オリューゾファゴイ

ギリシャ語にどんぐり食い βαλανηφάγος、魚食い ιχθυοφάγος、米食い ὀρυζοφάγος などの言葉がある。このうち古くからありかつ最も一般的なのはイクトゥオファゴイ。ギリシャ人も魚食いであるはずだが、自分のことを言っているわけではない。紅海沿岸に住むエチオピア人やバビロニア人やインド人などのことを言っている。単に魚を食うだけでなく、主食であるはずの穀物の代わりに魚を食っている、もしくは魚しか食わない種族、というようなニュアンス。

バラネーファゴイはアルカディア人の異称。低地のスパルタ人たちが穀物を食べていたのに対して山の中に住むアルカディア人は昔ながらにドングリを食べていたかららしい。

オリューゾファゴイ、米食いという言葉はあるにはあるようだが、ほとんど使われていない。ギリシャ人も米は食うのだが、主食はあくまでも小麦であるということだと思う。日本人はオリューゾファゴイと言っていいよなあ。

ブリーフ

これまでパンツはアマゾンで5枚組のGunzeとかHanesとかBVDなんかを買うことが多かった。しかしこれからはできるだけスーパーか日本の通販サイトで買うようにしようと思っている。

西友にいくとBVDしかなくて結構高い。西友オリジナルブランドで2枚組で1100円のパンツがあったのでこれを買うことにした。

G.T.Hawkins は Gunze のブランドなんだな

G.T.Hawkinsっていまや超高級ブランドなんだなあ。ケチな私が昔はこれを買っていたのか。不思議な気がする。

グンゼにも880円の安物がある。

今やブリーフはユニクロが一番安いんだなあ。

逆にG.T.Hawkinsが履きたくなってきたな。日本経済のために。ブリーフけちったってたかがしれてるしな。たぶん高いブリーフのほうが長持ちするんだよきっと。

夜は長ければ長いほどよい。年寄りのせいか熟睡するということはあまりなく、ずっとうつらうつらしていて、嫌な夢を見たら一度起きて、寝直して、また夢をみる、それをずっと繰り返していたいと思う。寝たきり老人なんてみんなそんなものなのかもしれない。

実際には人間の体にはリズムがあるからずっと寝ていると飽きてしまい、目が覚めて、何か仕事をしたくなるのかもしれないが。

最近 twitter で読まされるツイートがどんどん偏ってきているように思う。見ていてちっとも面白くないんだがどうしたらよかろうか。

5kg税込みで3500円のコシヒカリブレンドというものを買ったのだけど、普通にうまいと思う。冷蔵庫で一晩冷やしレンジでチンして食べてみたが大丈夫。

ただ、1.5合炊きの小さな炊飯器を使っているんだが、上の穴からものすごく蒸気が吹き出してやばかった。米が溶けやすいのかもしれない。

某スーパーにはまともな沢庵もまともな梅干しもなくてがっかりした。また別の某スーパーにはまともな梅干しとまともな沢庵が1種類ずつあったにはあったのだが、塩だけで漬けた梅干しの塩分が22%もある。それ以外は3%とか5%とか7%とか。なんて極端なんだろう。昔ながらの製法で塩分が15%くらいまでのものがほしいんだが、そういうのが一番高級で値段が高く、スーパーではなかなか買ってもらえないということなのかな。

米は一番安いのを買って、沢庵や梅干しは一番高いのを買おうとする私の消費傾向はなんなんだということになるんだけど、5kgで3500円だと一膳あたりだいたい50円くらいになるはずなんだ。高いのか安いのかよくわからん。梅干しだと高いやつは一個100円はする。高い米と高い梅干しだと一膳で200円することになる。それが高いのか安いのかよくわからん。そうして考えてみるとコンビニのおにぎりというものはそんなめちゃめちゃ高いということはないってことになる。

世の中ものが高い高いというが、歯医者の待合室においてあった、戦後間近の風俗が書かれたとおもわれる長谷川町子のサザエさんでも米が高い高いと言っていて、いつも米は消費者の目の敵にされるのだなと思った。

自炊してもこれだけの金がかかるのだから、むしろ外食で酒も飲んで1食2000円とか3000円というのは決して高くはないのだなと思える。世の中生きていくには金がかかるものだなあ。

一度死ぬほどヒマな暮らしをしたい

年を取って後は死ぬのを待つだけだから、これまでやってきたことの整理整頓だけやって、新しいことは始めないと決めると人生すごくヒマになる。40才くらいだと、定年退職までに社会がどんだけ変化するかわからんからアンテナ張り巡らしてできるだけ新しいことをできるだけ早いうちに手を付けておかなきゃなんて考えていた。10始めたことのうち1当たるかどうか歩留まりは悪いから時間ばかり余計にかかる。しかし今はもう定年まであと6年だから新しい仕込みはもうやらんで良いやろ。そう決めたら楽だよな。

だがしかし浅草に住もうというのはすごく新しいことではある。

20年近く同じ場所に住むとなにが苦労するかってもう散歩しようにも近場はどこもかしこも歩いたことがあって困る。4年くらいで転々と引っ越すのが良い。散歩してれば無駄な時間が潰せるし新しい気付きもあるしとにかく飽きずに済む。SNSなんかで時間を浪費せずに済む。空き時間があればちょこちょこ近所を歩けば良いわけだから。定年退職したら京都に住んだり大阪にすんだり名古屋に住んだり博多にすんだりしてみたい。そんなことはもうしないとか言ってたような気もするが、やはりヒマは怖いな。というか一度死ぬほどヒマな暮らしを実家でやってみてからの話だな。

今もすべては予定通り順調に行っているはずなのに、常に何か忘れていないか、何かすっぽかしていないかビクビクしながら生きている。気持ちがどんどん先回りして落ち着かない。実際に忙しいというよりメンタルの問題なのだが、その状態から早く脱したいとばかり考えている。

結局、米を炊いて、卵かけご飯かなんかにして、沢庵か梅干しかなんか添えて朝昼晩と食っていれば十分な気がする。とりあえず卵は食べなくちゃならん。そのほかは適当に栄養を摂る。米が高いというが、歯医者の待合室においてあった長谷川町子のサザエさんでも米が高いと書いてあって昔から米は高いものなのだな。

リモートワーク、地方分散

イーロン・マスクとかLINEとかがリモートワーク辞めまーすとか言って文句ぶちぶちぶちぎれている人たちがいるが、そういう人たちは、コロナが流行ってリモートワークが始まったころもいろいろ文句を言っていた連中に違いない。

私はコロナ騒ぎの頃は逆にコロナ対策というものに巻き込まれて、毎週のように対面でコロナ会議というものに出勤させられていて、労働量が爆上がりしていて、一方では自宅でだらだらのんべんだらりとリモートワークしてる連中がいて、まじでぶち切れていた。コロナのなんとかかんとかとかロックダウンとか、あんなものにはなんの意味も無いと私は最初から思っていたし、今も思っている。人間がいかに馬鹿で、何か世の中に良かれと思って自分だけが努力しても無意味、世の中は1ミリも進歩しない、人類はホモサピエンスに進化した50万年前から1ナノメートルも進化してない、むしろ退化してるってことを死ぬ前に知れたことだけがよかったと思っている。

リモートワークは良いことだと思う。みんながあんなに東京に一極集中するのは間違っている。であるにも関わらず人はみんな東京に集まりたがる。実に馬鹿げたことではあるが、私も今、浅草に住もうとしているわけだから、結局私も東京に一極集中したがっているアホ人間の一人なんで人のことはいえない。しかし私は今勤務地が中野であるし、小田急で通勤するのが死ぬほど嫌だし、一応役職付いているので、リモートワークなんてできやしないのである。

リモートワークというものがうまく機能するには、いわゆる中間管理職以上の人たちが結局はオフィスで対面でマネージメントの仕事しなきゃいけないのである。会社としては中間管理職以上の人たちだけを正社員にして給料を上げてあげて、それ以外の末端の社員はリモートワークにして、リストラするか給料下げるか契約社員にすりゃいいじゃんという話に絶対なる。イーロン・マスクもたぶん同じことを言っているだけだ。リモートワークするやつは地方に住める代わりに給料安いしそのぶん副業かなんかで稼ごうねという話に絶対なる。リモートワークさせろ地方に住ませろ給料も下げるなというのは虫の良い話。

リモートワークの社員のぶんまで本社でマネージメントしている人がいるから自分がリモートワークできているんだなんて発想はおそらくリモートワーカーにはないのだ(あるのかもしれんが自分に不利になることは決して発言しない)。そんなにリモートワークを推進したいんなら自分が会社たてて社長になってリモートワーカーを雇えば良いだろうと思う。人の会社でリモートワークさせてもらい自宅でのんびり副業がてら働いててよく文句が言えるなと思う。

しかも近頃は、せっかくコロナ騒ぎのころに培ったリモートワークのノウハウを捨てて自分に一番楽な働き方をつまみ食いしてやはり対面のほうが効果は高いですねみたいなことを言うやつもいる。そうじゃないんだよ。リモートワークに適していることはやればいいんだよ。適してないことは元に戻すべきなのよ。でも世の中やりがちなこととしては、自分が一番楽なやり方を選ぼうとするから、リモートワークに適していることをやめて、リモートワークに適してないことまでリモートワークにしたがるってことなのよ。そういうわがままを押さえ込んで会社を回していくのが経営者とか管理職とか役職者の仕事なんだよ。それがマネージメントってもんだろ。そのために役職手当ってもんがあるんじゃないの。ただ余計に給料もらってるわけじゃないんだよ。リモートワークもマネージメントも給料も待遇もほとんど同じじゃやってられんわ。ほんともうぶちきれるよ。

ていうか首都機能をさっさと分散させろよ。リモートワークでもできるような仕事をしてる連中はみんな地方に強制移住させろよ。そんで通勤なんていう馬鹿げた慣習を無くして、みんな徒歩で通勤できるようにしろよ。リモートワークを実現したけりゃそこまで徹底してくれ。人間はみんな一カ所に集まって住みたがるアホな生き物なんだから、その習性をどうにかしてくれ。

昔の日記

世田谷素描はまだこの日記に統合していなかった。1997年9月くらいから ASCII Internet Freeway + Geocities で書き始め(笑)、AIF はこの年の12月で終了しているから、そのあとリムネットに引っ越して続けたらしい。なんかすごいな。もう30年近く前のことなんだな。ついこないだのことのようだ。

バックアップのファイルはけっこう膨大にある。気が向いたときにちまちまやる。

ネットに日記を書き始めたのは1995年くらいからなんだが、この頃にはすでに大田区石川町から世田谷区太子堂に引っ越したようだ。

石川町というか最寄り駅でいうと東急池上線石川台に住んでたのだが、そこはトイレも流しも共同みたいな今の感覚でいうとかなり極貧なところだったなあ。駅前にはスーパーマーケットが一つあったが今地図で見るとピーコックって書いてある。ほとんど覚えてない。石川台商店街なるものもありはしたのだが全然大したものではなかった。

三茶は風呂無しワンルーム。1Kといえば1Kだったかな。

1997年頃にはすでに隣でマンション工事が始まりそれがうるさくて世田谷線の奥地に引っ越したのだったが(このとき初めて部屋に風呂がついた)、1998年には川越の方へ転職したのに1999年くらいまではしつこく世田谷に住んでいたようだ。あ、1999年4月に成増に引っ越したって書いてるなあ。なんかもう何もかも忘れている。日記というものはありがたいものだ。もっとこまめに書いておけばよかった。

今だとツイッターとかいろんなものにちょこちょこ書き込んだり写真撮ったりするから割と何してたか履歴が残りやすくて良いよな。まとまったこと書こうと思えばブログ書けば良いわけだし(それ言ったら今や自分の行動履歴はみんなgoogle様に筒抜けでgoogle maps でどこに言ったか過去までさかのぼってみれちゃう)。2000年よりか前はそもそもコンデジですらまだそんな普及はしてなかった。まだみんな銀塩写真を使っていたはずだ。

実家を出たのは大学受験失敗して浪人した時で、田舎にいては勉強もできないから都会に出ろみたいに言われてそれで京都の駿台予備校に入った。予備校の寮は朝と晩の飯がついて四人部屋で家賃はうーん、良く覚えていない。

東京で初めて住んだのは某地方自治体が運営する学生寮で二人部屋、家賃は1万円くらいだったと思う。人間関係が嫌すぎて1年しかもたなかったが、今から思えばおとなしくしてもっと長くいたほうがよかったと思う。あの時はしかし早く独り暮らしがしたくてしかたなかった。

石川町の部屋は3万円だった。1986年から住んだはずである。

三茶の部屋は5万円だった。ここへ引っ越したのは1992年1月だったらしい。てことはD1の時ってことか。

世田谷の部屋は半地下みたいなワンルームで7万円だった。このころはすでに給料をもらってた。

成増、というか、板橋区赤塚の部屋は2DKで40m2もあって8万円だった。一人暮らしするには広すぎるくらい広かった。人生別に何の不満もなかったんで(たぶん)、そこに同じようにずっと暮らしていても平気だったと思うが、その後いろいろあったというわけだ。

今度浅草に借りる部屋は赤塚よりはちょっと狭いがだいたい同じくらいの広さで同じくらいの家賃だ。浅草は人も多いが物件も多くてしかも古い物件が多いので、賃貸が比較的安いのだと思うが、それでもずいぶん格安なんだと思う。

1986年頃は、和歌を詠み始めて、引っ越しもして、一人暮らしを始めて、それで少しだけ日記が残っている。1987年はたぶん合宿免許の時に少し歌を詠んだのだが、それ以後、1995年にインターネットというものができて日記を書くまでは、ほとんど何の記録も残してない。写真を撮ったということもほとんどない。歌も詠んでない。学部から博士課程まで大学生だったころの記録がほとんどない。今から思うともったいない。少しは書いておくべきだった。ああそうだ。fj.soc.misc とか、ネットニュースにはいろいろ書き散らかしたはずで、探せばどこかに少しは残ってるかもしれない。

あー。検索すると出てくるね。でもあんまりほじくり返さないほうがよさそうだなあ。書き散らかしてしまったものは仕方ないんだけど。

Unified fj NetNews archiveの全文検索

それはそうといろんなことに関心というか驚きを失っているような気がする。twitterを読んでても、昔は何かマンガか動画があったらいちいちみてたが、今は見ずに流す。世間のニュースもよほどのことでないかぎり流す。youtubeもたいてい見飽きてみてみようという気がおきない。どうせこの程度のものだろうと思うと時間を使う気にならない。AIが描いたなんちゃらというのも最初は物珍しかったがすぐに飽きた。ていうか、全然面白い絵を描いてくれないからいらいらする。

とりあえず今はしなきゃならないことがたくさんあるからそれで良いのだけど。私の中では、しなきゃならないこととしたいことが半分くらいに混ざってないとメンタル的にやばいので、やらなきゃならない仕事が増えればそれに応じてやりたい仕事も増やさなきゃならない。やりたい仕事というのはつまり執筆活動とかそれに伴う読書なのだが。これが定年後やらなきゃならない仕事がなくなり、やりたい仕事だけになればだいぶメンタルは回復すると思う。それがもうあと六年後にせまっているのだが、そのときどうなるのかまるで想像つかない。

右も左も歯を治療して奥歯に穴がぼこぼこに空いていたのだが、やっと全部終わった。長かった。右でも左でも噛めるのは幸せだ。それだけでも少し気が楽になった。いまさらだが今度という今度は歯医者のありがたみを知った。歯は大事だ。四か月に一度定期的に通おうという気になった。これからはできるだけ柔らかいものだけ噛んでいきたい。固いものを噛む時はゆっくり少しずつ噛むことにする。

東京国立博物館、12月22日には年末年始の休館に入ってしまう。早すぎる。まあいいや。浅草に住んだらいつでもいけるわけだしな。

浅草素描

昔世田谷に住んでいた頃にブログのタイトルを世田谷素描としたことがあった。また川越素描というタイトルの小説を書いたこともある。私のブログはいくつもあったのだが「はかもなきこと」というのがメインだったのでしばらく全部「はかもなきこと」にまとめていた。

実は三年前からちょくちょく浅草に通っていたのだが、今回いよいよ浅草に部屋を借りて住むことにした。なんでそんなことをしているのかということについてはごく個人的なことになるので書かないけど、上野でもなく入谷でもなく鶯谷でもなく三ノ輪でも南千住でも深川でも向島でもなくて浅草にしたのは結局浅草をピンポイントに、もう少し詳しく知りたい、実際に住んでみて理解を深めたいと思うからである。

私が生まれ育ったのは長崎だがその後大学受験に失敗し一浪して京都に住んでいた。その後東京に出て、まず文京区に住み、次に大田区に住み、次に世田谷区の三軒茶屋に住み、さらに世田谷区世田谷に住んだ。そこから今度は板橋区に移って、また世田谷に戻ってきて、その後は町田の辺りに住んでいた。

東急線沿線には馴染がありつつ小田急線沿線にシフトし、中央線沿線に若干の憧れもあったのだが中野の辺りに部屋を借りてしばらく住んでみて、まあ私には中央線はあまり合わないなと思った。小田急や井の頭線なども自分には合ってない気がしていた。東武東上線沿線民だったこともあるが割と好きだった。そうしてみると、ずっと東京の西側ばかり住んでいて、東側には疎かったのだが、浅草は、奈良や京都や鎌倉ほどではないけれどもその歴史の厚みにはなかなか侮れないものがある。家康からだと四百年、太田道灌からだと五百年くらいの歴史がある。後北条氏の時代もある。最初はなんかチャラい街だと思ってたが、それなりに趣きがあるというか。定年退職まであと六年、それ以後はあちこち転居することもあるまいからと思い切って浅草に住んでみることにした。

それでブログタイトルを浅草素描にしてみたというわけだ。

歌道普及会

大正の頃に歌道普及会というところから新派なんだか旧派なんだかよくわからない立ち位置から和歌の本がいくつか出ている。著者や編者が書かれていないので誰が書いたのか不明だが、かなりものを書き慣れた人だろう。明治以前の和歌については漠然とした知識しかない。つまり平安時代から江戸時代までは単なる教養として和歌を詠んでいた、というような雑なイメージしか持っていない。出版社は東盛堂。ここから本を出している人で、黒法師とか匿名とかで本を書いている人がいてこの人があやしい。渡辺霞亭という人のようだ。

かちかちの 山のたぬきは 焼け死にぬ 悪事をなせる 報いなりけり

こんなものを和歌だと言っていたり、和歌は平安朝以来明治初年まで娯楽の文芸として取り扱っていたため、などと書いていたり、どうも歌というものがよくわかっているとは思えない。『和歌の作りやう』という本に「同人」とか「読人知らず」で出ているのがこのひとの歌かもしれない。

ただ生き続ける

病院に通うということは、時間もとられるし、メンタルもがりがり削られる。しかし日頃健康で病院とは無縁だった人がある日突然死ぬということも聞くので、持病のために定期的に通院して早めに悪いところを見つけてもらうほうが良いとも言える。

歯の詰め物が取れただけで食欲がなくなってしまうのはいつものことだ。年寄りなので詰め物が取れるだけでなく、歯が一部欠けてしまったりする。逆に若い頃と違って虫歯にはなかなかならなくなった。

ともかくこうやって体を気にしながら生きていくのが面倒だ。しかし若い頃は気にしなさすぎて虫歯をたくさん作ってしまったし、あれやこれやと今の不養生の元になっているわけで、人生やりなおしたいかといわれればしかしそれもまためんどくさいし、やはりいちばん面倒くさくないことはさっさと死ぬことだという結論になる。しかしながら人間は本能的に死ぬのを怖がるし、勝手に死ぬと回りに迷惑がかかるから、めんどうくさいめんどうくさいと言いながらただ生き続けることになる。

今書いている本なのだが企画が持ち上がったのが去年の8月、最終〆切が来年1月になってしまった。いやはや1年半も延々と書き足したり削ったり推敲したりしている。気の長い話である。まあそういうこともあるだろう。とりあえずこの本が出るまでは死ねないな。他のことはともかくとして。

やることがないと退屈で死にそうになるとかボケるから、年を取ってから何か新しいことを始めたほうが良いなどとよく言われ、また私もそう思っていたが、そうすると私の場合 暇になるとだいたい Linux をいじったりし始めるのだけど、Linux をある程度弄り倒して思うのは、もう Windows でいいじゃんという諦めというか。これから何十年も生きているのであれば Linux とか MacOS とかいろいろ手を出して、Windows がなくなった世界に備えるということもありかもしれんが、Windows がなくなるより先に自分が死ぬのはほぼ確実だから、もうじたばたしてもしかたない、 Windows でいいじゃんという結論になる。Linux にしても、私ごときが使ったくらいで Linux に貢献できることなどしれている。Windows にしろ私ごときが使ったくらいで良くも悪くもならない。いろいろ新しく試して中途半端に終わるよりも、今までやってきたことで、一応成果があったことを少しでも磨いたほうがましだと思う。