外飲みが億劫

近頃は外飲みするのがすっかり億劫になってしまった。以前は連日飲み屋を飲み歩いていて、自宅で晩酌などするのがもったいない、というより、自宅で酒を飲むなんてただのアル中じゃないかと思っていた。酒を飲むよりも酒場を渡り歩くことに楽しみを感じていたのだが、近頃はまったくそんな元気が出ない。年を取って体力も落ちたし、どんな店に行ってもだいたいもう予測が付く。浅草で飲み歩いて余計にそう感じるようになった。単身赴任で日本全国転勤して回る人が昔はうらやましかった。会社の金でいろんな地方都市に住んで盛り場巡りができるのだから。しかし今はもうそんな気分じゃない。夕方ちょっとだけ自宅で酒を飲んでそのまま寝てしまうのが一番だと思うようになってきた。

それにしても、そろそろ本を出してもらわないと困る。2023年7月から延々と、2年以上も書いている。文章はじわじわと増えている。今年に入って増えた分もあり、それはそれで意味のあることだとは思うので、もしかすると多少時間をかけて書いた方が良いのかもしれないけど、それにしても限度というものがある。これ以上長くなると読むのもしんどいし推敲するのも手間だ。

神の啓示とか預言というものは、脳内のシナプス結合が局所的に過剰になった状態のことをいうのではなかろうか。脳の処理能力は脳細胞の数とシナプス結合の多さで決まる。ある一つのことを常に考えていると、その関心の高い部分だけ、知的ベクトル空間の次元が上がっていく。普通のことはともかくとして、ある一つのものごとに対する解像度が異常に上がり、今まで思いも寄らなかったような微細な緻密なことまで感じられ、理解できるようになり、その一つのことが世界全体よりも広く大きく感じる。ものごとの真相を知った気になる。そういう現象のことをいうのではないか。

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