーダーを外付けするとブルーレイに保存することも不可能ではないらしい。 そんな使い方するだろうか。 んで、店員さんに、容量2TBだと8台で16TBまでしか録画できませんねとか言うと、 そんなにたくさん見てる時間はありませんよと言われた。 そりゃそうだ。 ていうかそういう使い方は不正利用につながりかねんというので技術的制約というよりは、 単に制限かかってんだわな。

んでまあ、アサヒネットのwimaxルーターだが、解約すると使えなくなるんで、 いよいよスマホでテザリングと思い、 xperia z ultra という、一昨日でたばっかのモデルを買うことにした。 スマホというよりはちっさいタブレットって感じだな。 すげえ便利です。 これでガラケーもwimaxルーターもタブレットもみんな1台ですむではないか。 すばらしい。 もともとタブレット派だったんでポケットに入らなくても全然OK。

やっぱ国産は良いわ。ソニー最高。

2年ちょっと前に入院体験を忘れないうちに小説にしておこうってんで、 安藤レイってのを書いたのだが、 wimax と、スマホと、ベトナム新幹線と、看護アンドロイドと、人工知能が実現している近未来、 という設定で書いていた。 wimax はもはや LTE になった。 スマホなんていまじゃ誰でも使ってる。 ベトナム新幹線は10年後くらいか。 アンドロイドはたぶん20年は無理で、 人工知能はおそらく50年くらい先の話じゃないか。 いやはや、SF考証は難しい。 特に情報通信の進歩が他よりずっと速くてすぐ古びるってことに気をつけなくちゃならんわな。

ついでに2020 (トゥエンティトゥエンティ)という話を2年半くらい前に書いて、 未だお蔵入りになのだが、 これは西暦2020年のお話で、2012年くらいに保守連立内閣が成立して道州制が導入され、 人口500万人くらいの巨大政令指定都市が生まれ、 そういう巨大都市の市長がすごい権力を持つようになって、 外国人移民特区みたいなのができて、という設定だったが、 結局保守連立で55年体制みたいなものはできず、 民主党が壊滅して自民党圧勝となった。 未来を予測するのは難しい。 あたったのは、民主党体制は長続きせず保守政権が復活するというところだけなんだが、 まあそのくらいは誰でも予測できるわな。

j:com smart tv box + sony xperia z ultra はコメントを受け付けていません。

mbox2eml

01.27.2014 · Posted in 雑感

何か知らんがじぶんところのサーバー(tanaka0903.netのこと)の postfix から gmail に転送できなくなった。 これはけっこう痛い。 最近のメイルはmimeになってて多バイト文字でリンクとかが埋め込まれててもういかん。 たとえば twitterのパスワード忘れて登録アドレスが tanaka0903.net 宛てのメイルだったりする。 そのまんま gmail に転送すりゃ何の問題もないのだが、gmail は受け付けてくんない。 yahoo もダメ。たぶんどこ使ってもダメなんだろうと思う。 ほんの数年前までは普通にできたのだが。

mbox をインポートできるメイラーあるかと思うとない。 thunderbird のアドオンにあるとか書いてあるがもうない。 そんで、/var/spool/mail の mbox を Windows に持ってきて eml に変換するソフトで emlextracter というのがあったんで、 それで mbox を eml にばらして thunderbird で読み込んだらなんとか読めた。 ああもうね、10年も前のファイルですら読めなくなりつつあるね、困る。 mbox2eml とか言うフィルターでもあればいいのに。 もうあんまりあれこれこのへんのことで頭使いたくないのよね、実際。

mbox2eml はコメントを受け付けていません。

フローニの墓に一言

01.27.2014 · Posted in kindle

というわけでしばらくずっとドイツ語と格闘していた。 シュピリのHeimatlosというやつも読み始めたのだが(もういい加減疲れたので英訳の方を読んでる)、 こちらはイタリア人の男の子とお父さんと叔母が出てくるという話で、あんまり関連性はないようだ。 ただイタリアの話をシュピリが書くというのはやや意味深で、 アルムおじさんがナポリで傭兵になったという話を連想させる。

スイス人がイタリアの話を書いても何も不思議じゃないんだけど、 やはりシュピリとロイトホルトの関係を考えさせられる。

フローニはぎりぎりまで内容をブログに書いたりしなかったんだが、 それは、 ハイディに出てくるアルムおじさんのモデルがハインリヒ・ロイトホルトというヨハンナ・シュピリと同い年で同郷の詩人をモデルにしているってことが、割と重大な発見に思えたからだ。 これは、ほぼ確実だと思っている。 今回も結局(古典の翻訳という形をとった)論文みたいなものを書いてしまった。

ていうか「西行秘伝」もほとんど元ネタは平家物語なんだよね。 戦前まで平家物語は、最初から最後まで、娯楽として、古典の教養として、歴史書として読まれていた。 だから、平家物語を読んだという人は、祇王を知っているし、二代后を知っているし、文覚や俊寛を知っているし、 義経の腰越状を知っていた(腰越状なんてのは昔は漢文のお手本としてみんな習った、らしい)。 今の人は、冒頭の祇園精舎のとこと、富士川の戦いから壇ノ浦までしか知らん。 もちろん原文読んだりウィキペディアの説明読めば全部書いてあるんだが、 一番「マンガ的」なところしか知らないし興味を示さなくなってるんだよな。 ハイディのアニメ化もまったく同じなわけなんだが、 活字が映像表現される時代ではどうしてもそうなっちゃうわけなんだよな、たぶん。 ある意味映像化されることによって、それまでは見えていたものにフィルターがかかって見えなくなる現象ともいえるわな。

テレビの報道なんか見てても、浅田真央はバンクーバーオリンピックで泣いたり笑ったりいろんな表情をしているはずなんだが、 映像的には、浅田真央はキム・ヨナに負けて泣いていなくてはならない。 笑っている場面は全部捨てられてしまう。 無理矢理泣いてる一瞬のシーンだけを切り取って「絵」にしてしまう。 小説はそういう嘘の付き方はしない。 もっと違う嘘の付き方をする。

なんかいわゆる世間一般の「キンドル作家」からどんどん一人だけ離れて勝手に行動しているような気がするが、 まあしかたない。

ハインリヒ・ロイトホルトは Wetzikon Wiki など読むと少しわかる。でもこれもそんな詳しくない。 いろんな情報をつなぎ合わせると、 ハインリヒとヨハンナがヒルツェルで同じ学校に通っていたのは、おそらく、 8歳から13歳くらいまでだったろうということがわかってくる。 また20歳くらいの大学の休暇中に会っていたことはあっただろうと思う。 ハインリヒの父も、ある史料には小作人(eines Landarbeiters und Milchhändlers)と書かれているが、 どうも、このヴェツィコンというハインリヒの生まれ故郷のウィキを読む限り、農園主、酪農家(ここで Schönenberg 村出身の父は酪農を経営した。Hier betreibt sein aus der Gemeinde Schönenberg stammender Vater eine Sennerei。SchönenbergはHirzelに隣接するGemeinde)だったらしい。 つまりアルムおじさんの境遇にかなり近づく。 ていうか当時ただの小作人の子がわざわざ大学までいくか。 よっぽど母親の再婚相手が裕福ならともかく。 とにかく調べれば調べるほどわからんことが増える。

ハインリヒはかなりエキセントリックな人だ。 えーとそれはここに書いてもいいんだが、「フローニ」でも解説してあるし「フローニ」本編も合わせて読んだ方がよくわかるかもしれん。 若い頃のアルムおじさんってたぶん こんな顔 してたと思う。 怖いね。普通か。

今回はもうこれ以上文章を書き換えることはないと思う、たぶん。 今後表紙は替えて、挿絵を入れる予定。

原文 は public domain なんでどうぞ適当に配布しちゃってください。 オリジナルのpdfはこちら

あ、ごめん。 こっち のほうがずっときれいです。

フローニの墓に一言 はコメントを受け付けていません。

smart tv box

01.26.2014 · Posted in 雑感

なるほどそうか。 smart tv box って j:com の端末じゃなくて(そんなことないはずってことは少し考えればわかるわな)、 KDDI が開発したものだったんだ。 cableplus.jp というサイトもあるわけだが。 それで au のスマホと相性いいわけね。 ふーんふーん。 これはやっぱ買いかもしれんね。 au ユーザなら迷わず買いではなかろうか。

smart tv box はコメントを受け付けていません。

はつかに萌えし

01.22.2014 · Posted in 和歌

こころして朝ぎよめせよ若草のはつかにもえし九重のには

明治天皇43歳のときの歌。 なかなかいいなこれ。 歴代天皇の御製の中でもかなり良い。 ていうかこれ、天皇の御製なんだが誰の歌かわかるかって言われてわかる人いるかな。 「品川の海」とかなら明治天皇くらいしかいないからわかりやすいが。

五七調なところも私の趣味にあってるんだよなあ。

かすがののゆきまをわけておひいでくる草のはつかに見えしきみはも

なるほどこれか。

はつかに萌えし はコメントを受け付けていません。

上田秋成の誤解

01.21.2014 · Posted in 和歌

願はくは花のもとにて千代も経むそのきさらぎの盛りながらに

これは宣長の歌で、明らかに西行の歌

願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃

を本歌としたものである。 宣長らしいおもしろい返し方だ。 上田秋成が、宣長の

敷島の大和心をひと問はば朝日ににほふ山桜花

を批判しているのだが、

大和魂と言ふことをしきりに言ふよ。どこの国でも、その国の魂が、国の臭気なり。 おのれが像の上に書きしとぞ「敷島のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花」とはいかにいかに。 おのが像の上には尊大の親玉なり。そこで「しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」と答へた。

宣長は、賀茂真淵や平田篤胤とはまったく違う意味に「大和心」「大和魂」 という言葉を使っていた。 「大和心」「大和魂」がもともと源氏物語や赤染衛門の歌に出てくるように、 それはもとはといえば女言葉であり、 平安時代の日本の女性的な心をさすものであった。 特に「漢学」に対する言葉だった。 宣長はもちろんそういう意味で使っている。 漢心(からごころ)、漢才(からざえ)に対して大和心という言葉を使っている。 そのことを指摘したのは小林秀雄だったと思うが今ちょっと良く思い出せない。

宣長が「大和魂」などという言葉を使ったのだろうか。 使った可能性もあるが、 それは「たをやめ」の「弱く女々しい心」という意味に使ったはずだ。 敷島の大和心とは何かと人に問われれば、 それは「朝日ににほふ山桜花」をひたすら愛でる、私のような、女々しい心のことだ、 と解釈しなくてはならない。 宣長が詠んだ大量の桜の歌をみればその気持ちを補完できるだろう。

宣長は復古神道の創始者(の一人)ということになってしまった。 だから「敷島の」の歌も誤解されている。 秋成も誤解した。 ただし秋成は「正しく誤解」している。 つまり宣長があんまり外国よりも日本を崇拝するのが気持ち悪いという意味で言っている。 宣長にしてみれば国学の重要性を強調したいが故に、極端な表現をした。 それくらい当時の漢学崇拝は空気のように自然であり、宣長は孤立無援だった (ある意味今も宣長はほとんど誰にも理解されていないという意味で孤立無援である)。

しかし宣長の弟子の国学者たちは「間違って誤解」した。 大和心、大和魂を日本男子の猛々しい心だと考えた。 平安時代より前の武人の心だと解釈した。

そしてその誤解が宣長を余計に有名にしてしまった。 すべては後の世の人たちの仕業である。

ちなみに和歌のことを「敷島の道」などと詠み始めたのは足利尊氏ではないか。 少なくとも彼がその一人であるのは間違いない。 尊氏も武士からぬ女々しい和歌を詠んだ。 大量に詠んだ。 室町時代に勅撰集がやたらと作られたのは尊氏のDNAのせいだろう。 彼が和歌好きだったのは間違いない。 実は周りの武士団が勇ましいだけで、 その真ん中にいた尊氏はほんとに女々しいだけの人だったかもしれないと思う。

追記: 昔の記事を読み返すとほとんど同じことを書いていた。 国意考

ついでに敷島の道

上田秋成の誤解 はコメントを受け付けていません。

誤字脱字

01.21.2014 · Posted in kindle

私の場合、特に最初の頃は、小説の筋を考えながら書くという癖があったから、 なかなか筋が収束しない。 一番ひどいのはアルプスの少女デーテで、2008年頃からちょこちょこ書き足している。 最初から決め打ちで書き上げたのは「エウメネス」「紫峰軒」くらいで、 わりと最近のものである。 どちらもどこかの新人賞に応募した。 一応新人賞に応募する小説としての体裁を整えてから書き始めている。 投稿したあとは書き換えられないもんね。 でもパブーやキンドルに出すときにはまた書き換えたりする。 一度ボツにしたやつをほとんど新作といえるくらいに書き換えてまた出すこともある。 或いは途中までで放棄したやつを他の小説の小ネタに使い回したりとか。 そういや、超ヒモ理論は私がまだ大学生だった頃に書いた漫画が元ネタだ。 それに新しいネタを足して合わせ技で小説に仕立て直した。

「紫峰軒」は応募した最後だ。 「紫峰軒」自体はそんな一般受けするような話じゃない。 でももう新人賞は諦めた。 新人賞には頼らないと決めた。 昔は新人賞に応募したあとパブーで公開してた。 いまはいきなり kdp に出している。 新人賞に応募して落ちたやつを kdp で出版するという個人作家がいてもおかしくないと思うが、あまりみかけない。 或いはそう表明してないだけか。 じじ臭い言い方だが、若い人は、kdpでいきなり出版せず、まず新人賞に応募すればいい。 もったいない。 年寄りが新人賞に応募してもいいことはない。 年寄りはひねくれているから出版社のいいなりにはならないし自分の書きたいことを書きたがる。 作家としてデビューするためには何でもやる、などとは、少なくとも私は考えない。 若者ならどうだろう。

いずれにしても、書く前からすでに完成していたと言えるのは、「エウメネス」「紫峰軒」くらいからなんだが、そういえば「エウメネス」には後書きを追加したな。うん、一度で確定してないじゃないかやっぱり。

そもそも最初の頃は自分がどういう文章を書く人間かということすら自分で把握してなかったので、とにかく書き始めてみるしかなかった。 小説を書いてみて改めて自分がどういう人間か再確認してる感じ。 コンテやネーム、企画書なしにいきなり書き始めるタイプ。 今もけっこう途中で仕様変更しながら書いている。

何度か校正すれば誤字脱字はなくなるはずだという指摘をされることがあるが、 書き換えているうちは新たな誤字脱字が発生するので、何度読んでもなくならないのである。 それは言っておきたい。 よく書き換える人ほど間違うだろうと思う。 一度書いてそのままだとあまり間違えはおきない。 書き換えた箇所に間違いが起きるのだ。 書き換えるということは追記したり良い表現に訂正したりする。 時間的にも文言もつぎはぎなのでどうしても間違いが混入する。 だから、小学生の書き取りの間違えと一緒にしないでほしい。 間違いを見つけたら、ははあ作者は、ここで何度か文章を書き換えたらしいな、と考えてほしい。

kdp 作家の文章に誤字脱字があるのはある意味当然で、 市販の書籍でも初版第一刷にはやっぱりある。 紙の本も一応書いたことがある私がいうんだから間違いない。 編集が校正して完全にミスを無くしてくれるわけではない。 小谷野敦氏だってブログでしょっちゅう訂正している。

誤字脱字が無くなるのは初版第一刷以後の、「書き終わった」本を読んでいるからだ。 個人出版なんだからそのへんの間違いを指摘されても困る。 もすこし違うところを指摘してほしい。

このブログなんかも単なる書き切りの日記ではなくて、 何度も書き直したり書き足したりしている。 エッセイの草稿みたいなもんだな。 ブログ記事をまとめて小説書くこともあるしな。

ちなみに安藤レイは太宰治賞の一次選考 に通ったことがある。 これも落ちてからかなり追記した。 安藤レイにしてもそうだが、もしあのとき心臓の除細動で死んでたら、 今出版している小説の多くは世に出なかったことになる。 そう考えると何か不思議だ。 あれで死んだとして完全な形で残せたのは「将軍放浪記」くらいということになるが、 あれもかなり加筆したからな。

誤字脱字 はコメントを受け付けていません。

ネット環境

01.21.2014 · Posted in 雑感

昔々このブログを置いていたサーバが自宅サーバーだった関係で、NTT bflets + アサヒネットの固定IPでずーっとやってきて、今もアサヒネット、 でも、固定IPも自宅サーバーもやめてしまった。 だから固定電話も NTT である必要はすでにない。 アサヒネットの営業電話がかかってきて珍しいなと思ってると、wifiルータ(wimax)使いませんかと言われてなにげに使い始めてもう2年以上使っていた。

wifiルーターは便利なんだが、 スマホのテザリングあればいらないからまあこの際やめてもいい。 それなりの額を自動引き落としされているわけだから、 その分テザリング代に回せばいいわけで。

でまあ今 au だと sony xperia z1 なんかに機種変更すると7万円くらいかかるのな。 高いなあ。 でもスマホ1台あると何でもできるしな。 そろそろかなあ。

au と j:com だけにするかなあ。

twitterアプリはtwitterのサイトで一度認証しないと続けて使えないだけだった。アプリ自体が対応してないんじゃなく。しかしなら自動でtwitterに飛べよと言いたい。

ネット環境 はコメントを受け付けていません。