ウィンズ浅草

私が20年だか30年前に訪れた時(たぶん西暦2000年頃だと思う)の浅草(特に六区)は山谷並に非常にやさぐれた町で、ウインズ浅草はもう既に建っていたはずだが、その向かいには日活ポルノの映画館とストリップ小屋が建っていて、道ばたで浮浪者がパンツを履き替えたりしていたように記憶している。

競馬のノミ屋行為が事実上野放しとなり、1955年の浅草には約400軒の私設馬券売り場が存在していた。そのような街に場外馬券売り場を設けることは、日本中央競馬界にとっても地域にとっても意味のあることとなった。施設は、浅草公園六区の六区ブロードウェイの、かつて東急グループ系「新世界ビル」があった場所に建てられた。

などとウィキペディアには書かれているのだが、浅草に場外馬券場がある必然性なんてもう無いだろ。さっさと移転して、跡地はひょうたん池に戻すとかなにかすりゃいいんじゃないの。

ひょうたん池に続く商店街だからひさご通りというのだろうか。

今も浅草に残るあの異様ないかがわしさ、汚さ、あのタバコ臭さの中心にあるのがあの場外馬券場であるのは明らかだ。浅草はもっと洗練された、清潔な国際都市になって良いはずだ。インバウンドで景気の良い今こそそのチャンスだ。京都の街中に場外馬券売り場なんてないだろ?そんなもの風紀を乱すに決まってる。

奥深い町

某所でちらっとお見かけした人のツイートを見ていたら浅草ではしごしたと書いてあって、興味深く読ませてもらったのだが、私がふだん飲み歩いている界隈とまったく完全にかぶっているのにもかかわらず、私の行ったことのある店は一軒もなかった(行ったことはないがGoogleマップでチェックしたことがある店は1つだけあった)。なんて恐ろしい町なのでしょう。浅草というところは。

特に観音裏あたりは、カウンターだけの、五人とかせいぜい十人くらいしか入れない、事実上完全予約制の個人経営の店が多い。安くて気軽な店もあるがその真逆の店もある。うなぎや寿司やふぐなどの超高級店もあれば、がさつな安酒屋もある。性格や趣味が違えば通う店も町の見え方も同じ空間同じ地域であるにもかかわらず、まったくちがってくる。こんな町が浅草以外にあるのだろうか。京都の祇園や先斗町あたりがそうだろうか。

浅草にちょくちょく通い始めたのは三年前で、昨年末に浅草に部屋を借りて以来二ヶ月弱、ようやく浅草に飽きてきた。もちろんまだ知らない世界はいくらでもあるからそんな簡単に飽きてしまうということはないと思う。いまだに通勤するのもまた町歩きのうちみたいなところはある。ああこんな横町があったのか、こんな店があるのかと観察しながら町を歩いている。

某店は浅草が地元のおばちゃんたちのたまり場になっているのだが、吉原に最近新しいスーパーができたんだよねえなんて話をしている。ビッグエーのことだ。ビッグエーは正確に言えばディスカウントストアだけど。千束通りなどもおばちゃんたちはバスで移動するらしい。アーケードをはしからはしまで歩いたって10分くらいしかかからないんだけどね(おばちゃんの足だと20分くらいかかるのかもしれないが)。

浅草はインバウンド向けのテーマパークと化してしまったという某記事を読んだのだけど、それを言ったら京都の清水寺に登る坂道だって、新京極通りだってそうだろう。そういう観光客向けのキャピキャピした場所はあってもいいんだよ別に。合羽橋商店街だってインバウンドだらけだ。しかしそうではないところもある。日本人客でも容易に入っていけない、理解に時間がかかるところもある。入谷や吉原、山谷、向島などのかなり個性的な町も隣接している。何が言いたいかっていえば、よそからふらっと来てうわっつらだけみて浅い記事を書くなってことだよ。浅草を語りたいなら何日も何年もかけて通ってみて町に浸って同化してみて、それからあれこれ言ってもらいたい。なんなんだよ下町情緒ってさ。それってあなたの勝手な思い込みですよね?そういうの上野や鶯谷や谷中や赤羽や十条や浅草橋や錦糸町あたりにいけばいくらでもあるじゃん。絶滅危惧種みたいに言わないでほしい。

浅草にニトリやセリアや無印良品やドン・キホーテやオーケーやビッグエーやライフなんかの店がどんどん入ってくるのは良いことなんだよ。ドラッグストアに Tax Freeコーナーがあるからなんだっていうんだよ。人がたくさん集まるってことは良いことじゃないか(場外馬券場は要らんと私は思うが)。日本らしさってことよりまずは町に活気があることが重要ではないか。

日本随筆大成

日本随筆大成が国会図書館デジタルコレクションの送信サービスですべて見れることがわかり、いつでも読めるようにリンク集など作っているところだ。

この日本随筆大成は昭和2年から4年にかけて出版されたとんでもない力作なのだが、随筆と言っても江戸時代のものばかりで、古くて林羅山くらいから、新しいのでは勝小吉の夢酔独言とか成島柳北などは入ってない。漢文の随筆もない。新井白石の折たく柴の記、上田秋成の胆大小心録みたいな特に有名なものもわざと入れてないようだ。水戸光圀の西山公随筆や松平定信の花月草紙なんかは入っている。新しい人では八田知紀の桃岡雜記が入っている。

第一部から第三部まであって、編集者は交代していって、戦後に吉川弘文館が再版している。

戦前に出たものは著作権切れているんだから、さっさと一般公開してもよさそうなものだが、国会図書館のアカウントさえあればオンラインで読みたいときに読めるのでよしとする。これだけの本を買い集めるには相当金がかかるしそもそも本で家が埋もれてしまう。出版社にとってはつらいが読書するには良い時代になったと言うべきか。いずれにしてもこの手の本は図書館にいけば無料で読めるので、わざわざ読もうという人は図書館に行くだろうし、そうでない人は最初から読もうとさえしないだろう。

和漢三才図会、甲子夜話などは東洋文庫にもある。

だいたい世の中は随筆といえば「枕草子」と「徒然草」を読んでおけばそれで足りると思っている人がほとんどであろう。二百五十年の江戸時代とは実に長い時代だった。明治維新から現代までにさらに五十年足した長さだ。その長い長い近世に日本人はこんなにたくさん随筆を書いたのだ。これらをみんな読めば江戸時代のおそるべき長さを実感できるだろうと思う。とりあえず大田南畝の一話一言あたりから読んでいこうかな。


1-1 梅村載筆(林羅山)/ 筆のすさひ(菅茶山)/ 覉旅漫錄/ 仙臺閑語/ 春波樓筆記/ 瓦礫雜考/ 紙魚室雜記/ 桂林漫錄/ 柳亭記/ 尙古造紙揷/
1-2 雲錦隨筆/ 松屋棟梁集/ 橿園隨筆/ 近世女風俗考/ 蘿月庵國書漫抄/ 畫譚雞肋/ 煙霞綺談/ 柳亭筆記/ 磯山千鳥/ 橘窓自語/
1-3 玄同放言/ 都の手ぶり/ 織錦舍隨筆/ 睡餘小錄/ 八水隨筆/ 歷世女裝考/ 書僧贅筆/ 楢の落葉物語/ 金曾木/ 鋸屑譚/
1-4 上代衣服考/ 雨窻閑話/ 屋氣野隨筆/ 寸錦雜綴/ 半日閑話/ 泊洦筆話/ 辨正衣服考/ 心の雙紙/
1-5 過庭綺談/ 嚶々筆語/ 花街漫錄/ 遠碧軒記/ 風のしがらみ/ 著作堂一夕話/ 海人のくゞつ/ 遊藝園隨筆/ 善庵隨筆/
1-6 古老茶話/ 秉燭譚/ 四方の硯/ 梅園叢書/ 野乃舍隨筆/ おもひくさ/ 閑窻瑣談/ 還魂紙料/ 擁書漫筆/ 西洋畵談/
1-7 思ひの儘の記/ 用捨箱/ 向岡閑話/ 撈海一得/ 松陰隨筆/ 槻の落葉信濃漫錄/ 蒹葭堂雜錄/ 文會雜記/ 閑窻瑣談(後編)/ 畏庵隨筆/
1-8 北邊隨筆/ 燕居雜話/ 骨董集/ かしのしづ枝/ 幽遠隨筆/ 松屋叢考/ 宮川舍漫筆/ 駒谷芻言/
1-9 古今沿革考/ 異說まち/ 閑際筆記/ 獨語/ 又樂庵示蒙話/ 南嶺子/ 南嶺子評/ 世事百談/ 閑田耕筆/ 閑田次筆/ 天神祭十二時/
1-10 筆の御靈/ 東牖子/ 嗚呼矣草/ 齊諧俗談/ 一宵話/ 昆陽漫錄/ 續昆陽漫錄並補/ 南嶺遺稿幷評/ 秉穗錄/ 花街漫錄正誤/
1-11 年々隨筆/ 嘉良喜隨筆/ 烹雜の記/ 三のしるべ/ 好古目錄/ 好古小錄/ 奇遊談/ 茅窻漫錄/ 庖丁書錄/ こがねくさ/
1-12 耽奇漫録
一話一言(大田南畝) 上 / 下 /
嬉遊笑覧(喜多村信節) 上 / 下
和漢三才図会(寺島良安) 上 / 下

2-1 兎園小說/ 草廬漫筆/ 松屋叢話/ 提醒紀談/ 圓珠菴雜記/ 假名世說/ 一時隨筆/ 梅の塵/ 當代江都百化物/(787)
2-2 筱舍漫筆/ 萍花漫筆/ 兎園小說外集/ 兎園小說別集/ 八十翁疇昔話/ 牟藝古雅志/ 雲萍雜志/ 閑なるあまり/ 畫證錄/
2-3 兎園小說餘錄/ 兎園小說拾遺/ 保敬隨筆/ 梅園拾葉/ 新著聞集/ 雉岡隨筆/ 三養雜記/ 淸風瑣言/ 尤の草紙/ 近世奇跡考/
2-4 它山の石/ 筠庭雜錄/ 勇魚鳥/ 蜘蛛の糸卷/ 橘牕茶話/ 一擧博覽/ 萍の跡/ 筠庭雜考/ 目さまし草/ 反古籠/ 閑窻自語/ 雜說囊話/
2-5 玉石雜志/ 二川隨筆/ 飛鳥川/ 續飛鳥川/ 江戶雀/ 積翠閑話/ 尾崎雅嘉隨筆/ 閑窻筆記/
2-6 梅翁隨筆/ 櫻の林/ 新增補 浮世繪類考 附戱作者略傳/ 笈埃隨筆/ 玲瓏隨筆/ 十八大通/ 本朝世事談綺/
2-7 河社/ 多波禮草/ 本朝世事談綺正誤/ 桑楊庵一夕話/ 隣女晤言/ 蓴菜草紙/ 足薪翁記/ 奴勞師之/ 比古婆衣/ 西山公隨筆/
2-8 南留別志/ 可成三註/ 非なるべし/ 南留別志の辨/ あるまじ/ ざるべし/ 北窻瑣談/ 酣中淸話/ 三省錄/ 火浣布略說/ 年山紀聞/
2-9 遊京漫錄/ 胡蝶庵隨筆/ 柳庵隨筆初編/ 柳庵隨筆/ 柳庵隨筆餘編/ 曲肱漫筆/ 薰風雜話/ 立路隨筆/ 北國奇談巡杖記/ 南屛燕語/ 答問雜稿/
2-10 楓軒偶記/ 諼草小言/ 南柯の夢/ 猿著聞集/ 燕石雜志/ 靜軒痴談/ 閑散餘錄/ 於路加於比/ 只今御笑草/ 夏山雜談/
2-11 折々草/ 難波江/ 下馬のおとなひ/ 松の落葉/ 蜑の燒藻の記/ 闇の曙/

3-1 傍廂/ 傍廂糾繆/ ねざめのすさび/ 理齋隨筆/ 花月草紙/ 浪華百事談/ 異本洞房語園/ 洞房語園異本考異/ 洞房語園後集/ 筆のすさび(芝屋随筆 橘泰)/ おほうみのはし/
3-2 中陵漫錄/ 柳庵雜筆/ 古今雜談思出草紙/ 俗耳皷吹/ 消閑雜記/ 賤のをだ卷/ 醒睡笑/ 近世商賈盡狂歌合
3-3 天朝墨談/ 蒼梧隨筆/ 梅窓筆記/ 關の秋風/ 浪華の風/ 癎癖談/ 三餘叢談/ とはずかたり(中井甃庵)/ 近來見聞噺の苗/ 駿臺雜話/ むさしあぶみ/ 南向茶話/
3-4 後松日記/ 妙々奇談/ 見た京物語/ 天野政德隨筆/ 凌雨漫錄/ 莛響錄/ 訓蒙淺語/ 榊巷談苑/
3-5 百草/ 我宿草/ 愚雜爼/ 松亭漫筆/ 鳥おどし/ 孝經樓漫筆/ 金剛談/ 關秘錄/ 牛馬問/ 春雨譚/ 春湊浪話/ 松竹問答/
3-6 百草露/ 麓の花/ しりうこと/ 難後言/ 梅園日記/ 瀨田問答/ 後は昔物語/ 白石先生紳書/ 桃岡雜記/
3-7 甲子夜話 上
3-8 甲子夜話 下
3-9 盬尻 上
3-10 盬尻 下
3-11 翁草 上
3-12 翁草 中
3-13 翁草 下

梅村載筆はちょっと読んでみたのだがまるで校長先生の訓話みたいな当たり前なことを言っている。林羅山が書いた(とされるもの)はほかもたいていそんなふうだ。奇抜でもなく特別役にも立たないし、そもそも全然面白くない。なんでこんなものを書いたのかといえばやはり将軍家や旗本の子弟に勉強をさせるのに、林大学頭かもしくはそのスタッフが書いたり編纂したものなのだろう。藤原惺窩先生曰く、みたいな話も多い。

食卓と小榻

菅茶山『筆のすさび』巻之四「旧習改めがたき事」に

柴野先生に食卓(しつほく)と小榻(せうたふ)四つをおくる人あり。(中略)その具にて七宝羹を饗せんとて数人を招かる。(中略)その榻に踞して対酌す。

とある。卓袱(しっぽく)とは円卓で食べる中華料理のこと、長崎に伝わって今も残っている。

小榻だが榻(しぢ)と言えば牛車に人が乗り降りするときに使う踏み台、もしくは轅(ながえ)を置く台のことだから、小榻はおそらく、椅子というよりは、背もたれのないこしかけのようなものではないか。榻は床几(しょうぎ)とも言うようだが、床几にも背もたれは無い。

七宝羹は要するに八宝菜のようなものであろう。

菅茶山は主人柴野先生と、尾藤博士という人と、三人でそのテーブルと椅子で飲食していたが、主人がいない間は、椅子からおりて床に寝転んだ、生まれつき慣れないことをすると疲れる、という話で、当時の日本人にはこうして食卓を囲んで食事をすると疲れたという話。

卓袱、食卓、どちらもテーブルのことで、「しっぽく」と言うことがあったのだろう。

浅草の土曜の朝

土曜日の朝、7時くらいに浅草場外馬券場の前、六区ブロードウェイ商店街を通ると、まだひと気は少なく、空気もまだすがすがしく、タバコ臭くもないが、なんとなくピリピリとした空気を感じる。制服の上に防寒のコートをはおり明らかに職務中とおぼしき人たちが二人か三人くらいで一組になって通りを巡回している。浅草パークホールビルというホテルのような、オフィスビルのようなよくわからない建物からぞろぞろと20人弱の警察官のようないでたちの人たちが向かいの場外馬券場へ歩いて行く。あれは警察官ではなくて場外馬券場の警備員であろう。前日から泊まりがけでここ浅草にいて、その仕事始めなのだと思われる。これから浅草では土日二日にわたる狂乱の宴が始まるのだ。つくばエクスプレスA1出口脇にある弁当屋デリカぱくぱくも店先に弁当を積み上げて朝7時から客が来るのを万全の態勢で待っている。

これがもう9時くらいになると続々と競馬ファンらが出勤してくる。地下深くに作られたつくばエクスプレス駅から長蛇の列を作ってエスカレーターに運ばれて続々と人が地上にあふれ出してくる。

競馬の何がそんなに面白いのか私にはさっぱりわからない。いろんな人になぜそんなに競馬が好きなのか、聞いてみるのだが、よくわからない。そもそもそんな儲けている人もいないようだ。中には競馬のプロがいて、現金で国税庁にバレないように大金を動かしている人もいるのかもしれないが、そんな人はごく一部であって、ここに集まってくる人たちのほとんどは損しているに決まっているのである。株のほうがまだ儲かる可能性はある。というかやり方次第で株ならば確実に儲かる方法がある。競馬にはそれはあるまい。かなりの部分が偶然性でできているからで、確実性が高いギャンブルといえばまだパチンコの方がましだろう。競馬で儲かるはずがない。

飲み屋で会ったある女性は、お酒を飲むと体を壊すかもしれないけど、競馬は体に悪い影響なくてお酒を飲んだときと同じくらいハイになれるからやるんだと言っていて、なるほどなと思った。

浅草に場外馬券場がある必然性、なくてはならない理由があるんだろうか。渋谷にも場外馬券場があるはずだが、渋谷でも同じような状況なんだろうか。渋谷も浅草もとにかくどこか別のところへ移設するなんてことは考えてもいないのだろうか。

そうした殺伐としてタバコ臭くていかがわしい雰囲気が蔵前から浅草、山谷のあたり一帯、日曜の夜まで続くのだった。

浅草の店には勝ち馬投票券、つまり馬券を置いている店が多い。土日はたいていの店が競馬中継する。実に多くの人が路地にテーブルや椅子を並べて競馬を観戦している。相撲のあるときは相撲中継を見ている。

競馬を面白いと感じるのはホモ・サピエンスのバグなのだろうか。アーリア人にせよモンゴル人にせよ馬を乗りこなすことによって交易し戦争に勝利し、子孫を大量に残した。馬乗り好きな遺伝子がそうでない遺伝子を淘汰して残ったせいで人は競馬に理由もなく、無意識に魅了されるのではなかろうか。

浅草パークホールビルはJRAの事務所や駐輪場などが入るオフィスビルなのだそうだ。やっぱりね。確かにこの建物の2階と地下には謎の駐輪場がある。無料らしいが、通勤客が利用しても良いのだろうか。つくばエクスプレス駅にも駐輪場があるがこちらは有料である。浅草辺りは地面が平らだからものすごくたくさんの人が自転車に乗っている。運転マナーも決して良くはない。極めて危険だ。坂が無いからまだなんとかなっている。

デリカぱくぱくって向島にもあるんだなあ。あと青戸と足立にもあるようだ。

越生の梅干し

越生には越生梅林というものがあるというのは昔東上線沿線に住んでいたのでなんとなく知っていた。小田原には曽我梅林というものがあって、熱海にも熱海梅林というものがあり、梅林のあるところはだいたい梅干しが名物なので、越生にも梅干しがあるのかなと思ったらやはりあった。

これが安くてうまい。大粒で20粒くらいで1000円いかないくらい。塩と梅の実しか使ってない本格的な梅干しで1粒50円はかなり安い(追記。この梅干しは農家の人が自宅で作って市場で売っていたものだというので、多少安いのは当たり前なのかもしれない)。

しかもこの越生の梅干しは、あまり塩辛くもなく酸っぱくもなくそれでもちゃんと梅干しの味がして、皮も薄くてやわらかくて、おいしいのだ。

昔ながらの梅干しとか言って売られているものはやたらと塩分が高くて22%とかある。なるほど昔はそうした長期保存用に塩辛い梅干しを作っていたかもしれんが、今はそんなことする必要なかろう。

今スーパーで売られている梅干しは、いわゆる調味梅干しというもので、蜂蜜を入れたり、出汁や鰹節を入れたりして味を調整しているからほんとうの梅干しの味というものがわからなくなってしまっている。たぶん塩と梅だけで梅干しを作っても簡単にうまくはならないのでいろんなものを足してごまかしているのだ。越生の梅干しみたいにシンプルに塩味も薄くして酸っぱさも控えめにしてしかもちゃんと梅干しの味がするほんものの梅干しを作るってのはたぶん超絶技巧なのだと思う。すごく熟成期間なんかも絶妙に管理しているのではないか。こういうものが出回れば普通の梅干しなんて食べられたもんじゃないと思う。安くてほんとうにおいしい梅干しを食べているのは実は埼玉県民、或いは越生に近い群馬県民なのかもしれない。

だがしかし越生の梅干しが安くてうまいことがばれて需要が高まったら値段も上がってしまうに違いない。越生の梅干しはこれからもずっとこのままでいてもらいたい。

越生はしかし池袋から東上線で行くにも一時間半はかかる。いかにも遠い。池袋あたりで越生の梅干しは売られているのではなかろうか。

菅茶山の和歌

菅茶山は漢詩人で、頼山陽の師として知られるが、和歌もかなり詠んでいたらしい。木村雅寿という人が書いた「筆のすさび」跋にも

書き寄せし かひこそなけれ 山川に 生ふる藻草は 玉も混じらず

などとある。この「筆のすさび」には多く歌の引用もある。またその中に「歌道評論」と題して

江戸の友人、長流契沖以下の古体をよむ人の歌をあつめて一書をなす。或人見て、「真淵以後の人、中古の歌をそしる者多し、内々は何某公の歌の中にても、きこえぬありなどどいひてそしるもあり、今其そしられし人々の歌をかくあつめ見ば、此集と執れかまさらん、もし今の集まさらずば、そしりし人々心に慚ざらめや」といひし。此言はわれ人聞きて自ら警むべき事なり。
近頃の歌といふものは、拘ること多くしておもふ事もいひがたかりしを、長流以下の人々打やぶりしは、言葉の道の大功なり、これより女文字の文もよくする人出づ、京に蒿蹊江戸に春海など其選と見えたり、蒿蹊春海みな男文字をもよくよむ人なり。春海予に逢しとき、昔の歌よみ人は多半儒生なり、古今集の撰者の官職にても見るべしなどかたりし、春海名山の詩をこひあつむとて、予に浅間岳の詩をつくらしむ、其後程なく身まかりしと聞きぬ、其詩いくばくかあつまりけん。
同じ時千蔭にもあひし、みな木村定良を介とす、定良俗称俊蔵といふ与力衆なり。千蔭は隠居して総髪なり、顔色容貌さしも歌人と見えたり、耳しひて息女を傍におきて彼此の言を通ず。春海は半びんにて頭大に下ほそりたる顔なり、一面旧知のごとく磊落の人なりし。
蒿蹊は近江八幡の人京に住す、小男にて剃髪す、音吐大によく談ず。

などと言っているのだが、わかるようでわからない話である。「此集」「今の集」とは何を指しているのか。「長流契沖以下の古体をよむ人」とは下河辺長流や契沖を創始者としてその流れをくむ人たちが詠む歌が古体の歌だと思ってしまうが実はそうではない。ここに最初のつまづきがある。

「江戸の友人」は茶山と交際があった知人ではあろうがしかし茶山はむしろ「或人」の批判に同情しているのである。おそらく「江戸の友人」が編んだ「今の集」が送られてきたので、同郷の学友(或人)に見せたところ、いろいろと批評をされたので、そのことを書いているのだと思う。

「此集」「今の集」とは「江戸の友人」が集めた「古体」の歌集ということで、たぶんここには下河辺長流、契沖ら「中古」の歌は含まれていない。「中古」の歌とはつまりここで「そしられし人々の歌」であり、「此の集」「今の集」とは「そしりし人々」が詠んだ歌、江戸で流行した真淵以後の、いわば、「疑似万葉」「新万葉」の歌、つまり「古体」の歌をさしているのだろう。

真淵門下の「古体」を詠む人々が「中古」の歌をそしっている。「中古」の歌と「古体」の歌を比較してみて、「古体」が「中古」にまさっていなかったとしたら、「古体」を詠む人たちは恥知らずということになる。そう言いたいのだろうと思われる。

「中古」とはつまり江戸初期の長流契沖のような歌を言い、「古体」とは江戸中期以降の万葉調を言うのだと思われるが、これは江戸時代の人の感覚であって、現代人にはわかりにくいと思う。

たとえていえば今の人が「江戸仕草」とか「恵方巻き」など昔ながらの古いしきたりのように言うことが実は最近捏造されたものであって、全然古くもなんともなく、実は新奇なものであるのに似ていると言えようか。

「近頃の歌」というのは、「拘ること多くしておもふ事もいひがたかりし」それを「長流以下の人々打やぶりし」などと言っているのを見ると、こちらはどうも、江戸時代以前の歌、もしくは江戸時代に残った堂上和歌のことを言っているらしい。つまり時系列に古い方から並べると、「近頃の歌」「中古」「古体」となる。非常に紛らわしい。江戸時代には和歌はだんだんと古代にさかのぼっていくようにみえる。古ければ古いほど新しい。逆説的ではあるがしかしそれが当時の人々の自然な感覚だったのだろう。明治以降の人にとっては新しければ新しいほど新しいに決まっている。

「古代」ではないんだよな。「古代」の「体」なんだよ。古代を模した今の世の体。

江戸時代のぬるま湯に長い間浸かり固定した身分制度の中に生まれて死んでいった人たちは、時代精神の移り変わりとか社会の変動とか未来の変革というものがまったく想像できなかったのであろう。未来は虚無であり、存在するのは過去ばかりである。江戸時代には過去を探求する道具、古文辞学というものが飛躍的に発展した。江戸時代には未来を予測するのではなく過去へ遡る歴史学が最も発達し注目された、最先端の学問であった。宣長の研究もまたその類いであった。

それゆえ江戸後期の人々は、最近になって新しく確立され見えるようになった古い過去ほど新しく見えるという錯覚に陥ったのであろう。逆に明治の人は過去を無価値なものと切り捨て、未来や海外を見通して将来を予測することが必須の課題であった。両者は全然違う時代だったのだ。

そうしてみると茶山は、国学が興った後の下河辺長流、契沖、伴蒿蹊、村田春海、加藤千蔭らの歌が良く、同じ江戸時代でも真淵やその模倣者の歌は(新しすぎて)よくないと言っているらしい、ということになる。実際、村田春海、加藤千蔭は真淵の弟子ではあるが、彼らの歌は真淵とは似てもにつかない。茶山自身が詠んだ歌をいくつか見てみると春海千蔭の歌に良く似ている。要するに江戸後期に文人たちが詠んだ平々凡々たる歌だ。

明治以降の人は現代口語を使った歌のことを新しい歌と言う。しかしながら江戸後期の人たちは古い万葉の言葉を使った歌を新しい歌、今風の珍奇な歌だと思っていた。この感覚は現代人にはなかなかわかるまい。江戸時代にはまだ現代口語など影も形もなかった。標準語、現代口語なるものは明治政府や明治の文人らが共同制作した人工言語なのだから。

春海千蔭は師が編み出した「古体」の歌を捨てて「中古」に回帰したが、同時に真淵の流れをくんで「古体」を愛好した歌人らが江戸にはいて、春海千蔭とは同門ながら対峙していたように思われる。春海千蔭は真淵よりもむしろ宣長と親和性が高かった。万葉調の流行は江戸で起きたものであり、京都で万葉調の歌を詠む人はいなかった(香川景樹や本居宣長が万葉調の歌をまったく詠まなかったわけではないが)。

ということをこの文章から読解できる人がどれくらいいるのだろうか。私はこんなふうに解釈したけれど、他の人にはそうは読めないかもしれぬ。実に朦朧とした文章だ。歌人の風貌と歌の善し悪しと何の関係があるのか。

富士川英郎『菅茶山と頼山陽』には

旅衣 たちな急ぎそ 老いが身は またあふことも 末知らぬ世に

旅にあれば 家のみ思ひ 帰りては また行かばやと 思ふ大和路

などの歌が見えて、端正によく出来た歌だと思うが、おそらくこの時代の武家や公家の子弟は子供の頃に和歌や漢詩を仕込まれて、それで人並みの和歌が詠めるようになる、と言っただけのことで(茶山は一流の文人らしく人並み以上に詠めたようではあるが)、何か特別個性的なというか、何か巧んで、凝った詠みかたをしているようには見えない。幕末の伊達宗広や中島歌子などの歌と通じるところがあるように思う。そう、飽くまでも教養人の嗜みとして、当時のハイソサエティの慣習の範疇で詠んでいる、とでも言おうか。当時の人は別に字を書くのが好きで書道をやり、お茶を飲むのが好きだから茶道をやったわけではあるまい。歌道もまたそうした教養科目の一つだからやったまでで、そこに個性や創意工夫を追求しているのではあるまい。よく出来ているのだが、褒めようと思って良いところを探し始めるとぼんやりとぼやけてしまい良さが見つけられなくなる。うまくまとまりすぎているというか、秀才的というか。

こういった歌をいったいどこから見つけてきたのだろうか。頼山陽の母、梅颸の歌も多く引用されているから、そちら関係の史料にあるのかもしれない。或いは広島の県立図書館あたりに行けばそうした郷土資料がざらにあるのかもしれないが。

富士川英郎という人は戦前に岡山で高校教師になったとあるからやはりその頃に菅茶山や頼山陽に親しんだのだろう。こういう東洋文庫に本を書くような東洋学者というものは今はいったいどこにいるのだろうか。もうほとんど絶滅してしまったのだろうか。最近では荻生徂徠全詩というものが東洋文庫から出たが、ほとんど新刊も出なくなってしまっているように思う。

梅颸の歌も調べてみると面白いのかもしれないが、今はもうあまり手を広げる気もないのである。ところで頼梅颸という呼び名はどうであろうか。江戸時代の公家や武家は夫婦別姓であったはずだから、飯岡梅颸と呼ぶべきではなかろうか。細川ガラシャなどという呼び名をみると、いやそれは明治以降の呼び名で、本来は明智玉子だろうと思ってしまう。明治は現代まである程度連続しているからみんな明治を擁護したがるが、明治政府はいろいろおかしな(日本の伝統を破壊する)ことをした。

村田春海が「昔の歌よみ人は多半儒生なり、古今集の撰者の官職にても見るべし」などと言っていた、というのも変な話である。古今集の撰者がみな(半ば)儒学者だったなどと言っているのだが、そんなことを言えば江戸時代の武士もみんな儒者であろう。

浅草行ったことある店一覧

  • カフェ バッハ
  • デニーズ東浅草店
  • 和洋食 ニュー王将
  • 居酒屋 ぽんず
  • 笑ひめ
  • 小時
  • 酒さかな ずぶ六
  • 手打ち蕎麦 なお太
  • ロッジ赤石
  • 三好弥
  • 鳥きち
  • 正直ビヤホール 分店
  • 千鶴
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  • 米久本店
  • ほていちゃん 浅草店
  • 宮城直送 かきほや飛梅 浅草店
  • 浅草 安兵衛
  • ととり
  • やきとんひなた 浅草店
  • 神戸牛ダイア すし屋通り店
  • 一八そば
  • 翁そば
  • 立呑み のんき屋
  • フェッテ•パニッサ
  • 荒井屋 へその店
  • 大衆酒蔵 あそこ
  • 君塚食堂
  • 天才ブラジル
  • 気まぐれえりこ
  • 浅草だるま
  • 居酒屋 風鐸
  • 捕鯨舩
  • 正ちゃん
  • 浅草じゅらく
  • お好み焼・もんじゃ焼 津久志
  • 房総料理 木むら
  • 一代
  • 浅草 ニュー小江戸
  • ドライブイン電電
  • そばうどん 文殊 浅草店
  • 浅草やきそば 福ちゃん
  • 駒形どぜう 本店
  • 長命寺桜もち 山本や
  • かどや
  • 鳥椿 雷門一丁目店
  • KOTOYON
  • ニュー浅草 本店
  • つぼ八 浅草駅ビル店
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  • ココカラファイン 浅草五丁目店
  • 日豊アジア物産
  • アジアマート
  • デリカぱくぱく千束店
  • 魚誠
  • マルエツ 浅草四丁目店
  • 東武ストア東浅草一丁目店
  • 肉のハナマサ千束店
  • オーケー 浅草店
  • ライフ浅草店
  • ニイミ洋食器店
  • かっぱ橋まえ田
  • ニトリ 浅草EKIMISE店
  • Seria 浅草エキミセ店
  • 無印良品 浅草ROX
  • コーナンPRO浅草店
  • オーケー 橋場店
  • サンキ(三平ストア浅草店の2階)

このリストには、かなり以前に行ったことがある店、行ったことはあるが二度と行かないと思った店も含まれる。田原町の花屋はかなり以前に閉店した。食べログに「つる岡」は

このお店は休業期間が未確定、移転・閉店の事実確認が出来ないなど、店舗の運営状況の確認が出来ておらず、掲載保留しております。

などと書かれてしまっているが、2025年2月時点で普通にやっていた。要するに何曜日に何時から何時まで開いているかよくわからない店で、佐竹やもそれに近い。というか、ほかにもそういうきまぐれでいつやってるのかよくわからない個人経営の店は多い。

浅草近況まとめ

浅草に越してきて便利なのはエキミセのニトリ、セリア。近頃私は本屋には滅多に行かないのだが、エキミセに入っているくまざわ書店もかなりでかくて良い感じ。あとはROX館に入っている無印良品。ダイソーは錦糸町まで行ったほうが良いらしい。浅草周辺のダイソーはどこも狭い。スカイツリーのダイソーも狭い。

飲み屋で無難なのは、まずはみんなの味方ほていちゃん。鳥きち。鳥椿あたり。このへんはまったく気兼ねなく入れて、禁煙で、しかも混んでて入れないということはあまりない。ただし鳥きちはかなり狭い。地下街の天才やきそばは一度行ってみたら良いと思う。同じく地下街に最近できたドライブイン電電はまあまあ面白い。寿町4丁目のコトヨンも良いと思う。ほかにおすすめの店がないわけではないがここに書くのはやめといたほうが良い気がする。

新御徒町の佐竹商店街の佐竹や。できたばかりでネットにほとんど情報が無いと思う。昼飲み、立ち飲み、ジビエ料理となっているが、実は何曜日にいつからやっているかよくわからない。店長が気まぐれすぎてたぶん当分決まらないと思う。18時以降に行くのが安全確実。

かぶら屋、ここもチェーン店。東上野店は15:00から。

山谷にある紅豆(あづき)という店はすごく気になるのだが怖くて入れない。しかしドライブイン電電の店員はその店を良く知っているという。どうしよう。一度くらいは行ってみるか。上記、紅豆以外はすべて禁煙。

ドライブイン電電が地下街の通路に一番はみ出してテーブルとベンチを並べている。その次にそのとなりのタイ飯屋。通路にものを置くと怒られるらしい。しかしドライブイン電電の前の床は一番水漏れしているので、かわいそうだから(或いは水漏れを掃除する代償として)許されているのかもしれない。

洋食屋はロッジ赤石と聚楽には行った。

スーパーは、ライフ、OK、東武ストア、マルエツ、シマダヤ、ハナマサなんかを適当に巡っている。ROX館に西友、三平ストア、あと雷門にオーゼキがあるがまだ行ったことがない。茶碗などは土産物屋やスーパーにも売っているがたぶん合羽橋まで行ったほうが良い。山谷にある業務スーパーはすごく殺風景でほとんど倉庫。あとは吉原のBig-A。ココカラファイン。デリカぱくぱく。アジアマート。日豊アジア物産などにはときどき行く。

浅草寺には至るところに喫煙所がある。喫煙所を避けて浅草寺を縦断するルートは、多少くねってるが無いわけではない。しょうがないのでそこを通るとするか。

ひさご通りのアーケードにはいつもクラシックが流れている。ただし昼間だけ。

早朝出勤

浅草というところはやはり土日や祝日が混んでいてタバコ臭くて最悪。ただし日曜に休む店もある。日曜休みの店は良心的なところが多い(すくなくとも賭博と関係していない)。

平日は、月曜休むところ、水曜日に休むところなどバラバラ。たとえばつくばエクスプレスA1出口のデリカぱくぱくも水曜日休み。ひさご通りや千束通りですら地方のシャッター街のような雰囲気になり過ごしやすい。千束通りのデリカぱくぱくは年中無休っぽい。ある意味すごい。

観音裏から浅草を縦断して蔵前の大江戸線まで歩くんだが、早朝は表参道にほとんどひとけがなくて歩きやすく、喫煙所も回避できて快適。昼間はめちゃくちゃ歩きにくいが深夜早朝は別。宝蔵門なんか照明もなくて暗い。雷門から先はできるだけガソリン車の排気ガスを吸わない裏道を通る。

やはり都心で働くなら早朝に移動して、夜は7時に寝て、朝は3時くらいに起きて5時くらいに、遅くとも6時台に出勤するのが良い。都心の地下鉄は、特に大江戸線は早朝空いているのが良い(7時台に突入すると急に混み始めるが)。また昼間もガラガラ。大江戸線経営的にはどうなのか。採算取れないってことはないんだろうけどさ。アレもう、路線図みただけで、都心だから採算割れすることはなかろうと高をくくってむちゃくちゃなデザインにしてる気がする(逆に光が丘より先に延伸しても儲からんからやらんのだろう)。深い地下まで潜らなきゃならないのが不便、都庁前乗り換えも不便、しかし他の営団なんかはいつも混んでるので乗りたくない。要するに、日比谷線みたいに郊外から都心へ向かう地下鉄は混む。小田急線や田園都市線が混むのと同じ。一方で、大江戸線みたいに東京を東西に縦断するタイプの路線はそんなに混まない。丸ノ内線、銀座線なども、途中で客が入れ替わるタイミングでかなりの確率で座れる。

9時5時勤務じゃなくてたとえば7時3時勤務みたいなシフトで働けばすごく楽なんじゃないか。そういうこと言っている人あんまいないみたいだけど。3時に仕事あがって5時くらいまで昼飲みして帰宅してそのまんま寝る。朝3時に起きて朝飯食ってシャワー浴びて出勤とかどうよ。そんなこと考えてるやつほとんどいないから朝の電車はガラガラなわけだが。

座るとしかし、詰めて座ると、肘でこっちの脇腹を小突いてくるやつがいてむかつく。そういうやつに限って多動でうざい。こっちも肘を張って対抗するしかない。

千束通りのアジアマートで謎のジュースをいくつか買った。杏仁ジュース(杏仁露)、緑豆ジュース(泰山緑豆湯)、何かの乳酸菌飲料(天潤奶啤)。浅草のこと書いているブログやユーチューブ動画はいくらでもあるがアジアマートやデリカぱくぱくのことを書いている人は珍しいだろうと思う。

杏仁露、泰山緑豆湯は台湾製、天潤奶啤は新疆天潤乳業、つまりウィグル製?奶啤の奶は牛乳、啤はビールのことらしい。要するに牛乳から作られる炭酸飲料のこと、カルピスソーダみたいなものなのだろう。

アジアマート30円のお釣りを5円玉6枚で返してきたのは笑った。5円玉欲しかったのでありがたい。

浅草のお店は、予約可なところは予約して行ったほうが無難。ジモティー(笑)だからと気安く通うのは、よほど気に入られたところ以外はやめたほうが良いかも。向こうは向こうで、晴れの日にわざわざ予約して奮発して来る客をもてなすために気を張って営業しているのに、ただ近所に住んでいるからとぶらっと来られては半分迷惑だと思う。迷惑だと思われないくらいに頻繁に通って交流しますかと言われると、そこまで付き合う気がない、冷やかし程度だとすればやめといたほうがいいんだろうなあ。もちろんチェーン店ならそんな気にしていく必要ない。聚楽とか神谷バーみたいな何十人と入れる有名店も同じ。

ブログ名を変えて、ブログ村のカテゴリーを「上野御徒町浅草」に変えたら、INとOUTが若干増えたようだ。読まれないよりは読まれたほうが良い。