浅草飲み歩き2

浅草飲み歩きの続き。

ユーチューブで浅草飲みの動画など見ているのだが、ニュー浅草、神谷バー、焼きそばふくちゃん、あとホッピー通りなんかが出てくることが多い。

ニュー浅草は昔池袋辺りで飲んだことがある気がするんだが、ともかく、浅草以外のどこかで飲んでた。本場浅草の本店にも行ってみたんだが、とにかく人でごった返していて、落ち着いて飲むどころではなかった。

神谷バーにはまだ行ったことがない。みんなが行け行けいうところにはあまのじゃくだから行かない。あと電気ブランはそんな好きじゃない。

ホッピー通りの店には基本行かない。正ちゃんとあそこには行くけど。

水口食堂は禁煙らしいので今度行ってみようと思う。

君塚食堂も禁煙。17:00ラストオーダーなのもあってか、平日は女子(おばちゃん連中)の憩いの場となっている。

焼きそばふくちゃんにはまだ行ったことがない。そのうち行く。田原町にも焼きそば屋があったのだが閉店したそうだ。残念だ(東京都台東区西浅草1-1-18にあった花家という店2021年5月に閉店したらしい)。

食堂とか料理メインの店で酒とつまみだけ注文してよいものかどうかいつも迷う。

私もユーチューブ動画など録ってみたいのだが、なにしろ相手がいることだし、出演交渉するのもめんどくさい。でも今記録しておかないと近い将来行けなくなってしまうだろう。

浅草は瓶ビールを注文するとしれっと小瓶で出てきたりするから油断がならない。メニューに小瓶と書いてくれていればいいんだけどさ。基本的に観光地価格だと思って良い。中には安いところもある。君塚食堂は安いと思う。おでん盛り合わせ880円は分量を考えるとほかの町と比べても安い。今はおでんも高くなったからねえ。

房総料理木むらもアットホームな感じで良いと思った。ユーチューブ見たらめっちゃ顔出ししてワロタ。

正直ビヤホール本店の記事がこちらに。もとはと言えば吉原の中にあった正直という名のカレー屋だったらしい。今その建物(東京都台東区千束4丁目27-8)は一階部分が時間貸し駐車場になっている。更地にせずに二階部分を残したまま駐車場にしているのはけっこう無理やりな感じがするが、大きなお世話に違いない。

禁煙の店だけえりすぐって飲み歩きたいのだがなかなかそうもいかない。ときどき若い女性やら、あるいはおっさんやらがやたらとたかっている店があって(うなぎのおにぎりなんかの店だったりする)、気にはなるのだが、たぶん私はそういう店にはいかないほうがよかろう。良く行く店でも混んでるときにむりやり入り込むのはやめよう。すいているときにすっと行って1杯か3杯くらいで帰ろうと思っている。

ウナギ、フグ、寿司、その他高級料亭のたぐいにはたぶん行かない(その手の店は浅草は特に多い)。若い頃は肉料理が好きだった(特にホルモン焼きなど)が、今は重くて食べたくないのでいかない。じゃ刺身ならいいのかというとそうでもない。刺身は全然食べたくない。私にとって寿司はスシローで十分であり、刺身はスーパーの総菜で十分だ。日本酒と和食の店などというのが苦手だ。私は日本酒はもう、吟醸酒とか純米酒というのは飲みたくない。普通の本醸造を熱燗で飲めればそれで良いのだけど、今時なかなかそういう普通の店がない。ビールで始めて途中から熱燗も追加し、ビールをチェイサー代わりにして熱燗と交互に飲むという飲み方がしたい派なのだが、いまどきの和食屋ではそういうのはたぶん邪道なのだろう。

蕎麦屋や定食屋、食堂は難しくて、昼夜かまわず食事でも酒でもどちらでも良い(どちらも歓迎する)と言ってくれる店ならいいんだが、蕎麦はマストとか言われるともう行く気がしなくなる。私の場合外食は基本的に飲みにいくしかない。外食でうまいものを食いたいという気持ちは今はほとんどない。うまいものを食ったからなんだというのか。別にうれしくともなんともない。腹が出るだけではないか。まずいよりはうまいほうが良いけれども。あまり腹が膨れない程度に酒のアテになるものが食べれればそれでよい。食事もそうだが私には喫茶店というもののありがたみがまったくわからない。コーヒーが嫌いなわけではない。コーヒーは自分で淹れて家でゆっくり飲む派だ。喫茶店で周りががやがやしている中でコーヒー飲みながら仕事したり勉強したりするのがはかどる、という人は多いようだが私はそうではない。

朝5時くらいの浅草はほんとに車も人もなくて心地よい。朝9時くらいになると路上や地下鉄にせかせか歩く人がたくさんいてストレスフルになる。なるだけ朝早く移動したほうが良い。

観音裏から三ノ輪へ歩こうとすると吉原のど真ん中を突っ切るのが近いが、朝早くから黒塗りのアルファードみたいな車が駐まったり出たりして非常に歩きにくい。吉原はどの駅からも遠いのと、プライバシー的に車の送迎が多いのだろう。

浅草飲み歩き

郊外から都心へ向かう路線、たとえば小田急線なんかは、始発からすでに混んでいて座れない、というか、隣に他人が座っていると私は腰が痛くなってしまうので、そういう場合はたいてい立つようにしている。隣に座っている人が頻繁に肘を動かしているのもかなり気になる。

しかしながら都心の地下鉄、たとえば大江戸線などは、始発から6時台くらいまでは快適に座れるので(そのかわり足を組んだり投げ出したりするやつがいるが。銀座線、丸の内線、JRなどはもしかすると始発から混んでるかも)、だいたい17時くらいから飲み始め、20時には寝て、4時くらいに起きてシャワー浴びたりなどして、5時半くらいに家を出て、6時台に電車で移動しようかななどと考えている。

ただ早朝からたばこ臭い通りがあったりして非常に迷惑だ。

最近行った店で良かったところ。

正直ビヤホール分店。なにがどう分店なのかはわからないが、ひさご通りの北の出口あたりにある。正直飲み屋には見えない外観。ビール1杯800円は割高だがうまい。昔はキリンだったが今はサッポロにしたそうだ。食べ物はお通しの柿ピーと6Pチーズしかない。お通しはなぜか無料。お店のおばさんは面白い。10杯以上飲む人もいるという。10杯飲むと8000円だ。ちょっと信じられない。しかし確かにここのビールはおいしくて何杯でも飲めてしまう気がして怖い。グラスが薄くてきれい。もうひとりいた客は12杯くらい、1万円以上飲むそうだ。つまみは柿ピーと6Pチーズしかないのに!ママとだべりながら延々とビールを飲むらしい。私は2杯で出たが後で通りがかったらまださっきの客はいた。浅草でも特別に変わった店と言って良いだろう。浅草に来たら神谷バーなんかに行くよりかまずこの店に行くべきだ。

ホッピー通りのあそこ。「あそこ」が店名。比較的安価。たけのこ煮、身欠きニシンなどのお惣菜が良い。お店のおばさんは面白い。ホッピー通りには珍しい「純日本居酒屋」。

千鶴。女性二人でやってる。浅草にしては安い。居心地も良い(たまたま客が少なかっただけ?)「八代亜紀セット」1000円。ぬる燗とスルメのセット。私は熱燗にしてもらった。ぬる燗とか冷(常温)が好きだった頃もあるんだが、本醸造は熱ければ熱いほど旨いと思う。冷たいと本醸造の悪いところが出る。甘くないほうが良い。近頃はみんな冷酒ばかり飲むようになった。

愛ひめ(えひめ)、ここは禁煙なのが良い。愛媛料理。店のママさんが良い。男闘呼組のポスターが貼ってある。

だるま。浅草には「だるま」という店がいくつもあるがこれは初音小路にある居酒屋。店のママさんが面白い。混んでいて入れないことが多いが空いているときにいく。

小江戸天才焼きそば屋。地下街。たまに行く。店主が面白い。禁煙。

安兵衛。立ち飲み屋。料理は確かに安い(立ち飲み価格)が酒はそれほど安くはない(浅草価格)。たいてい混んでいる。店内は一応禁煙。

のんき屋。立ち飲み屋。いっぷく横丁、翁そばの向かい。なんとも言い難いがときどき行く。

ほていちゃん。ひさご通りの南の出口にある。安い。禁煙。チェーン店だが割と行く。カウンターが満席なときが多く、そういうときは行かない。浅草は案外立ち飲み屋が少ない。ほていちゃん、のんき屋、安兵衛。他にはもう無いかな?

洒落者、浅草スタンド、などがあるらしい。

ぽんず。禁煙。悪くない。和食。

コトヨン。寿町四丁目なのでコトヨン。浅草というよりは蔵前、いや、最寄り駅的には田原町か。禁煙。悪くない。ここ、浅草と蔵前の間の裏通りには透明書店をはじめとしてなんだかハイソサエティな店やカフェが点在している。

一時期ハイボールばかり飲んでいたが体がウィスキーに飽きたのか最近はビールばかり飲んでいる。

虚構の歌人 藤原定家

『虚構の歌人 藤原定家』を書いたのは2015年、もう10年も前のことなのだった。久しぶりに読んでみると恥ずかしい。特に最終章がかなり恥ずかしい。自分の中ではこんな終わり方じゃなかったはずなのだが、確かにこう書いたのは私なのだった。まぎれもない証拠だ。最後にちょっと気取ってカッコつけてそれらしいことを書こうというスケベ心が出てこんなことを書いてしまった。

応仁の乱で勅撰集の編纂も途絶えた日本に『新古今』以来の「長(たけ)高く幽玄有心なる姿」を復興しようと唱えたのは宗祇だ。なるほど連歌は和歌から派生したものである。また世阿弥は「能の道を極めようと思う者は能以外の芸を行うべきでない。ただし歌道は能を飾るものなので、特に勉強しなさい」と言っている。 私はずっと和歌ばかり見ていた。それで定家を調べることになり世阿弥や宗祇に出会った。そして彼らに教えられた、和歌はひとり日本文芸の核心なのではない、日本芸能すべての祖(おや)であり源流(ルーツ)なのだと。皆がそれほどまでに和歌を愛しているのだと。そう気づいて私はこれまでずっと和歌をやってきて良かったなと思った。

10年前からこんなことをずっと考えていた。同じようなことを今も考えている。その表現の仕方が10年前だとどうにも拙いし、浅い。そこが恥ずかしい。書くなら書くでもっとましな書き方があったはずだ。文章を書くと言うことは難しい。書いているときには気付かない、なかなか気づけないのが難しい。

あれから10年経って私は少しは成長したのだろうか。10年後の私が、今年出すはずの本を見てどう思うだろうか。とりあえず悔いのないように推敲しておきたい。

ここのこういうブログに書いたものなどはろくに推敲もしていない。書いたら書きっぱなしなことが多い。あまりに変なやつは非公開にするようにしている。

掛け布団カバー

今までは何気なくアマゾンで一番安い掛け布団カバーを買っていたのだが、最近は、いやいや、外資系企業がネット通販している、外国工場に丸投げした製品ではなくて、ちゃんと日本で作った品物を日本の企業から買ってやらねばなるまいと思い、楽天市場など見るがだいたい出品が(本気で売る気あるのかというくらい)割高だし、送料も高い。では店舗で買うかとなるのだが、メーカーはニトリかアイリスオーヤマあたりが安いらしいんだが、近頃は何もかもが値上がりしたせいかとにかく安い掛け布団カバーがない。

私としては西川のようなまっとうな国産の高級品が買いたい(買って応援したい。日本経済に貢献したい)わけではない。ただ単に布団の生地が傷まず、汚れてもカバーだけ洗えば済むような一番安いやつが欲しいのである。病院の四人部屋とか自衛隊のベッドに使われているような無地のカバーで十分。というわけで某イトーヨーカドーに行ったのだが、ニトリ売り場の掛け布団カバーはどれもネット販売のものよりも高い。大量にいろんな種類の掛布団カバーがこれでもかこれでもかと売られているがどれも高い。

それでイトーヨーカドーの衣服売り場に行ってみるとなんと掛け布団カバーが700円(税込み770円)で売っているではないか。この物価高の御時世に恐るべき安さである。ヨドバシ価格の2分の1か3分の1だ。おそらくそうとう長い間ここで売れ残っていたのだろう。イトーヨーカドーの売れ残り在庫がすごいという話は聞いたことがあったが、私にとっては実にお買い得だった。中国製と書かれていたのでもしかしてこれも〇〇人の〇〇労働で作られたものなのかなあと心が痛んだが、とりあえず満足した。

ニトリは安値を売りにはしているがなんとかブランドイメージと価格を維持しているんだが、イトーヨーカドーはとにかく無駄なく在庫をさばこうとしているようにみえるんだよね。これからもハイエナのようにイトーヨーカドーの売れ残り在庫を物色していこうと心の中で誓った。みんなが世の中の商業主義に目くらまされず、イトーヨーカドーに行って安く買い物をすれば、家計も助かるしイトーヨーカドーも助かるんだがなあってたかだか特売の掛け布団カバー買ったくらいで、すごい偉そうなこと言ってみた。

ついでだが、キャベツ1玉1000円とか世間では煽っているが私の見たところ、まあ、小玉1個で500円か600円というくらいか。東京都の最低時給と比べているところがせこい。キャベツが食えなきゃ白菜を食えばよかろうと思った。白菜もまあまあ高かったけど。

定年までのヒマつぶし

いまさらこの年になって浅草の飲み屋を開拓してみて思うのは、確かに浅草はすごい街だなと思うのだけど、しかし30年くらい飲み歩きをやってきていて、たいていのことはすでに体験済みなことばかりで、なんか似たようなこと昔あったよなあとか、デジャブ感があるというか、自分の人生において初めて、という感動はあまりないなと言う気がする。30年というのはそれなりに長い時間だし、私の中で重要な資産になっているのだ。

私が初めて飲み歩きをしたのは三軒茶屋と新宿三丁目だった。要するに最初の仕事場が田園都市線沿線にあって、三茶に住んだからだ。それ以前は学生だったので飲み歩きなんてものはいくらやりたくても金銭的にできなかった。

世田谷区世田谷、つまり、世田谷線沿線のあのあたりの雰囲気は今も好きだし一生住んでも良いと思っていた。ただまあ長く住むとどこでも飽きはくるもんで、特に田園都市線沿線は、今はどうかしらないが昔はまともな本屋が全くなくって困った。本を読まなくても生きていける人たちが住むところなんだろうと思っていた。

その後東武東上線沿線に仕事場が移り、主に上福岡で飲み歩いた。そのあと小田急沿線に仕事場が移ったもんで、本厚木とか町田とか中野新橋辺りで飲み歩くようになった。自分の限界まで飲み歩いた町というのは幸か不幸か町田だった。私が町田周辺に越してきたのはもう20年も前だが、そのころにはまだ屋台のラーメン屋などもいたし、再開発直後で町田の古い雰囲気も少し残ってた。1990年代の町田も知らなくはないのだが、あの頃の町田は魔窟みたいで良い感じの街だったよな。溝の口辺りもすごい魔窟感があった。今はもうそういう雰囲気はない。そう、溝の口にもたまには飲みに行ったりもしたのだ。

思うに上福岡というところは酒も肴もかなり安かったと思う。今となってはいくらくらいだったか記憶にすらないのだけど、駅前の山ちゃんという立ち飲み屋で、ビール1本、焼き鳥数本を買ってお勘定するとおばちゃんが800万円と言ってたのだけは覚えている。

それに比べると浅草はたいていが観光地価格で、ビール小瓶で700円ではいつまでたっても酔えそうにない。そうでない店も若干あるのでそういう店もかけもちする感じでやってる。

浅草にアジトを置いたのは私の仕事とは直接関係ない。ただ三年ほど前から千葉の方にいく用事ができたからその中間地点という意味はある。だから、浅草でちょこちょこ飲み始めたのは三年前からだ。

今現在も私の職場は東京の西側、つまり中野あたりにあるんだが、浅草は東側で、東京をまたいで東西往復するというのは、いろんな意味でかなり消耗する。例えば電車に乗るとして、たまたま隣に座ったやつが多動で独り言とかいうやつだったりすると結構メンタルを削られたりする。なんかしらんけどやたらと腕を動かしてそのたび肘が脇腹あたりにぶつかってくるのがいらいらする。なんなんだろうなあれは。無意識に相手を威嚇しているのかもしれんな。道を歩くにしても交通量が多いところは排気ガスがかなり気になる。

私の人生の中で東京の東側というのは未知のものではあったがすでに西側とか南側とか北側でたいていのことは経験してきたわけであって、ある意味、やり残した仕事の、最後の仕上げみたいな感じもしなくはない。

上野の博物館にしてもまったく初めてなわけではない。ただし博物館てものは常設展であっても少しずつ展示物が変わっていくし、見落としもあるから、近所に住んで、頻繁に通えばそれなりに楽しめる余地がある。見慣れた映画を何度も見返す感じというか。

定年までのあと六年間の良いヒマつぶしにはなると思う。

今書いている本は一年半もずっと推敲と加筆訂正を繰り返していていい加減もういやになってきた。定家やシュピリなんかは、半年くらいで書き上げて、出版してあとから直したいとか書き換えたいという欲求があって、次にはもっと良い本を書きたいという欲望もあったわけだが、今回はもうほとほと疲れたし、執筆意欲というものもずいぶん消耗し枯渇したような気がする。こんな苦労はもうしたくないなという気もする。ある意味頑張りすぎたので、当分は何も書かなくてもいいやっていう気持ちもある。ともかく私なりに本を書くということを十分すぎるほどに体験させてもらったなと思う。

去年は仕事内容をいろいろと入れ替えなくてはならなかったから忙しかったが、今年以降、定年までほとんど変えずに何も新しいことはやるまいと思っているし、新しい本も死ぬまで書かなくても良いって気もしている。それでは退屈で死んでしまうかもしれないし、今でも退屈は死ぬほど嫌いではあるのだが、というか何もしない空白の時間を作ると何かで埋めなくてはなんだか申し訳のない気がするのだが、実際、何もしないことに慣れてしまえばそれが日常化して別に平気になるかもしれないし、とにかく今は、何もしないってことをやってみたいと思っている。

世の中に飽きたというより自分という人間に飽きてしまったんだな。今までは自分がどんな人間か知らずにあれこれ試してみて、自分にどんな才能がまだ残っているのか、絵を描いてみたり、本を書いてみたり、作曲してみたり、動画作ってみたりしてきた。そういう試行錯誤を60才までにいろいろやってこれたのはよかったとおもう。例えば大阪とか京都に住みなおすとかインドとか中国あたりに移住すればも少し違う経験もできるのかもしれないが、わざわざいまさらそんなことをしたいとも思わない。30代くらいならアメリカあたりに長期滞在して仕事しても良かったかもしれないが、今はそんなことする体力も気力もない。じゃあなんでおまえはいまさら浅草に住み始めたんだと言われると困るんだけど、まあ要するに、何度も言っていることだが定年後は物価が高く人も多い東京に住むことすらないと思うから、それまでのわずかな期間、浅草生活を楽しんでみてもよいのではないかと思ったわけだ。

そういえば定年退職してそれまで転勤した町を改めて飲み歩くと言う話を『紫峰軒』というのに書いた。私もついにその年に近づいてきたわけだ。おおむね『紫峰軒』に描いたのと同じ人生を送ってきたと思う。

浅草の水回り

初音小路辺りで聞いた話なのだが、浅草二丁目はほぼ全域が浅草寺の土地なのだそうだ。てことは、場外馬券場とかドンキの土地なんかも全部浅草寺から借りているということだろうか。土地はお寺のものだが、建物にはそれぞれ大家がいるという。小さな店が密集しているがここらには共同トイレというものがないので、どんなに小さくてもそれぞれにトイレが付属しているらしい(全部を確かめたわけではない)。で、とある店では大を流すと詰まるので小だけしてくれなどと張り紙がしてあって、下水が土管でその土管が壊れていて大を流すと詰まるのだそうだ。

またこれは浅草の地下街で聞いた話なのだが、雨が降ると床が水浸しになる。これは天井から水が落ちてきているのではなくて、雨が降ったり、下水が増えると地下水位が上がってそれで床下から水が出るのだそうだ。やはりこの地下街も土管の下水を使っているのに違いない。雨が降ると1日か2日くらい遅れてやはり床が水浸しになるという。困った地下街である。

再開発すればしかしこの味わいがなくなってしまうかと思うともったいない気がする。今は今で楽しんでおけばよかろう。

そういえば浅草地下街には共同トイレがあるような気がする。店ごとに鍵があってそれを借りてトイレにいくのだ。

今どきネットでも馬券は買えるのになぜわざわざ土日に浅草に人が集まるのか、不思議に思い聞いてみたが、明確な理由はなさそうだ。大江戸線やつくばエクスプレスは地下が深いので、日曜朝にエスカレーターが異様に混む。異常な町だ。馬に賭けるくらいなら株でもやれば良いのにと思うのだが。

浅草寺境内はだいたい通り抜けができるのだが伝法院というところはたぶんお寺の完全にプライベートなゾーンになっていて、これが浅草のど真ん中にあって迂回しなきゃいけないのがややめんどくさい。

民主政と新聞

異世界ファンタジーで民主主義なんていう話が流れてきたのだが、異世界ファンタジーって何という話はひとまずおいといて、まったく架空の世界で一から民主主義国家ができていく過程を描くとしたらまずはアテナイを参考にするしかあるまい。

アテナイは神話時代から王政となり、王が追放されて貴族政(連合領主政)となり、そこから完全な直接民主政といえる状態になり、ギリシャ統一、帝政にまでいこうとしたがペロポネソス戦争で頓挫して、結局ギリシャ統一はマケドニア王国のアレクサンドロス大王を待たねばならなかった。このギリシャ統一にスパルタも含まれているかどうかは微妙ではあるが、ともかくスパルタも含めて全ギリシャが事実上マケドニアの支配下に入った。またここで帝政というのは民族を超えて、複数の異民族国家を統べる国家のことを帝政というのであり、皇帝という絶対権力者がいることを意味してはいない。

国家が肥大するにつれて、アテナイの民主政がマケドニアの王政に飲み込まれ、また明らかにアテナイの民主政を真似たローマの民主政も支配地が拡大すると必然的に帝政を必要とした。それはなぜかというに、市民がいてマスメディア(新聞)がなかったせいだ、大規模な間接民主主義には新聞と、新聞が形成する世論が欠かせない、というところが論点だったようなのだが、果たしてそうなのだろうか。そもそも民主政ってなんなんだよという話にもなる。首長を選挙によって選ぶこと?ならばローマ教皇も、かつての神聖ローマ皇帝も選挙で選ばれたから民主政なのか、ということになる。

神聖ローマ皇帝、つまりローマ王を選帝侯による選挙によって選ぶというしきたりは、おそらくローマ帝国において皇帝が元老院の承認によって選ばれる、というやり方に由来するのであろうし、このやり方は共和政ローマと帝政ローマに連続性を持たせるために作られた形式的なだんどりなのであろう。共和政ローマがアテナイのコピーであるのは明白であるから、結局ヨーロッパの民主政というのは、アテナイ→共和政ローマ→帝政ローマ→神聖ローマ帝国と継承されて、イギリス、アメリカで完成されて、またフランス革命によって若干の修正が加えられたもの、というしかあるまい。

ここにおいて民主政と新聞が不可分なものであるという主張にはかなり無理があるという気がする。新聞とか市民とか世論というものが民主政の一要素であることは確かなようであるが、民主主義が成立するために必要であった歴史的要件はほかにもたくさんあるからだ。そしてすべての歴史的経緯は多分に偶発的なものであり、必然的とはいいがたいものであり、したがって西洋の歴史次第では今とまったく異なる民主主義というものが成立していた可能性もあると思う。

アメリカの大統領選挙にしても、市民による直接選挙なのではなく、州ごとに選挙人を選ぶという多段階方式になっている。これは帝政ローマにおける元老院承認、神聖ローマ帝国における選帝侯選挙に近いものであるかもしれない。ヨーロッパ人はなぜか選挙というものを信頼したがるのだがそれはやはりヨーロッパの起源をギリシャに求めたがるからであろう。そうした嗜好性はスター・ウォーズなどにも見られるのである。

で、世論というものを国民全員が共有する必要はなく、それぞれの地域から何らかの方法で選ばれた選挙人の間で政治に関する知識や意見が共有されていても、民主政に類するものは成立し得るのではなかろうか。たとえば多段階直接民主政。地域ごとには直接民主政でそれを国とか連邦とか国際連合のようなものに多段階に積み上げることによって市民全員が参加する民主政を実現する。

ま、ともかく、メディアとか新聞というものは、必ずしも信用のできるものではなく、できればそうした要素を民主政成立の必要条件としたくはない、という気持ちが私にはある。

さて、まったく架空の自分の世界観で、何もないところから民主政ができていく話を書くというのは、まあまあ面白そうだが、私はもう『エウメネス』を書いて、アレクサンドロスやアリストテレスやトゥキディデスやクセノフォンにアテナイの民主政についてさんざん語らせたのでそれで十分だろう。

ファンタジーというものは世界史を知らねばわかるわけもないと思っているのは世界史をやった人の考え方であり、高校で世界史を履修した人なんて日本人に一割いるかいないかなのではなかろうか。パイレーツ・オブ・カリビアンやスチーブンソンの宝島なんかはわりと史実に忠実な気がするのが、ワンピースのファンなんかはもう世界史なんて知るか民によって成り立っているのだろう。私はワンピースがジャンプで連載開始した頃にはまだジャンプを毎週読んでいたのだが、ワンピースはつまらなくてすぐに読むのをやめてしまった。ワンピースより宝島のほうが面白いじゃん、こんなの海賊の本場イギリス人がみたら噴飯ものだろとしか思えなかったんだが、ヨーロッパ人にもアメリカ人にもワンピースのファンがめちゃめちゃたくさんいる現状を見るとあきれてしまう。正直世の中のファンタジー面白いつまらないという基準が私にはわからない。

浅草疲れ

浅草に転居してあちこち飲み歩いているのだがさすがに疲れてきた。飲み屋通いは楽しいが、年も取ったし、度がすぎるとメンタルのゲージが減りすぎて(満足度が高過ぎて?)、逆に飲みたくなくなってしまう(お腹いっぱい状態になる)。30年ばかり前に上福岡という町を飲み歩いていたことがあったが、今から思うとこぢんまりとしていて、東京近郊の駅前の商店街、ベッドタウンというものの心地良さを体験できる最後の機会だったのかなとも思う。

上福岡は個人商店の力がすごく強い町でなかなかチェーンの居酒屋が進出してこなかったのだけど、最近は再開発も進んで普通の町になってしまったようだ。

町田で飲み歩いていたこともあったが結局1、2軒の行きつけの店というものができないと落ち着かないものだ。

浅草だと新参者が常連に混じっていくにはそうとう通わなきゃならないと思うが、そこまで通おうという店がないというか、あるにはあっても気力が伴わないというか、通う前から疲れてしまうのはやはり年をとったからだ。今からおもうと30代なかば頃の上福岡飲みは楽しかった。もう二度とああいう遊び方はできないのだな。浅草に住んでいようと。

それと、浅草はやはり観光地価格なので割高だ。そこがちょっと飲み歩きしにくい。

公共建築

隈研吾という人の建築が叩かれているが、好き勝手に注文住宅を注文して建ててもらって25年間も放置しておいて、リフォームに3億円かかるのは高すぎるなどというのは、発注した町議会のせいだろとしか言いようがない。町も国の補助金か何かをあてにして建てたのかもしれないが、維持もできないようなものを建てるなよとしか思えない。

個人の家ならともかく公共建築で、というが、公共の建物を建てるのだって誰かがそういうものを建てたいから建てたんだろうし、個人の家だって新築から25年経てばそれなりに補修費がかかるのは当たり前だろう。凝った家なら1千万円くらいかかってもおかしくない。もっと大規模な美術館のような建物ならばどうか。1億円ならば良かったのか。3億円だから高いのか。いずれにしても無計画な町がごねているようにしかみえない。

それはそれとして凝った公共事業とか、万博などというものは馬鹿げたものだと思っている。愛知万博の木製の通路、あれ、グローバルループっていうらしいが、行きたいところにまっすぐに行けなくてほんとにイライラした。ああいうデザインをするデザイナーが減ってほしい。ああいう不便なデザインが世の中から淘汰される仕組みがほしい。

浅草の飲食店

ワンオペでカウンターが5席くらい、テーブル席が2つ程度の店もかなりある。こうした店はあまり一度に注文するとオーダーがなかなか通らないのでなかなか頼みにくいものがある。

他にももちろんチェーン店とか、個人経営だが従業員がフロアと厨房で分かれているようなシステマティックな店とか、いろんな店があるんだが、総じて雰囲気が良い。これはもう江戸時代から続くモメンタムとしか言いようがない。

飲食店というものはたいてい新陳代謝が早いものであるから、浅草といえどそれほど老舗の店ばかりではないが、江戸時代から続いている店、戦前からある店、戦後まもなくできた店もあるにはあって、実際ビートたけしが通った蕎麦屋とか居酒屋なんかもあったりする。浅草寺の土地だと今も再開発が進まない低層の店舗が多く、中には店賃を払ってない店もあるという。浅草寺の参道やら仲見世通りやらもあれば、もとはいわゆる朝鮮部落などと呼ばれていた通りもある。浅草に住んでいる人はそういうのが当たり前だと思っていてあまりありがたみを感じていないようにも見えるがこんな街はそんなにあるものじゃない。私の知る限りでは京都にはこんな街は無い。祇園、新京極、河原町、烏丸、観光地ではあるがどこも全然違う。大阪の道頓堀とか通天閣あたりの雰囲気が近い。十三は道が一本だけだが雰囲気は似ている。町田や、再開発前の溝の口とも近い。新宿にも甲州街道のガード下あたりにこういうごちゃごちゃしたところがあったがすべて再開発されて消えてしまった。ともかく、浅草寺の寺領を含めて、土地の権利関係が複雑過ぎて再開発できないからこんな街が残っているのは間違いなく、そういうところで栄えているところはだいたい浅草と同じ状況なんだと思う。京都なんかは市の条例なんかがあって強制的に道並みを整えたり再開発したりしてるんじゃないかなあ。

再開発となると大手の業者が入ってきて、その街になんの思い入れもない人たちが損得づくでまちづくりをしてしまい、もとからいた人もいなくなって、無個性な街になってしまうんだろうね。