龍馬の歌

けっこうたくさんあるんだな。
歴史的仮名遣いに直したりした。

春夜の心にて

> 世と共にうつれば曇る春の夜を朧月とも人は言ふなれ

> 月と日のむかしをしのぶみなと川流れて清き菊の下水

湊川で詠んだものらしい。「月と日の」は謎。日月旗(錦の御旗)の意味か。
菊の下水とは楠木正成の菊水紋を言うか。

> 憂きことを独り明しの旅枕磯うつ浪もあはれとぞ聞く

明石で詠んだもの。

> 嵐山夕べ淋しく鳴る鐘にこぼれそめてし木々の紅葉

嵐山。

> 梅の花みやこの霜にしぼみけり伏見の雪はしのぎしものを

伏見で江戸へ出立の時に

> 又あふと思ふ心をしるべにて道なき世にも出づる旅かな

先日申てあげたかしらん、世の中の事をよめる

> さてもよに似つつもあるか大井川くだすいかだのはやき年月

いずれも淀川。

桂小五郎揮毫を需めける時示すとて

> ゆく春も心やすげに見ゆるかな花なき里の夕暮の空

> 心からのどけくもあるか野辺はなほ雪げながらの春風ぞ吹く

> 丸くとも一かどあれや人心あまりまろきはころびやすきぞ

これはちょっと面白い。

奈良崎将作に逢ひし夢見て

> 面影の見えつる君が言の葉をかしくに祭る今日の尊さ

「かしくに」は「かしこに」か??

父母の霊を祭りて

> かぞいろの魂や来ませと古里の雲井の空を仰ぐ今日哉

> 蝦夷らが艦寄するとも何かあらむ大和島根の動くべきかは

> 常磐山松の葉もりの春の月秋はあはれと何思ひけむ

> 世に共にうつれば曇る春の夜を朧月とも人は言ふなれ

土佐で詠む

> さよふけて月をもめでし賤の男の庭の小萩の露を知りけり

泉州名産挽臼

> 挽き臼の如くかみしもたがはずばかかる憂き目に逢ふまじきもの

これは何か。
結構面白い歌だな。
単なる月並みでも人まねでもない。
上司と部下がうまく噛み合って連動すればこのようなつらい目にあうことはないのに、という意味。
いろいろ解釈はあるようだが、土佐や長州というよりは、勝海舟の立場を詠んだものではなかろうか。
ははあ。[ただしくは吉村虎太郎の作](http://homepage2.nifty.com/ryomado/Sakaryo/SRpoem/saryo_poem02-05.html)という説もあるようだ。
なかなか簡単には信用できないね。

> 藤の花今をさかりと咲きつれど船いそがれて見返りもせず

これも吉村虎太郎作らしい。

> 文開く衣の袖はぬれにけり海より深き君がまごころ

> 世の人はわれをなにとも言はば言へわがなすことはわれのみぞ知る

> 春くれて五月まつ間のほとどぎす初音をしのべ深山べの里

> 人心けふやきのふとかわる世に独り歎きのます鏡かな

> 消えやらぬ思ひのさらにうぢ川の川瀬にすだく螢のみかは

> みじか夜をあかずも啼きてあかしつる心かたるなやまほととぎす

> かくすればかくなるものと我もしるなほやむべきかやまとたましひ

> 君が為捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行末

> もみぢ葉も今はとまらぬ山河にうかぶ錦やおしの毛衣

> 山里のかけ樋の氷とけそめて声打ちかすむ庭の鶯

> 道おもふただ一筋にますらをが世をしすくふといのりつつゐし

> くれ竹のむなしと説ることのはは三世のほとけの母とこそきけ

うーむ。謎は深まった。
もっとサンプルがたくさんあるとわかりやすいのだが。

[居酒屋ばくまつ (過去ログ置き場です)](http://cgi12.plala.or.jp/bakumats/cbbs/cbbs.cgi?mode=al2&namber=383&rev=&no=0&P=R)

> 龍馬の和歌ですが、龍馬が詠んだと伝えられている和歌の数はそれほど多くはありません。
現存する短冊や書簡、あるいは関係文書に収録されているもので殆どですが20首前後です。
ただ、坂本家は実は歌人一家で代々、玄祖父直益、曽祖父直海、祖母久、父直足、兄直方、姉栄、外曽祖父井上好春、義兄高松順三などなど、詠んだ和歌が遺されており、歌会もしばしば営まれていたようです。
この歌人一家の環境の中で龍馬は幼少期より姉乙女の薫陶を受け和歌も学びますが、大岡信氏によれば古今和歌集の系統の新古今和歌集や新葉和歌集を読んだ影響が見られるとのことです。

なるほどなあ。

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