私の場合、特に最初の頃は、小説の筋を考えながら書くという癖があったから、
なかなか筋が収束しない。
一番ひどいのはアルプスの少女デーテで、2008年頃からちょこちょこ書き足している。
最初から決め打ちで書き上げたのは「エウメネス」「紫峰軒」くらいで、
わりと最近のものである。
どちらもどこかの新人賞に応募した。
一応新人賞に応募する小説としての体裁を整えてから書き始めている。
投稿したあとは書き換えられないもんね。
でもパブーやキンドルに出すときにはまた書き換えたりする。
一度ボツにしたやつをほとんど新作といえるくらいに書き換えてまた出すこともある。
或いは途中までで放棄したやつを他の小説の小ネタに使い回したりとか。
そういや、超ヒモ理論は私がまだ大学生だった頃に書いた漫画が元ネタだ。
それに新しいネタを足して合わせ技で小説に仕立て直した。
「紫峰軒」は応募した最後だ。
「紫峰軒」自体はそんな一般受けするような話じゃない。
でももう新人賞は諦めた。
新人賞には頼らないと決めた。
昔は新人賞に応募したあとパブーで公開してた。
いまはいきなり kdp に出している。
新人賞に応募して落ちたやつを kdp で出版するという個人作家がいてもおかしくないと思うが、あまりみかけない。
或いはそう表明してないだけか。
じじ臭い言い方だが、若い人は、kdpでいきなり出版せず、まず新人賞に応募すればいい。
もったいない。
年寄りが新人賞に応募してもいいことはない。
年寄りはひねくれているから出版社のいいなりにはならないし自分の書きたいことを書きたがる。
作家としてデビューするためには何でもやる、などとは、少なくとも私は考えない。
若者ならどうだろう。
いずれにしても、書く前からすでに完成していたと言えるのは、「エウメネス」「紫峰軒」くらいからなんだが、そういえば「エウメネス」には後書きを追加したな。うん、一度で確定してないじゃないかやっぱり。
そもそも最初の頃は自分がどういう文章を書く人間かということすら自分で把握してなかったので、とにかく書き始めてみるしかなかった。
小説を書いてみて改めて自分がどういう人間か再確認してる感じ。
コンテやネーム、企画書なしにいきなり書き始めるタイプ。
今もけっこう途中で仕様変更しながら書いている。
何度か校正すれば誤字脱字はなくなるはずだという指摘をされることがあるが、
書き換えているうちは新たな誤字脱字が発生するので、何度読んでもなくならないのである。
それは言っておきたい。
よく書き換える人ほど間違うだろうと思う。
一度書いてそのままだとあまり間違えはおきない。
書き換えた箇所に間違いが起きるのだ。
書き換えるということは追記したり良い表現に訂正したりする。
時間的にも文言もつぎはぎなのでどうしても間違いが混入する。
だから、小学生の書き取りの間違えと一緒にしないでほしい。
間違いを見つけたら、ははあ作者は、ここで何度か文章を書き換えたらしいな、と考えてほしい。
kdp 作家の文章に誤字脱字があるのはある意味当然で、
市販の書籍でも初版第一刷にはやっぱりある。
紙の本も一応書いたことがある私がいうんだから間違いない。
編集が校正して完全にミスを無くしてくれるわけではない。
[小谷野敦氏](http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/)だってブログでしょっちゅう訂正している。
誤字脱字が無くなるのは初版第一刷以後の、「書き終わった」本を読んでいるからだ。
個人出版なんだからそのへんの間違いを指摘されても困る。
もすこし違うところを指摘してほしい。
このブログなんかも単なる書き切りの日記ではなくて、
何度も書き直したり書き足したりしている。
エッセイの草稿みたいなもんだな。
ブログ記事をまとめて小説書くこともあるしな。
ちなみに安藤レイは太宰治賞の[一次選考](http://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/entry/719/)
に通ったことがある。
これも落ちてからかなり追記した。
安藤レイにしてもそうだが、もしあのとき心臓の除細動で死んでたら、
今出版している小説の多くは世に出なかったことになる。
そう考えると何か不思議だ。
あれで死んだとして完全な形で残せたのは「将軍放浪記」くらいということになるが、
あれもかなり加筆したからな。