浅草の飲食店

ワンオペでカウンターが5席くらい、テーブル席が2つ程度の店もかなりある。こうした店はあまり一度に注文するとオーダーがなかなか通らないのでなかなか頼みにくいものがある。

他にももちろんチェーン店とか、個人経営だが従業員がフロアと厨房で分かれているようなシステマティックな店とか、いろんな店があるんだが、総じて雰囲気が良い。これはもう江戸時代から続くモメンタムとしか言いようがない。

飲食店というものはたいてい新陳代謝が早いものであるから、浅草といえどそれほど老舗の店ばかりではないが、江戸時代から続いている店、戦前からある店、戦後まもなくできた店もあるにはあって、実際ビートたけしが通った蕎麦屋とか居酒屋なんかもあったりする。浅草寺の土地だと今も再開発が進まない低層の店舗が多く、中には店賃を払ってない店もあるという。浅草寺の参道やら仲見世通りやらもあれば、もとはいわゆる朝鮮部落などと呼ばれていた通りもある。浅草に住んでいる人はそういうのが当たり前だと思っていてあまりありがたみを感じていないようにも見えるがこんな街はそんなにあるものじゃない。私の知る限りでは京都にはこんな街は無い。祇園、新京極、河原町、烏丸、観光地ではあるがどこも全然違う。大阪の道頓堀とか通天閣あたりの雰囲気が近い。十三は道が一本だけだが雰囲気は似ている。町田や、再開発前の溝の口とも近い。新宿にも甲州街道のガード下あたりにこういうごちゃごちゃしたところがあったがすべて再開発されて消えてしまった。ともかく、浅草寺の寺領を含めて、土地の権利関係が複雑過ぎて再開発できないからこんな街が残っているのは間違いなく、そういうところで栄えているところはだいたい浅草と同じ状況なんだと思う。京都なんかは市の条例なんかがあって強制的に道並みを整えたり再開発したりしてるんじゃないかなあ。

再開発となると大手の業者が入ってきて、その街になんの思い入れもない人たちが損得づくでまちづくりをしてしまい、もとからいた人もいなくなって、無個性な街になってしまうんだろうね。

転居の憂鬱

転居はチャンスでもありリスクでもある。その土地に引っ越すということはその土地のアラが突然見え出すことでもある。深く知れば知るほどその土地が嫌いになるということもあり得る。京都なども旅行でたまに訪れているうちは良いが実際住んでみると、下水の匂い、民家の古いカビの匂いなどが気になってくる。浅草もそうだ。

必ずしも浅草や京都の問題ではなくて賃貸物件の問題もあるんだろうが、転居した直後はいろいろ憂鬱になるのはマリッジブルーと同じ原理だろうか。

とにかくも街中なのでいろいろと生活音などが気になる。カラスが真夜中でも飛び回りながら鳴いている。真っ暗ならば鳴くことも喧嘩することもなかろう。ゴミが路上にほぼむき出しで捨ててあるからカラスが繁殖する。どうにかならんのだろうか。

サッシが古く窓ガラスがペラペラなので外の音が筒抜けだ。むしろ隣の部屋の音が直接聞こえることはほとんどない。ホテルに泊まって廊下でしゃべる声などが丸聞こえで隣の部屋の声は聞こえない、というのと同じようなものだろう。

結構犬を飼っている人がいて散歩させている途中に犬どうし喧嘩しているのかでかい声で吠える。

車の通りが少ないところを選んだつもりだが、一通の裏通りのはずだが、車が通ればうるさい。トラックはやはりうるさい。原付ははやく死滅すればよいのにと思う。街中は原付は禁止してすべて電動自転車か何かにしてはどうだろう。

路上喫煙者が非常に多い。浅草ではいたるところで道端ですぱすぱ吸っている。上野駅の歩道橋などにも突然むき出しの喫煙所がある。囲って高い煙突をつけてほしい。

自転車に乗ってる連中の(特に年寄りの)運転が雑。浅草辺りはずっと平らなので自転車が非常に発達している。上野、湯島、神田辺りにいくととたんに坂になる。

割といらいらしているのが、トイレの水が完全に止まらないってことだ。微量の水が常に流れ出ているし、タンクの中でもぽたぽたしずくが落ちる音が常にしている。漏水というほどのものではあるまい。大で流すとだいたい止まるが完全に止まったわけではない。小で流すとかなり流れっぱなしになる。この症状は私が以前借りたマンションとまったく同じ。

たとえひと月にふろおけ一杯分の水が失われているからといってさほど大した金額にはならんのだろうが、どうしても気になる。最初が肝心だと思うから一応管理会社に言ってみる。ウォシュレットなんかつけなくていいからこういうところをきちんと直しておいてほしかったなあ。まあしかしそんなこんなをみんな含めて浅草暮らしを体験するしかない。もう部屋は借りてしまったのだから。

人型寝袋を買えば自分の体の熱で温まるから安上がりだと思う人間なので、余計気になる。

浅草に住んで毎日飲み歩いていたら体を壊して死んでしまうから逆に節制しなくてはならんと思い始めた。

台東区と荒川区と千代田区の雰囲気は明らかに違う。気のせいかもしれないが区の境で何かががらりと変わる。入谷とか山谷辺りはまだ浅草って感じがあるが、泪橋辺りまでくると急に風景が雑になり、雰囲気が変わる。上野は台東区のうちだが、黒門町を過ぎて千代田区に入るととたんにクラクションを鳴らして歩行者をおどかすやくざな車が増えてくる。まだ浅草界隈のほうがまし、という気になる。

網戸の建付けが悪く傾いていて、隙間が空いていて虫よけにならない、を追加。不動産屋ってこういうことを一年中ずっと考えてなきゃいけないんだろうな。私なら精神を病みそうだ。

蛍光灯って2027年に生産中止するんだよな。まだちょっと先だが、どうするんだろう。これって大屋さん負担で交換するよね?

朝10時か11時頃に厨房で海苔弁を作ってあったかいまま並べてくれるスーパーは貴重だ。なかなかないね。探すとあるかな。

ツイッターは下衆になった。私が嫌いなテレビや新聞や雑誌の同類になった。だから何を読んでも面白くない。見ないのが一番良い。知り合いのツイートだけ見れば十分。

オリューゾファゴイ

ギリシャ語にどんぐり食い βαλανηφάγος、魚食い ιχθυοφάγος、米食い ὀρυζοφάγος などの言葉がある。このうち古くからありかつ最も一般的なのはイクトゥオファゴイ。ギリシャ人も魚食いであるはずだが、自分のことを言っているわけではない。紅海沿岸に住むエチオピア人やバビロニア人やインド人などのことを言っている。単に魚を食うだけでなく、主食であるはずの穀物の代わりに魚を食っている、もしくは魚しか食わない種族、というようなニュアンス。

バラネーファゴイはアルカディア人の異称。低地のスパルタ人たちが穀物を食べていたのに対して山の中に住むアルカディア人は昔ながらにドングリを食べていたかららしい。

オリューゾファゴイ、米食いという言葉はあるにはあるようだが、ほとんど使われていない。ギリシャ人も米は食うのだが、主食はあくまでも小麦であるということだと思う。日本人はオリューゾファゴイと言っていいよなあ。

ブリーフ

これまでパンツはアマゾンで5枚組のGunzeとかHanesとかBVDなんかを買うことが多かった。しかしこれからはできるだけスーパーか日本の通販サイトで買うようにしようと思っている。

西友にいくとBVDしかなくて結構高い。西友オリジナルブランドで2枚組で1100円のパンツがあったのでこれを買うことにした。

G.T.Hawkins は Gunze のブランドなんだな

G.T.Hawkinsっていまや超高級ブランドなんだなあ。ケチな私が昔はこれを買っていたのか。不思議な気がする。

グンゼにも880円の安物がある。

今やブリーフはユニクロが一番安いんだなあ。

逆にG.T.Hawkinsが履きたくなってきたな。日本経済のために。ブリーフけちったってたかがしれてるしな。たぶん高いブリーフのほうが長持ちするんだよきっと。

夜は長ければ長いほどよい。年寄りのせいか熟睡するということはあまりなく、ずっとうつらうつらしていて、嫌な夢を見たら一度起きて、寝直して、また夢をみる、それをずっと繰り返していたいと思う。寝たきり老人なんてみんなそんなものなのかもしれない。

実際には人間の体にはリズムがあるからずっと寝ていると飽きてしまい、目が覚めて、何か仕事をしたくなるのかもしれないが。

最近 twitter で読まされるツイートがどんどん偏ってきているように思う。見ていてちっとも面白くないんだがどうしたらよかろうか。

5kg税込みで3500円のコシヒカリブレンドというものを買ったのだけど、普通にうまいと思う。冷蔵庫で一晩冷やしレンジでチンして食べてみたが大丈夫。

ただ、1.5合炊きの小さな炊飯器を使っているんだが、上の穴からものすごく蒸気が吹き出してやばかった。米が溶けやすいのかもしれない。

某スーパーにはまともな沢庵もまともな梅干しもなくてがっかりした。また別の某スーパーにはまともな梅干しとまともな沢庵が1種類ずつあったにはあったのだが、塩だけで漬けた梅干しの塩分が22%もある。それ以外は3%とか5%とか7%とか。なんて極端なんだろう。昔ながらの製法で塩分が15%くらいまでのものがほしいんだが、そういうのが一番高級で値段が高く、スーパーではなかなか買ってもらえないということなのかな。

米は一番安いのを買って、沢庵や梅干しは一番高いのを買おうとする私の消費傾向はなんなんだということになるんだけど、5kgで3500円だと一膳あたりだいたい50円くらいになるはずなんだ。高いのか安いのかよくわからん。梅干しだと高いやつは一個100円はする。高い米と高い梅干しだと一膳で200円することになる。それが高いのか安いのかよくわからん。そうして考えてみるとコンビニのおにぎりというものはそんなめちゃめちゃ高いということはないってことになる。

世の中ものが高い高いというが、歯医者の待合室においてあった、戦後間近の風俗が書かれたとおもわれる長谷川町子のサザエさんでも米が高い高いと言っていて、いつも米は消費者の目の敵にされるのだなと思った。

自炊してもこれだけの金がかかるのだから、むしろ外食で酒も飲んで1食2000円とか3000円というのは決して高くはないのだなと思える。世の中生きていくには金がかかるものだなあ。

一度死ぬほどヒマな暮らしをしたい

年を取って後は死ぬのを待つだけだから、これまでやってきたことの整理整頓だけやって、新しいことは始めないと決めると人生すごくヒマになる。40才くらいだと、定年退職までに社会がどんだけ変化するかわからんからアンテナ張り巡らしてできるだけ新しいことをできるだけ早いうちに手を付けておかなきゃなんて考えていた。10始めたことのうち1当たるかどうか歩留まりは悪いから時間ばかり余計にかかる。しかし今はもう定年まであと6年だから新しい仕込みはもうやらんで良いやろ。そう決めたら楽だよな。

だがしかし浅草に住もうというのはすごく新しいことではある。

20年近く同じ場所に住むとなにが苦労するかってもう散歩しようにも近場はどこもかしこも歩いたことがあって困る。4年くらいで転々と引っ越すのが良い。散歩してれば無駄な時間が潰せるし新しい気付きもあるしとにかく飽きずに済む。SNSなんかで時間を浪費せずに済む。空き時間があればちょこちょこ近所を歩けば良いわけだから。定年退職したら京都に住んだり大阪にすんだり名古屋に住んだり博多にすんだりしてみたい。そんなことはもうしないとか言ってたような気もするが、やはりヒマは怖いな。というか一度死ぬほどヒマな暮らしを実家でやってみてからの話だな。

今もすべては予定通り順調に行っているはずなのに、常に何か忘れていないか、何かすっぽかしていないかビクビクしながら生きている。気持ちがどんどん先回りして落ち着かない。実際に忙しいというよりメンタルの問題なのだが、その状態から早く脱したいとばかり考えている。

結局、米を炊いて、卵かけご飯かなんかにして、沢庵か梅干しかなんか添えて朝昼晩と食っていれば十分な気がする。とりあえず卵は食べなくちゃならん。そのほかは適当に栄養を摂る。米が高いというが、歯医者の待合室においてあった長谷川町子のサザエさんでも米が高いと書いてあって昔から米は高いものなのだな。

リモートワーク、地方分散

イーロン・マスクとかLINEとかがリモートワーク辞めまーすとか言って文句ぶちぶちぶちぎれている人たちがいるが、そういう人たちは、コロナが流行ってリモートワークが始まったころもいろいろ文句を言っていた連中に違いない。

私はコロナ騒ぎの頃は逆にコロナ対策というものに巻き込まれて、毎週のように対面でコロナ会議というものに出勤させられていて、労働量が爆上がりしていて、一方では自宅でだらだらのんべんだらりとリモートワークしてる連中がいて、まじでぶち切れていた。コロナのなんとかかんとかとかロックダウンとか、あんなものにはなんの意味も無いと私は最初から思っていたし、今も思っている。人間がいかに馬鹿で、何か世の中に良かれと思って自分だけが努力しても無意味、世の中は1ミリも進歩しない、人類はホモサピエンスに進化した50万年前から1ナノメートルも進化してない、むしろ退化してるってことを死ぬ前に知れたことだけがよかったと思っている。

リモートワークは良いことだと思う。みんながあんなに東京に一極集中するのは間違っている。であるにも関わらず人はみんな東京に集まりたがる。実に馬鹿げたことではあるが、私も今、浅草に住もうとしているわけだから、結局私も東京に一極集中したがっているアホ人間の一人なんで人のことはいえない。しかし私は今勤務地が中野であるし、小田急で通勤するのが死ぬほど嫌だし、一応役職付いているので、リモートワークなんてできやしないのである。

リモートワークというものがうまく機能するには、いわゆる中間管理職以上の人たちが結局はオフィスで対面でマネージメントの仕事しなきゃいけないのである。会社としては中間管理職以上の人たちだけを正社員にして給料を上げてあげて、それ以外の末端の社員はリモートワークにして、リストラするか給料下げるか契約社員にすりゃいいじゃんという話に絶対なる。イーロン・マスクもたぶん同じことを言っているだけだ。リモートワークするやつは地方に住める代わりに給料安いしそのぶん副業かなんかで稼ごうねという話に絶対なる。リモートワークさせろ地方に住ませろ給料も下げるなというのは虫の良い話。

リモートワークの社員のぶんまで本社でマネージメントしている人がいるから自分がリモートワークできているんだなんて発想はおそらくリモートワーカーにはないのだ(あるのかもしれんが自分に不利になることは決して発言しない)。そんなにリモートワークを推進したいんなら自分が会社たてて社長になってリモートワーカーを雇えば良いだろうと思う。人の会社でリモートワークさせてもらい自宅でのんびり副業がてら働いててよく文句が言えるなと思う。

しかも近頃は、せっかくコロナ騒ぎのころに培ったリモートワークのノウハウを捨てて自分に一番楽な働き方をつまみ食いしてやはり対面のほうが効果は高いですねみたいなことを言うやつもいる。そうじゃないんだよ。リモートワークに適していることはやればいいんだよ。適してないことは元に戻すべきなのよ。でも世の中やりがちなこととしては、自分が一番楽なやり方を選ぼうとするから、リモートワークに適していることをやめて、リモートワークに適してないことまでリモートワークにしたがるってことなのよ。そういうわがままを押さえ込んで会社を回していくのが経営者とか管理職とか役職者の仕事なんだよ。それがマネージメントってもんだろ。そのために役職手当ってもんがあるんじゃないの。ただ余計に給料もらってるわけじゃないんだよ。リモートワークもマネージメントも給料も待遇もほとんど同じじゃやってられんわ。ほんともうぶちきれるよ。

ていうか首都機能をさっさと分散させろよ。リモートワークでもできるような仕事をしてる連中はみんな地方に強制移住させろよ。そんで通勤なんていう馬鹿げた慣習を無くして、みんな徒歩で通勤できるようにしろよ。リモートワークを実現したけりゃそこまで徹底してくれ。人間はみんな一カ所に集まって住みたがるアホな生き物なんだから、その習性をどうにかしてくれ。

昔の日記

世田谷素描はまだこの日記に統合していなかった。1997年9月くらいから ASCII Internet Freeway + Geocities で書き始め(笑)、AIF はこの年の12月で終了しているから、そのあとリムネットに引っ越して続けたらしい。なんかすごいな。もう30年近く前のことなんだな。ついこないだのことのようだ。

バックアップのファイルはけっこう膨大にある。気が向いたときにちまちまやる。

ネットに日記を書き始めたのは1995年くらいからなんだが、この頃にはすでに大田区石川町から世田谷区太子堂に引っ越したようだ。

石川町というか最寄り駅でいうと東急池上線石川台に住んでたのだが、そこはトイレも流しも共同みたいな今の感覚でいうとかなり極貧なところだったなあ。駅前にはスーパーマーケットが一つあったが今地図で見るとピーコックって書いてある。ほとんど覚えてない。石川台商店街なるものもありはしたのだが全然大したものではなかった。

三茶は風呂無しワンルーム。1Kといえば1Kだったかな。

1997年頃にはすでに隣でマンション工事が始まりそれがうるさくて世田谷線の奥地に引っ越したのだったが(このとき初めて部屋に風呂がついた)、1998年には川越の方へ転職したのに1999年くらいまではしつこく世田谷に住んでいたようだ。あ、1999年4月に成増に引っ越したって書いてるなあ。なんかもう何もかも忘れている。日記というものはありがたいものだ。もっとこまめに書いておけばよかった。

今だとツイッターとかいろんなものにちょこちょこ書き込んだり写真撮ったりするから割と何してたか履歴が残りやすくて良いよな。まとまったこと書こうと思えばブログ書けば良いわけだし(それ言ったら今や自分の行動履歴はみんなgoogle様に筒抜けでgoogle maps でどこに言ったか過去までさかのぼってみれちゃう)。2000年よりか前はそもそもコンデジですらまだそんな普及はしてなかった。まだみんな銀塩写真を使っていたはずだ。

京都の駿台予備校の寮は朝と晩の飯がついて四人部屋で家賃はうーん、良く覚えていない。

東京で初めて住んだのは某地方自治体が運営する学生寮で二人部屋、家賃は1万円くらいだったと思う。人間関係が嫌すぎて1年しかもたなかったが、今から思えばおとなしくしてもっと長くいたほうがよかったと思う。あの時はしかし早く独り暮らしがしたくてしかたなかった。

石川町の部屋は3万円だった。1986年から住んだはずである。

三茶の部屋は5万円だった。ここへ引っ越したのは1992年1月だったらしい。てことはD1の時ってことか。

世田谷の部屋は半地下みたいなワンルームで7万円だった。このころはすでに給料をもらってた。

成増、というか、板橋区赤塚の部屋は2DKで40m2もあって8万円だった。一人暮らしするには広すぎるくらい広かった。人生別に何の不満もなかったんで(たぶん)、そこに同じようにずっと暮らしていても平気だったと思うが、その後いろいろあったというわけだ。

今度浅草に借りる部屋は赤塚よりはちょっと狭いがだいたい同じくらいの広さで同じくらいの家賃だ。浅草は人も多いが物件も多くてしかも古い物件が多いので、賃貸が比較的安いのだと思うが、それでもずいぶん格安なんだと思う。

1986年頃は、和歌を詠み始めて、引っ越しもして、一人暮らしを始めて、それで少しだけ日記が残っている。1987年はたぶん合宿免許の時に少し歌を詠んだのだが、それ以後、1995年にインターネットというものができて日記を書くまでは、ほとんど何の記録も残してない。写真を撮ったということもほとんどない。歌も詠んでない。学部から博士課程まで大学生だったころの記録がほとんどない。今から思うともったいない。少しは書いておくべきだった。ああそうだ。fj.soc.misc とか、ネットニュースにはいろいろ書き散らかしたはずで、探せばどこかに少しは残ってるかもしれない。

あー。検索すると出てくるね。でもあんまりほじくり返さないほうがよさそうだなあ。書き散らかしてしまったものは仕方ないんだけど。

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それはそうといろんなことに関心というか驚きを失っているような気がする。twitterを読んでても、昔は何かマンガか動画があったらいちいちみてたが、今は見ずに流す。世間のニュースもよほどのことでないかぎり流す。youtubeもたいてい見飽きてみてみようという気がおきない。どうせこの程度のものだろうと思うと時間を使う気にならない。AIが描いたなんちゃらというのも最初は物珍しかったがすぐに飽きた。ていうか、全然面白い絵を描いてくれないからいらいらする。

とりあえず今はしなきゃならないことがたくさんあるからそれで良いのだけど。私の中では、しなきゃならないこととしたいことが半分くらいに混ざってないとメンタル的にやばいので、やらなきゃならない仕事が増えればそれに応じてやりたい仕事も増やさなきゃならない。やりたい仕事というのはつまり執筆活動とかそれに伴う読書なのだが。これが定年後やらなきゃならない仕事がなくなり、やりたい仕事だけになればだいぶメンタルは回復すると思う。それがもうあと六年後にせまっているのだが、そのときどうなるのかまるで想像つかない。

右も左も歯を治療して奥歯に穴がぼこぼこに空いていたのだが、やっと全部終わった。長かった。右でも左でも噛めるのは幸せだ。それだけでも少し気が楽になった。いまさらだが今度という今度は歯医者のありがたみを知った。歯は大事だ。四か月に一度定期的に通おうという気になった。これからはできるだけ柔らかいものだけ噛んでいきたい。固いものを噛む時はゆっくり少しずつ噛むことにする。

東京国立博物館、12月22日には年末年始の休館に入ってしまう。早すぎる。まあいいや。浅草に住んだらいつでもいけるわけだしな。