空海の歌

風雅和歌集には、弘法大師の歌

わすれても 汲みやしつらむ 旅人の 高野の奥の 玉川の水

が収録されているそうだが、はて、あまりにも時代がかけ離れているし、空海が和歌を詠んだとして、風雅集の時代に初めてあらわれたというのが、ちと信じがたい。玉勝間11「高野の玉川のうた」で宣長はこれを後世の偽作と見ている。詞書きには

この流れを飲むまじきよしを、しめしおきてのち、詠みはべる

とあるそうで、歌の意味は「高野の奥の玉川の水は飲むなと定めおかれたものだが、旅人はそれを忘れて酌んで飲むものがいるかもしれない」となる。この歌の解釈を豊臣秀次とその家臣の霊が解釈するという話が雨月物語に出てくる。で、確かに高野山には玉川という川があるようだが、なぜこの川の水を飲むなと空海は定めたのだろうか。よくわからんのう。宣長が指摘しているように「わすれても汲やしつらむ」は「忘れて汲みやせむ」の意味だが、意味が通りにくい。

旅人は 定め忘れて 汲みやせむ 高野の奥の 玉川の水

とかならすっきりわかろうが。

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